アントニオ猪木 政治

アントニオ猪木

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/03 15:28 UTC 版)

政治

略歴

  • 1989年平成元年)、「スポーツを通じて国際平和」の合言葉で、スポーツ平和党を結成。同年に行われた第15回参議院選挙に比例区から出馬し初当選し、史上初のレスラー出身の国会議員(=参議院議員)となり、「猪木チャリティーテレホン」(ダイヤルQ2)など様々な政治活動を行った。
    • 日本のスポーツ新聞東京スポーツ』は "レスラー・猪木" と "参議院議員・猪木" で扱いを分けていた。「猪木」と呼び捨ての記事にした場合はレスラー・アントニオ猪木、「猪木さん」「猪木氏」と書いた場合は参議院議員・猪木寛至についての記事。
  • ソビエト連邦から勇利アルバチャコフオルズベック・ナザロフをはじめとするアマチュアボクシングのトップ選手を親交の深い金平正紀率いる協栄ボクシングジムに預け「映画『ロッキー4』の世界を現実化させる」と謳い、日本でプロデビューする道を拓いた。後に薬師寺ボクシングジム後援会名誉会長として薬師寺保栄を支援し、同時にソ連のアマチュアレスリングのトップ選手サルマン・ハシミコフ・ビクトル・ザンギエフなども新日本プロレスでプロデビューさせた。
  • 湾岸戦争前夜にイラクにおいて行ったイベントにより、人質状態にあった在留日本人と全人質の解放に貢献。なお、北朝鮮でもイベント「平和の祭典リック・フレアーと対戦し勝利を収めている)」を開催した。翌1996年(平成8年)春、自身は落選し前議員ながら崔鉄洙を協栄ジムからプロデビューさせる道を拓いた。
  • 1992年(平成4年)7月に実施された第16回参議院議員通常選挙には、比例代表候補として元阪神タイガースのプロ野球解説者江本孟紀を擁立。当選し参議院会派で2議席目を獲得。
  • 猪木は第8代自民党総裁清和政策研究会初代会長の福田赳夫に可愛がられ、福田の実弟の福田宏一が猪木の格闘家としての後援会会長を務め、また福田の愛弟子で第19代自民党総裁・清和会第4代会長森喜朗とも親交が深い。
  • 二階堂進は日本プロレスリングコミッション(新日本プロレス・国際プロレス)のコミッショナーも務めていた。1985年(昭和60年)、新国技館(両国国技館)の新日本プロレス使用を、前年の蔵前国技館でのファンの暴動騒ぎ(IWGPリーグ戦第二回大会決勝戦の項を参照)から相撲協会が貸し出しを渋った際には、仲介の労をとった。
  • 1993年(平成5年)、元秘書による猪木の金銭スキャンダルを告発した本『議員秘書、捨身の告白』の出版や、1995年(平成7年)にスポーツ平和党の幹事長であった新間寿による猪木の買春疑惑の告発の影響により、同年の参議院選挙で落選する[239]
  • 同年、突如江本孟紀副代表と党の運営を巡って対立する。特に党運営に関わる金銭疑惑による猪木への不信感は2人の関係に大きな亀裂を生じてしまう。江本は離党し無所属になってしまい、元公設第1秘書(借金問題で一度は解雇された)だった、猪木の実兄である猪木快守テノール歌手・パブロ猪木)が党首(代表)に就任。
  • その後スポーツ平和党は主立った政治活動を行わなくなり、2007年(平成19年)3月には公式サイトを閉鎖。既に政治団体解散届を総務大臣に提出している。
  • 2013年(平成25年)に第23回参議院議員通常選挙日本維新の会から比例代表で出馬し当選。国政復帰した。翌年の日本維新の会分党時には石原慎太郎グループ(次世代の党)に参加したが、2015年(平成27年)に離党し日本を元気にする会の結党に参画した。2016年(平成28年)の会派「日本を元気にする会・無所属会」解散後は会派「無所属クラブ」に異動した。

イラク在留邦人人質解放までの真相

1990年(平成2年)湾岸戦争が危惧される中、イラクサッダーム・フセイン大統領は、在留外国人を国外出国禁止(事実上の人質)とした。その中に多くの日本人が含まれており、安否が気遣われていたが、外務省主導による、人質解放交渉は遅々として進まなかった。

解決の糸口さえ見えない外務省の人質交渉に痺れを切らした猪木は、被害者家族等を率いてあえて緊張高まるイラクでのイベント"スポーツと平和の祭典"を行うため、バグダードに向かうということを決断する。

猪木に対して外務省はイラク行きを止めるよう説得するもこれを拒否。すると今度は人質被害者家族に対し圧力を掛け「いつ戦争が起こるか分からないし、日本政府としては責任を持てない。そんな所に行くことはまかりならん、もしどうしても猪木議員とイラクに行く場合は、……それはあなた方も含めて命の保証が無いという意味です」と猛烈に反対した。イラク邦人人質被害者家族(あやめの会)は悩んだ末に、外務省が動かないために、猪木に全てを託すことにしたのである。

