イングルウッド (カリフォルニア州) イングルウッド (カリフォルニア州)の概要

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イングルウッド (カリフォルニア州)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/03 16:20 UTC 版)

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イングルウッド
City of Inglewood
位置

カリフォルニア州におけるロサンゼルス郡(左図)およびロサンゼルス郡におけるイングルウッドの位置
座標 : 北緯33度57分27秒 西経118度20分46秒 / 北緯33.95750度 西経118.34611度 / 33.95750; -118.34611
歴史
1908年2月14日[1]
行政
アメリカ合衆国
  カリフォルニア州
  ロサンゼルス郡
イングルウッド
City of Inglewood
市長 ルーズベルト・F・ドーン
地理
面積  
  域 23.7 km2 (9.1 mi2)
    陸上   23.7 km2 (9.1 mi2)
    水面   0 km2 (0 mi2)
標高 40 m (131 ft)
人口
人口 (2010年現在)
  域 109,673人
    人口密度   4657.2人/km2(12062.1人/mi2
  備考 [2]
その他
等時帯 太平洋標準時 (UTC-8)
夏時間 太平洋夏時間 (UTC-7)
公式ウェブサイト : City of Inglewood

歴史

アメリカ合衆国以前

現在のイングルウッドとなった場所に最も初期に住んだ住民は、今日のエドワード・ビンセント・ジュニア公園(その歴史の大半ではセンティネラ公園と呼ばれた)にある天然泉を利用したアメリカ・インディアンだった。地元の歴史家グラディス・ワッディンガムは、これらの泉がそこから緩やかに立ち上がり、牧童達がその牛の群れを観察できた岡から「センティネラ」(歩哨)という名前を得たと記した[4]

ワッディンガムは、1781年にロサンゼルスの当初の開拓者達にまでイングルウッドの記録が残る歴史を辿った。その開拓者の中に「シナロアのロスアラモスから来た23歳のラバ追い」であるスペイン軍人ホセ・マヌエル・オルカド・マカドがいた。これらの開拓者達はサンガブリエル伝道所の役人から「伝道所の土地に侵入しないようにロサンゼルスの大洋側の土地で動物達に草を食ませる」よう命令された。その結果、開拓者達すなわち「ポブラドーレス」はセンティネラ・スプリングスに近い青々とした牧草地」にその牛の群れを追っていった。そこに最初に建設されたのは、「牛の群れを入れる囲いと小屋」を建てる許可を1822年に得ていたイグナシオ・アビラによってだった[4]

ランチョ・アガヘ・デ・ラ・センティネラのアドベ、1889年撮影

後にアビラはセンティネラ・スプリングスから大洋まで流れるクリークを見下ろす小さな丘に3室の日干しレンガ造りの家を建てた。LAOkayウェブサイト[5] に拠れば、この家は現在公園の野球場がある所に建てられたということであり、現在は存在しない。

1834年、ホセ・マカドの息子の一人、イグナシオ・マカドが、現在サンディエゴ・フリーウェイ405の高台にあり、センティネラ・バレー歴史協会の本部として使われているセンティネラ・アドベ[6] を建設した[4]。ワッディンガムに拠れば、2年後にイグナシオ・マカド[7] は2,220エーカー (8.8 km2) のランチョ・アガヘ・デ・ラ・センティネラの土地特許を得たが、この土地は既にアビラによって所有権主張されていた[4]

イングルウッドの設立

センティネラ・バレーは幾らかの小作農やフリーマンの牧場労働者を除けば、ほとんど人が住んでいないままだった。1880年代にロサンゼルス郡で起こった土地ブームによって、このバレーの様相が劇的に変化した。ロサンゼルスから来た開発推進者が土地開発の可能性を求め、センティネラ・スプリングス近くに町を区画することを望んだ。1887年、センティネラ・イングルウッド土地会社が結成され、その年8月にダニエル・フリーマン所有の3つの牧場の測量を始めた。フリーマンはこの会社の長期計画に興味を持ち、その上等の果樹園地11,000エーカー (44 km2) を会社に1エーカーあたり1.25ドルで売却した。この土地がイングルウッド市になった。

