インカ帝国 宗教

インカ帝国

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/01/19 14:23 UTC 版)

宗教

インカ神話

創造神話

ヨーロッパにおける最初のインカのイメージ(1553年)
マンコ・カパック、ママ・オクリョとインティの息子

インカには様々な創造神話が存在した。

ビラコチャ伝説

ビラコチャ伝説では次のとおりである。ビラコチャは、村を建設するためにクスコに近いパカリ・タンプ (Paqariq Tanpu) という所で暮らしていた4人の息子(マンコ・カパック(Manqu Qhapaq:ケチュア語で素晴らしい基礎)、アヤ・アンカ(Ayar Anca)、アヤ・カチ(Ayar Kachi)、アヤ・ウチュ(Ayar Uchu))と4人の娘(ママ・オクリョスペイン語版英語版(Mama Ocllo)、ママ・ワコ(Mama Waqu)、ママ・ラウア(Mama Rawa)、ママ・クラ(Mama Cura))(彼らはアヤル兄弟として知られている)を送り出し、旅の途中にマンコとママ・オクリョの間に生まれたシンチ・ロカが、自分たちのクスコの谷に仲間を導き新しい村が開かれた。また、兄弟姉妹たちはクスコの谷へ遠征しながら近隣の10の部落を併合していったとも伝えられている。この時、支配者の象徴である金の杖が父ビラコチャによりマンコ・カパックに与えられたとされるが、一説にはマンコ・カパックは兄を嫉妬と裏切りで殺してクスコの支配者になり、マンコ・カパック(Manco Capac)として知られるようになったとされる[注釈 2][14]

インティ伝説

別の起源神話であるインティ伝説では次のとおりとなる。太陽神インティがチチカカ湖の深みから出てくるよう命じると、湖の中からマンコ・カパックとママ・オクリョが生まれた。彼らは兄弟たちとともにパカリタンボ (Pacaritambo) という洞窟からこの世に遣わされたともいう。インティはタパク・ヤウリ (Tapac Yauri) と呼ばれる金の杖を与え、その杖が地面に沈む地に太陽の神殿を作るように指示した。マンコ・カパックはママ・オクリョたちとともにクスコの町を建設するために地下の道を通って北上し、クスコで父インティを讃える神殿を建設した。クスコへの旅の途中、何人かの兄弟は石になり、偶像(ワカ : Huaca)になった。彼らは、クスコ下王朝クスコ王国第1王朝)を打ち立てた。

その他伝説

また、別の説では太陽神インティが地上の野蛮な生活ぶりを哀れんだために息子と娘を地上へ使わしたが、チチカカ湖に降り立った後、金の笏を投げるとクスコ盆地のワナカウリの丘で地中深くに沈んだ。そこで兄妹二人でインティの言葉に従い、クスコに都を築いて周辺の未開な人々に文化を与えてインカ帝国の礎を築く事になったとしており、兄の名前がマンコ・カパック、妹の名前がママ・オクリョ・ワコであった[15]

マンコ・カパックとママ・オクリョはチチカカ湖にある太陽の島(Isla del sol)に現れたとも、湖の彼方からやってきたとも、天から降り立ったともいわれる。さらにママ・オクリョは太陽の島ではなく隣の月の島(Isla de la luna)に現れたともいわれる。マンコ・カパックは天の神パチャカマック(Pachacamac)の兄弟ともされる。

複数の伝承の矛盾に気づかせないために、庶民はビラコチャの名を口にすることが禁じられていたといわれる。これらの神話は、スペイン人の植民者により記録されるまで口伝で継承されたと考えられているが[16]キープに記録していたのではないかと考える研究者もいる[17]

なお、伝承に残っているインカ帝国の王(皇帝)のうち、この初代のマンコ・カパックだけは実在しない人物であるという説もある[18]

ミイラ信仰

インカ帝国が西海岸部の砂漠地帯を領土に取り込んだ際、現地にあったミイラ信仰をとりこんだ。歴代の皇帝はこれを人心掌握や権威の保持など、政治的に利用した。例えば、インカがアマゾンに接した地域を征服する際、その地域ではそれまでは崖の中腹にある穴に先祖の骨を置いて墓としていたが、インカはそれらの骨を打ち捨てて代わりに布を巻いたミイラを崖に安置するようにした。こうして半ば強引に征服地の民衆の心の拠り所をインカの中央政権に刷りかえさせたのだった。また、歴代皇帝は死後ミイラにされて権威が保たれ、皇帝に仕えていた者達はそのミイラを生前と同じように世話をすることで領土や財産を保持した。これは即ち、次の皇帝は前の皇帝から遺産を相続できないということであり、結果、即位した新しい皇帝は自分の財産を得るために領土拡張のための遠征を行わざるを得なかった。代を重ねるにつれ死者皇帝が現皇帝の権威を凌ぐようになり、必然的に各々のミイラに仕える者達の権力も増大。それに対抗するため12代目の皇帝が、それまでの全ての皇帝のミイラの埋葬と、そのミイラとそれに仕える者達の所領や財産の没収を企て、それが内乱へと発展。その混乱の最中にスペインの侵攻があり滅亡した[19]




注釈

  1. ^ 現在、ペルーボリビアにおいてはインカ帝国ケチュア語アイマラ語公用語として認められ、エクアドルにおいても公用語にこそなっていないものの、ケチュア語は初等教育機関で教えられている。この場合アルファベットにより文字化されている。
  2. ^ 上記説はエルインカ・ガルシラソによるもの。その他にもホアン・デ・ベタンソスによれば四組の夫妻とされており、アヤル・カチとママ・グァコ、アヤル・オチェとクラ、アヤル・アウカとラグア・オクリョ、アヤル・マンコとママ・オクリョ。シエサ・デ・レオンによれば三組の夫妻とされている[13]

出典

  1. ^ 島田・篠田編 (2012) 第5章
  2. ^ ピース (1988)、pp.87-88.
  3. ^ Millersville University Silent Killers of the New World
  4. ^ 増田編 (2000) p.125
  5. ^ イナミネ/山脇 (1995)
  6. ^ 島田・篠田編 (2012) 第2章、第3章
  7. ^ 島田・篠田編 (2012) 第9章
  8. ^ ピース (1988)、pp.137-138.
  9. ^ ピース (1988)、p.134.
  10. ^ 大貫 (1995)
  11. ^ Starn, Degregori, Kirk (1995)
  12. ^ 島田・篠田編 (2012) 第7章
  13. ^ ピース (1988)、p.46.
  14. ^ Urton (1990)
  15. ^ ピース (1988)、pp.45-46.
  16. ^ ピース (1988)、p.51.
  17. ^ Gary Urton, Signs of the Inka Khipu: Binary Coding in the Andean Knotted-String Records (Austin: University of Texas Press, 2003).
  18. ^ ピース (1988)、pp.50-51.
  19. ^ 島田・篠田編 (2012) 第14章
  20. ^ 島田・篠田編 (2012) 第12章
  21. ^ a b 島田・篠田編 (2012) 第10章





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