インディアナポリス500
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/06 16:48 UTC 版)
ゲームソフト
日本では、1968年に関西精機製作所(Kasco)からエレメカゲームの「インディ500」がリリースされている。また、トミー(現:タカラトミー)から1997年5月23日にプレイステーション用ゲームソフトとして「Indy500」がリリース、セガからもアーケードゲームとして「インディ500」がリリースされている。
日本との関係
日本以外では、インディ500にアジアの国が関わった例はほとんどないため[注釈 3]、「日本初」としている記録はたいてい「アジア初」となる。
ドライバー
1991年のヒロ松下の初参戦以降、2017年までに計10名の日本人ドライバーが挑戦している[4][注釈 4]。
- 日本人ドライバー初の完走は1991年にヒロ松下によって記録された(16位[注釈 5])。
- 日本人ドライバー初のルーキー・オブ・ザ・イヤー[注釈 6]は2003年に高木虎之介によって記録された(5位完走)。翌年、松浦孝亮(11位完走)もルーキー・オブ・ザ・イヤーを授与された。
- 日本人ドライバー初のリードラップは2003年に高木虎之介によって記録された(2周)。
- 日本人ドライバー初の優勝は2017年に佐藤琢磨によって記録された。
- 日本人ドライバー初のフロントローは2020年に佐藤琢磨によって記録された。
- 日本人ドライバー初の複数回優勝は2020年に佐藤琢磨によって記録された。
- 日本人ドライバーのポールポジション獲得はまだ無く、予選最上位は2020年に佐藤琢磨によって記録された3位。
以下、参戦ドライバーと決勝順位を記載する。
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チーム
いずれも現地チームを母体とした提携ではあるものの、スーパーアグリが2004~2006年に「スーパーアグリ・フェルナンデス・レーシング」、2007年に「スーパーアグリ・パンサー・レーシング」として、チーム郷が2020年に「デイル・コイン・レーシング with チーム郷」として参戦した例がある。
日本のチーム・コンストラクターがインディ500用の車両を製作したことはない。
実現に至らなかったものとしては、1960年代のF1の一戦に含まれていた頃に、ホンダが参戦を検討していたことがある[5]。
サプライヤー
エンジン供給は、ホンダ(1995年、2003年以降)のほか、過去に日産自動車(1997~2002年;インフィニティ名義)とトヨタ(2003 - 2005年)が行っている。初優勝は2003年にトヨタによって記録された(ドライバーはジル・ド・フェラン/チーム・ペンスキー)。
エンジン関係では、1987年から1991年にかけてジャッドにより供給されていたエンジンは元々はホンダがインディ500を含むCART参戦用に開発していたエンジンから発展したという経緯を持つという関係がある。
タイヤ供給は、ブリヂストンがファイアストン名義で行っている(1995年以降)[注釈 11]。
日本インディ
1966年10月、神彰の呼びかけにより、当時のインディ500出走ドライバーを招聘して「日本インディー200マイルレース」(通称「日本インディ」)が富士スピードウェイで開催された[6]。
テレビ放送
- 日本では、地上波ではかつてTBSやテレビ朝日で全国ネット生中継、2003年からは日本テレビで後日ダイジェスト放送(関東ローカル)がされていたが、2012年からは放送されていない。衛星放送ではインディカー・シリーズの一戦としてGAORAが生中継している。2019年からはこのほかNHK BS1で当日夜に録画中継。
- アメリカでは1965年から2018年までABCが毎年生中継をしていて、映画デルタ・フォースのテーマ曲The Delta Force Theme がオープニングや挿入曲として使われていた。2019年よりNBCが生中継を行う[7]。
- ^ (雨)は降雨によって途中で打ち切られたレース。
- ^ 太字はその時点での最速記録。ただしインディ500ではフルコースコーション中も周回数が数えられるため、実際のレーシングスピードは記録を上回る。
- ^ a b c d e f g h i インディアナポリス500における「ルーキー・ドライバー」による優勝。
- ^ 1916年のレースはレース距離300マイルとして開催。
- ^ 1924年のレースでは、ローラ・L・コラムがスタートさせた車をレース途中でジョー・ボイヤーが引き継ぎ優勝したため、両名が優勝者として扱われている。