センティネラ・イングルウッド土地会社は当初その開発地をセンティネラ・コロニーと名付けた。彼等は20、40、80および160エーカー(8万、16万、32万および64万平方メートル)の小区画に分割した。住宅地区は1区画200ドルないし750ドルに設定された。農地は1エーカーあたり200ドルないし400ドルとされた。素晴らしい果樹園用土地は1エーカーあたり600ドルから1,500ドルの間で挙げられた。センティネラ・コロニーは土地ブームの中でも最も成功した分譲地の一つになり、1888年には売上げ100万ドル以上を計上した。そこが存在し始めた最初の年だけで、宣伝費2万ドルという信じられないような金が費やされた。当時の地元不動産大立て者は土地会社の取締役の中にもおり、ダン・マクファーランド、エドワード・C・ウェブスター、L・T・ガーンジーおよびローズミードの設立者レナード・J・ローズ等がいた。

1887年、ロサンゼルスとサンタモニカ湾を結ぶ鉄道が開通した。この線はカリフォルニア・セントラル鉄道(アッチソン・トピカ・アンド・サンタフェ鉄道の前身)によって建設され、フリーマンの牧場の中央を抜けるコースを採った。この線はロサンゼルス・アンド・バロナ支線と呼ばれ、センティネラ・コロニーには操車場が建設された。他にもセンティネラ駅からレドンド・ビーチに延びる鉄道線が建設された。1888年、センティネラ・イングルウッド土地会社はレドンドの土地開発者と合併し、レドンド・ビーチ・アンド・センティネラ・イングルウッド土地会社という名前で再編された。

1888年にはこの若い町の全区画が販売され、2つの事業用ブロックが完成した。町の名前はセンティネラからダニエル・フリーマンのカナダの故郷町から「イングルウッド」に変えられた。風格のある優美なホテルの建設が行われていた。フリーマンの納屋の一つがイングルウッドでは初めての学校の一つに使われた。町の人口は土地ブームのピークだった1888年に300人だった。畜産と農業を重点とする応用科学カレッジを造る計画が進行した。このカレッジは南カリフォルニア大学によって運営されることになっていた。ダニエル・フリーマンは大学のために60万ドルを寄付し、そのうち10万ドルは建物の建設に充てられるとされた。

フリーマンがイングルウッドの区画を設計したとき、自分には新しい邸宅を建てるためにセンティネラ・スプリングス近くの60エーカー (24 ha) を選んだ。彼は1888年にその区画に豪勢な3階建てビクトリア様式の邸宅を建て始め、翌年完工した。それが完成したとき、フリーマンはセンティネラの原始的日干しレンガの家を離れて新しい豪勢な家に移った。フリーマン邸宅はノースプレーリー・アベニュー333番である。古い日干しレンガの家は1912年までフリーマンの牧場監督の住居になっていた。

1889年、巨大な金融危機で大土地ブームを終わらせた。南カリフォルニアの不動産開発者の大半にとって破壊的なものになり、幾つかの町は忘れられたものとなった。イングルウッドは他よりはましだったが、それでも悪影響があった。完成されたばかりのホテルは使われる前に破産し、ダニエル・フリーマンのカレッジ計画は永遠に葬られた。1890年、フリーマンは土地会社が売れなかった区画を全て取り戻した。イングルウッドの町は生き残り成長を続けた。1908年には人口1,200人で市制が布かれた。1920年から1925年、イングルウッドは全米でも成長速度の最も速い都市になった。

20世紀

この地域で広く使われているイングルウッド公園墓地は1905年に設立された[8]。イングルウッドには1938年以降、ハリウッドパーク競馬場がある。カリフォルニア州で最初のソフトクリーム販売チェーン店であるフォスターズ・フリーズは1946年にイングルウッドで設立された[9]。イングルウッドは1989年に、また最近では2009年にその目覚ましい発展によって全米都市賞を受賞した[10]

2003年11月6日発行の雑誌「ロサンゼルス・シティビート」に掲載されたデニス・ロメロの記事では、ヒスパニック系ギャングがこの年、それまで住んでいたウエスト・ロサンゼルス地区の高い家賃、すなわちジェントリフィケーションの結果として、さらに警官の数が増えたことの結果としてイングルウッドに移動したという3つの情報源を挙げている[11]