1990年(平成2年)11月、猪木は日本の各航空会社にイラクへの出航を要請したが、外務省の強い圧力もあり、他のいずれの航空会社も拒否してきたことでイラクへの直行便の計画は暗礁に乗り上げた。やむなく猪木は、園遊会の会場で当時の駐日トルコ特命全権大使に懇願したところチャーター機の費用を猪木個人が負担することが条件で、トルコ大使の仲介によりトルコ航空の協力でバグダード入りが可能となった。

1990年(平成2年)12月1日、平和の祭典関係者や人質被害者41家族46人と共にトルコ経由でバグダード入りを果たした。この時フセイン大統領は、一国会議員でしかない猪木を国賓級の扱いで迎えたという。

イラクでのスポーツと平和の祭典は邦人人質を中心に人質被害者家族とイラク人観衆が会場を中心に向き合う中で始まり、12月2日、3日の両日に渡り、ロックコンサートと、日本の大太鼓を初めとする伝統芸能や空手トーナメント、そして最後にプロレスが行われ無事終了し平和の祭典は成功を収める一方、イベント開催中に家族の面談は許されたものの解放までには至らなかった。

焦りと落胆の中、帰路に着くべく機中に着いた時、フライト直前の猪木にイラク政府から「大統領からお話があります」と告げられ急遽猪木だけ飛行機を降り、この結果まず12月5日在留邦人の解放が決まり、7日には人質全員の解放が決定する。

猪木はかつて新日本プロレスのパキスタン遠征において、格闘技の英雄アクラム・ペールワンと対戦し腕を折るなどして勝利を収めると一躍国民的一大事になり、同行した妻の倍賞美津子と共に猪木が国王と並んで国民に挨拶をする姿が当地のマスメディアで大きく紹介された。その後パキスタン人ジャーナリスト、フマユン・A・ムガールの計らいにより4度パキスタン遠征を行い、パキスタンでは毎年12月8日は猪木の日として登録されている。

東京都知事出馬と撤退

1991年東京都知事選挙に、かつてNHKのニュースキャスターだった磯村尚徳が出馬を表明した後に出馬を表明したが、マスコミから「なぜ出馬したのか?」と聞かれた際、猪木は「彼(磯村)には、かつて『ニュースセンター9時』でアリとの試合を茶番扱いされたので」と答えた。

その後スポンサー佐川急便佐川清会長、総理大臣及び自民党総裁経験者で清和研創始者の福田赳夫や、その愛弟子の森喜朗及び三塚博に説得され、出馬を断念し磯村と政策協定を結んだ。出馬断念に至る裏には、数千万円の現金が動いたとの証言があり、東京スポーツの激闘の永田町にスクープを書いた菊池久を、名誉毀損と約300万円の損害賠償を求めて民事提訴し、マスコミを賑わせたが、判決は領収書の所在が不明との判断で金銭授受を否定して菊池側の敗訴となった。

地裁判決には、猪木と新間寿も出廷していたが、判決後には猪木が菊池久に対して『もう少しうまく話し合いが出来ればねえ』と余裕の表情で語っていた。

なお、猪木の出馬撤回に触発され内田裕也が出馬している。

参議院落選まで

1995年(平成7年)参議院出馬するが、1993年(平成5年)に佐藤久美子元公設第1秘書とスポーツ平和党前幹事長新間寿に告発された「政治資金規正法違反の問題」「賄賂の問題」「右翼(日本皇民党)との癒着問題」「佐川急便会長の依頼で東京都知事降板問題」「税金未納問題」、「女性問題」、「拳銃密輸及び拳銃所持疑惑」などのスキャンダルが発覚。政治資金規正法違反については時効となり、処分はまぬがれたがこの影響により落選。

数多くのスキャンダルに対して猪木本人は完全に否定した。

朝鮮半島問題との関わり

師匠の力道山が故郷の韓国を訪問していたことを知った猪木は、参議院議員時代の1994年(平成6年)9月に金容淳の招きで初めて北朝鮮を訪問し、何人かの要人と力道山の娘に会った。その後、30回以上北朝鮮を訪問している。猪木は月刊誌「世界」のインタビュー記事で「日本の政治家たちは北朝鮮問題に先入観を持っており、拉致と制裁以外に何も言わない。戦前・戦後の知識を持たないため、相手を理解せず日本の基準で判断して主張する。それでは相手と衝突するだけで何も進まない」と批判している。拉致担当大臣が直接北朝鮮に行って対話と交渉をすべきで、国力の優位を利用して落ち着いた寛大な外交をするべきと主張し、「スポーツ交流を通じて世界平和を」を理念に、国家間の話し合いのきっかけになっていきたいと語っている[240]

