イラン
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文化

イランは文化、すなわち美術、音楽、建築、詩、哲学、思想、伝承などの長い歴史がある。イラン文明が数千年の歴史の波乱を乗り越えて今日まで連綿として続いてきたことは、まさしくイラン文化の賜物であった、と多くのイラン人が考えている。
イランのイスラーム化以降は、イスラームの信仰や戒律が文化全般に影響を及ぼしている。イスラームのシーア派を国教とするイラン革命後の現体制下では特にそれが強まり、法的な規制を伴っている。例えば書籍を販売するには、イスラムの価値観に合っているかが審査される[82]。
食文化
米料理が多く食べられる。また、カスピ海やペルシャ湾から獲れる魚料理に、鳥・羊・牛などの他、ラクダ|駱駝等も用いる肉料理、野菜料理などは種類豊富。最もポピュラーなのは魚・肉などを串焼きにするキャバーブである。野菜料理は煮込むものが多い。ペルシア料理研究家のナジュミーイェ・バートマーングリージー(Najmieh Batmanglij)は、自著『New Food of Life』で「イラン料理はペルシア絨緞同様に、色彩豊かでかつ複雑である。他の中東料理と共通する部分は多いが、もっとも洗練され、創意に富むといわれる」と述べている。
イラン革命以前は飲酒が盛んであり、現在でも密かに飲まれている[83]。
文学
ペルシア文学は高く評価される。ペルシア語は2500年にわたって用いられ、文学史上に明瞭な足跡を残している。イランにおいては詩作が古代から現在まで盛んであり続け、中世の『ライラとマジュヌーン』のニザーミー、『ハーフェズ詩集』のハーフィズ、『ルバイヤート』のウマル・ハイヤーム、『シャー・ナーメ』のフィルダウスィー、『精神的マスナヴィー』のジャラール・ウッディーン・ルーミーらのように、イラン詩人らの詩美は世界的に注目を浴びた。
20世紀に入ると、ペルシア新体詩をも乗り越え、ノーベル文学賞候補ともなったアフマド・シャームルーや、イラン初の女流詩人パルヴィーン・エーテサーミー、同じく女流詩人であり、口語詩の創造を追求したフォルーグ・ファッロフザードのような詩人が現れた。
小説においても20世紀には生前評価を得ることはできなかったものの、『生き埋め』(1930年)、『盲目の梟』(1936年)などの傑作を残したサーデグ・ヘダーヤトが現れた。
哲学
イスラーム化以後、イラン世界ではイスラーム哲学が発達した。11世紀には中世哲学に強い影響を及ぼしたイブン・スィーナー(ラテン語ではアウィケンナ)や哲学者にしてスーフィーでもあったガザーリーが、17世紀には超越論的神智学を創始したモッラー・サドラーが活動した。
音楽
クラシック音楽においては新ロマン主義音楽作曲家として『ペルセポリス交響曲』などイラン文化を題材とした作品を書いたアンドレ・オッセンや、指揮者であり、ペルシャ国際フィルハーモニー管弦楽団を創設したアレクサンダー・ラハバリらの名が特筆される。
ポピュラー音楽に於いてはイラン・ポップと総称されるジャンルが存在する。ロックは禁止されているが、テヘランのロック・バンド Ahoora のアルバムはアメリカやヨーロッパでも発売されている。その他には、127、Hypernova、Angband、Kiosk、The_Yellow_Dogs_Band などのバンドや、Mohsen Namjoo、Agah Bahari、Kavus Torabi らのミュージシャンも国内外で広く活動をしている。
映画
イラン映画は過去25年間に国際的に300の賞を受賞し、全世界的に評価されている。イランにおいて初の映画館が創設されたのは1904年と早く、イラン人によって初めて製作されたトーキー映画はアルダシール・イーラーニーによる『ロルの娘』(1932年)だった。イラン革命以前のモハンマド・レザー・パフラヴィーの治世下ではハリウッド映画やインド映画が流入した一方で、『ジュヌーベ・シャフル』(1958年)で白色革命下の矛盾を描いたファッルーフ・ガッファリーや、『牛』(1969年)でヴェネツィア国際映画祭作品賞を受賞したダールユーシュ・メフルジューイーのような社会派の映画人が活動した。
現代の著名な映画監督としては、『友だちのうちはどこ?』(1987年)、『ホームワーク』(1989年)のアッバース・キヤーロスタミー(アッバス・キアロスタミ)や、『サイレンス』(1998年)のモフセン・マフマルバーフ、『駆ける少年』のアミール・ナーデリー、『風の絨毯』のキャマール・タブリーズィー、『ハーフェズ ペルシャの詩』(2007年)のアボルファズル・ジャリリなどの名が挙げられる。アスガル・ファルハーディー監督の映画『別離』(2011年)は、ベルリン国際映画祭の金熊賞とアカデミー賞の外国語作品賞を受賞した。
祝祭日
日付 | 日本語表記 | 現地語表記 | 備考 |