アフリカ系アメリカ人の影響

グラディス・ワッディンガムは、「イングルウッドにはかつて黒人が住んでいなかった」が、1960年までに「市の東部境界に多く住むようになった。1960年の国勢調査ではイングルウッドの人口63,390人の中に、黒人はわずか29人しかいなかった。市の学校に通っている黒人の子供は一人もいなかった。不動産屋は黒人に家を見せることを拒んだ。夜の通りから黒人を締め出すという噂があった。イングルウッドは以前の規制という歴史があったために、主要な標的になった。」と書いた[4]。「公平な住居やスクールバスが1964年の大きな問題だった。学校はたとえどんなに小さな事でも人種問題を扱うことの準備ができていなかった。黒人達が白人と同じようにバスに乗れるように抗議したので、大人達は多くの過熱された地域社会集会を開いた。[4]1969年、「モーニングサイド・ネイバーズ」という組織が人種差別の撤廃が進むことを期待して、その名前を「イングルウッド・ネイバーズ」に変えた[4]

イングルウッドにある18の学校で初めての黒人校長は1971年にラ・ティヘラ小学校長に就任したピーター・バトラーだった。ワッディンガムは「1971年の嵐のような人種問題集会」では「クロージャー集会所に溢れた不動産業者」からの人種間問題委員会は「ゲシュタポ」のように行動しているという告発があった、と記した[4]

1972年カーティス・タッカー・シニアが黒人最初の市政委員会委員に指名された[4]。この年アフリカ系アメリカ人作曲家レロイ・ハートがイングルウッド交響楽団の指揮を執り、その後20年間も続けた[4]。1980年には、エドワード・ビンセントがイングルウッドで初めての黒人市長になった。1980年代にイングルウッドはマーティン・ルーサー・キング・ジュニアの誕生日を休日と宣言することではカリフォルニア州で最初の都市になった[4]

2000年の国勢調査で、黒人人口は53.060人となり市人口の47%となり、ヒスパニック系も51,289人で46%となったが、2007年の推計では、黒人の比率は41%(48,252人)にまで低下し、ヒスパニック系が52.5%(61,847人)と伸びていた。白人の人口比率は19%(21,505人)から17.7%(20,853人)に低下した[12][13]

地理

ランディのドーナッツはイングルウッドの目印である、405号フリーウェイ近くにある

アメリカ合衆国国勢調査局に拠れば、市域全面積は9.1平方マイル (23.7 km2)で、すべて陸地である。中心街はロサンゼルス国際空港から4.15マイル (6.6 km) の距離にある。


  1. ^ a b “City History”. City of Inglewood. http://www.cityofinglewood.org/about/city_history.asp 
  2. ^ a b American FactFinder. U.S. Census Bureau. 2011年2月4日. 2011年4月5日閲覧
  3. ^ Nick Green, "Racing to Tomorrow," Daily Breeze, March 14, 2009
  4. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad Waddingham, Gladys (1994). The History of Inglewood. Inglewood: The Historical Society of Centinela Valley 
  5. ^ “Things To Do In Los Angeles”. LAOkay.com. http://www.laokay.com/AdobeSites.htm#Inglewood 
  6. ^ Centinela Adobe
  7. ^ Waddingham used the spelling Ignacio for both Avila and Machado.
  8. ^ “Inglewood Park Cemetery: Living Heritage”. Inglewood Park Cemetery. http://www.inglewoodparkcemetery.org/heritage.html 
  9. ^ “Fosters Freeze: Company History”. Fosters Freeze. http://www.fostersfreeze.com/Company.html 
  10. ^ “Past Winners of the All-America City Award”. National Civic League. http://www.ncl.org/aac/past_winners/past_winners_1980s.html 
  11. ^ Romero, Dennis. Gangster's Paradise Lost." LA City Beat. November 6, 2003. Retrieved on May 5, 2009.
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  14. ^ “City of Inglewood: Departments - Library”. City of Inglewood. http://www.cityofinglewood.org/depts/library/default.asp 
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