- ^ 1941年のレースでは、フロイド・デイビスがスタートさせた車をレース途中でマウリ・ローズが引き継ぎ優勝したため、両名が優勝者として扱われている。
- ^ a b 1965年のチーム・ロータスと1974年のマクラーレンは、同年にF1のコンストラクターズタイトルも獲得している。
- ^ 2019年コロナウイルス感染症の影響により8月23日に延期し、無観客開催。
- ^ 平均レース時速最速記録。
注釈
- ^ この期間に参戦したF1ドライバーは1952年のアルベルト・アスカリ、1958年のファン・マヌエル・ファンジオ(エントリーしたが予選に参加せず)くらいである。なお世界選手権から外れた直後の1960年代にはこれよりも多くの参戦例がみられる。
- ^ これはインディ500に限らず他のオーバルレースでも同様であり、インディカーシリーズではシリーズに参戦するドライバーに対しROPとは別にルーキーテストを課している
- ^ エントリーしたドライバーとしてはフィリピンのライセンスを使用したジョビー・マルセロ(1992年、練習走行中に事故死)、中華人民共和国のライセンスを使用したホーピン・タン(2011年、予選落ち)、アラブ首長国連邦のライセンスを使っているエド・ジョーンズ(2017年初参戦)くらいしか例がない。
- ^ 人数には予選落ちして決勝を走っていない桃田健史と日系人のロジャー安川を含んでいる。
- ^ 優勝したリック・メアーズから51周遅れ。
- ^ メディアの投票によって選出される。いくつかの選出基準があるが、通常はルーキーの中で最上位の順位を記録した者に与えられることが多い。
- ^ 本名は松下弘幸だが、競技ライセンスでは「ヒロ松下 (Hiro Matsushita)」をエントリー名としていた。
- ^ エントリー名は「Tora Takagi」
- ^ アメリカ合衆国生まれ、日本育ちの日系アメリカ人。アメリカ合衆国の競技ライセンスで出走している。
- ^ リタイアした場合も周回数に応じて順位が与えられる。そのため、完走したドライバーより上位となることもある。
- ^ ファイアストン社はブリヂストンに買収された1988年以前にも、1911年の第1回大会から1970年代までインディ500にタイヤを供給していた。
出典
- ^ “6キロの直線「ユノディエール」を体験=ル・マンの風 現地レポートVol.3”. スポーツナビ. 2023年4月22日閲覧。
- ^ UPDATED TV Ratings: Indy 500, Coca-Cola 600, Monaco GP
- ^ 2022 QUALIFYING FORMAT(英語) - INDYCAR、2022年5月9日閲覧。
- ^ 場野守泰 (2017年). “コトバンク - インディ500” (Japanese). コトバンク、朝日新聞出版. 2018年5月20日閲覧。
- ^ “幻のHondaインディ計画” (Japanese). 本田技研工業. 2018年5月20日閲覧。
- ^ 大久保力・STINGER編集部. “第55回 日本インディは風の又三郎だったのか?!” (Japanese). STINGER. 2018年5月20日閲覧。
- ^ “2019シーズンから全戦をNBCが放送 | こちら GAORA INDYCAR 実況室”. 2019年4月20日閲覧。
- ^ This Is The 2017 Indy 500 Milk List - BLACKFLAG・2017年5月25日
- ^ Why the Indy 500 winner drinks milk, and why it can't be buttermilk - IndyStar・2021年5月24日
- ^ インディ500とは? Vol.3
- ^ 『インディー500』二玄社、1994年、p.114。
- ^ 『Racing On』No.271 ニューズ出版、1998年、p.116。
- ^ [1]
- ^ "Quilter's Newsletter Magazine" No.421
- ^ IMS Shifts Winners Ring Supplier - Inside Indiana Business・2017年5月13日
- ^ [2] - インディ500優勝ってどの位凄いの?= 全米の超有名メディアが大挙して取材を求めるレベルに凄い - FORMULA1 DATA 2018年1月9日
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