---|---|---|---|
イスラーム暦 モハッラム月(1月)9日 |
タースーアー | 第3代エマーム・ホセインがウマイヤ朝軍に包囲され負傷した日 | |
イスラーム暦 モハッラム月10日 |
アーシューラー | 「正義が悪に敗れた日」 第3代エマーム・ホセインの殉教を追悼する。 | |
イスラーム暦 サファル月(2月)20日 |
アルバイーン | アーシューラー後40日間の喪が明ける日 | |
イスラーム暦 サファル月28日 |
預言者ムハンマド昇天日 | 最後の預言者ムハンマドの命日 | |
イスラーム暦 サファル月28日 |
エマーム・ハサン・モジタバー殉教記念日 | 第2代エマームの命日 | |
イスラーム暦 サファル月29日 |
エマーム・レザー殉教記念日 | 第8代エマームの命日 | |
イスラーム暦 ラビーヨル・アッヴァル月(3月)17日 |
預言者ムハンマド生誕日 | 最後の預言者ムハンマドの誕生祭 | |
イスラーム暦 ジャマーデヨル・サーニー月(6月)3日 |
ファーテメ・ザフラー殉教追悼記念日 | 預言者ムハンマドの娘、初代エマーム・アリーの妻、第2代ハサン、第3代ホセインの母の命日 (命日には諸説あるがイランではこの日が公式の休日) | |
イスラーム暦 ラジャブ月(7月)13日 |
エマーム・アリー生誕日 | 初代エマームの誕生祭 | |
イスラーム暦 ラジャブ月27日 |
マブアス | ムハンマドがアッラーから預言者に任じられた日 | |
イスラーム暦 シャアバーン月(8月)15日 |
ニーメイェ・シャアバーン | 第12代エマーム・マフディー(隠れエマーム)の誕生祭 | |
イスラーム暦 ラメザーン月(9月)21日 |
エマーム・アリー殉教記念日 | 初代エマームの命日 | |
イスラーム暦 シャッヴァール月(10月)1日 |
エイデ・フェトゥル | 断食明けの祭 | |
イスラーム暦 シャッヴァール月25日 |
エマーム・ジャアファル・サーデグ殉教記念日 | 第6代エマームの命日 | |
イスラーム暦 ズィー・ガアデ月(11月)11日 |
エマーム・レザー生誕日 | 第8代エマームの誕生祭 | |
イスラーム暦 ズィー・ハッジェ月(12月)10日 |
エイデ・ゴルバーン | 犠牲祭。家畜を犠牲にささげアッラーを賛美する。 | |
イスラーム暦 ズィー・ハッジェ月18日 |
エイデ・ガディーレ・ホンム | 初代エマーム・アリーが預言者ムハンマドから後継者に任じられた日 | |
イラン暦 ファルヴァルディーン月(1月)1〜4日 |
ノウルーズ | 新年祭(春分の日、グレゴリオ暦の3月21日ごろ) | |
イラン暦 ファルヴァルディーン月12日 |
イラン・イスラーム共和国記念日 | 1979年イラン・イスラーム共和国建国を記念する。 | |
イラン暦 ファルヴァルディーン月13日 |
スィーズダ・ベ・ダル | 「正月13日」に家にいるのは不吉とされている。 | |
イラン暦 ホルダード月(3月)14日 |
エマーム・ホメイニー師追悼記念日 | イラン・イスラーム革命の指導者の命日 | |
イラン暦 ホルダード月15日 |
ホルダード月15日の流血蜂起記念日 | 1963年、ホメイニー師が皇帝を非難して逮捕されたことに反発した国民の暴動を記念する。 | |
イラン暦 バフマン月(11月)22日 |
イラン・イスラーム革命記念日 | 1979年イスラーム革命によるパフラヴィー朝崩壊を記念する。 | |
イラン暦 エスファンド月(12月)29日 |
石油国有化記念日 | 1951年のイギリス資本アングロ・イラニアン石油会社(AIOC)の国有化を記念する。 |
イラン暦の元日にあたる春分の日に祝われる新年(ノウルーズ)の祝祭は2009年にユネスコの無形文化遺産に登録されている。
婚姻
通常、婚姻時に改姓することはない(夫婦別姓)が、夫の姓を後ろに加える女性もいる[84]。
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注釈
出典
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イ・ラン
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イ・ラン(이랑、1986年 - )は、韓国のシンガー・ソングライター[1]、コミック作家[2]、映像作家[2]、イラストレーター[3]、エッセイストである[3]。
注釈
出典
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- 1 イ・ランとは
- 2 イ・ランの概要
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