2013年7月に26回目の訪朝をして北朝鮮政府の要人と会談をした猪木は、帰国後に日本外国特派員協会で記者会見を開き、拉致被害者名簿の信頼性や拉致問題を国際社会に訴えて解決することについて疑問を抱いていること、「拉致が解決したら、我々は幸せになれますかね?」と発言して独自の見解を示した[241]。ただし、拉致問題の解決に否定的なわけではなく、SAPIO2015年2月号のインタビューでは「拉致問題担当大臣が10人以上も代わっているようでは、北朝鮮側もまともな交渉をすることはできない」「必要があるのなら、朝鮮労働党幹部と信頼関係を築いてきた私をいつでも使えば良い。選挙で拉致問題のパフォーマンスをしている議員とは違い、自分は命がけでやる」とし[242]、2016年9月の31回目の訪朝中には現地の日本人女性3人と接触し「八十何歳とお年を召されている。そういう方々の『故郷に帰りたい』という夢を実現させたい。帰国できるように呼びかけていきたい」とも述べている[243]

2016年5月に行われた朝鮮労働党第7次大会にて金正恩が党委員長に推戴されたことを受け、祝福の花かごを贈っている[244]

2018年9月に行われた北朝鮮建国70周年式典に合わせ33回目の訪朝[245]。北朝鮮側は2020年東京オリンピックについて参加する意向を猪木に伝えた(後に不参加を表明)。また、李洙墉(リ・スヨン)朝鮮労働党副委員長(当時)とも会見。拉致問題について「猪木先生だから話すけど、口外しないでください」と言われたことを明らかにしている[246]

2019年に政界を引退してからも訪朝に意欲を示していたが、2018年の訪朝が最後となった。

なお、猪木の姿勢は時に国会議員からも賛否両論が飛び交うこともある[243]広島大学客員教授で、朝日新聞外交専門記者の牧野愛博によると、北朝鮮関係筋の話として、北朝鮮が猪木の訪朝を受け入れ続けたのは猪木に日朝関係改善の密使役を期待していたわけではなく、日本の世論工作に便利だと考えただけとし、猪木も北朝鮮もお互いに相手を利用した、と関係筋はみているという[247]


注釈

  1. ^ 猪木自身が語るところによれば、「本来は“完至”だったんだが、横浜大空襲(1945年5月29日)の時に鶴見の区役所が燃えてなくなり、(猪木家の)戸籍も焼失したので、父が改めて戸籍登録した際に『寛至』に変えたんじゃないか」という。猪木の母からの書簡にも「完至」と記載されていることからも、猪木家では猪木の名前については「完至」と認識されていたと考えられる[6]
  2. ^ 長兄は同行せず。祖父は渡航中に船上で毒性のある未熟なバナナを食べて死去。
  3. ^ 試合前に長州力の不意打ちのラリアットをくらいピンフォール負けするなど、非常に苦しいトーナメントであった。
  4. ^ このスカイダイビングに猪木は10億円の保険を掛けていた。
  5. ^ モハメド・アリの娘や猪木の娘(サイモン猪木の妻)などが参戦を表明していた。
  6. ^ 日系アメリカ人では過去にミスター・フジが殿堂入りしている。
  7. ^ また、この入籍と同日に猪木は第15回参議院選挙に立候補し、初当選して議員となった[9]
  8. ^ 永島勝司(元・新日本プロレス取締役)によると、「当時猪木は、倍賞と離婚後も友人として交流があった。二人が一緒に買い物に行った所、遭遇した(3番目の)妻に咎められたことがあった」としている[9]
  9. ^ 猪木の弟の他、猪木の支援者や精神的に良い影響を与えた人など。
  10. ^ 4人目の妻のこの行動は、猪木の知人の間で「彼女の不器用で深すぎる愛情によるもの」、「利用しようと近づく人から愛する猪木を守るためでは?」、「猪木のキャラクタービジネスのためのパプリシティ権狙いか?」など色々と憶測を生んだ[9]
  11. ^ 食事の世話、インスリン注射や薬の管理、マッサージなど。
  12. ^ 但し、日本プロレス時代や新日本プロレス旗揚げ当初は緑色や紺色のタオルを首に巻いてリングに上がっていたこともあり、Youtubeなどで視聴出来る猪木の古い映像ではそれが確認出来る。
  13. ^ 猪木の実兄でブラジル在住の相良寿一が、ブラジル空手道協会の最高師範で、軍の中にも多くの弟子を抱えていたことから、相良を通じて軍隊の協力を得ることができたという。
  14. ^ なお、猪木が揮毫したぼんぼりの隣にはものまね芸人のアントキの猪木が揮毫したぼんぼりも展示されており、「偽道」と題した詩がしたためられていた[286]

出典

  1. ^ a b 2013年(平成25年)7月10日参議院比例代表選出議員選挙選挙長告示第1号「平成二十五年七月二十一日執行の参議院比例代表選出議員の選挙において、政党その他の政治団体から参議院名簿の届出があった件」
  2. ^ “アントニオ猪木さん死去 79歳、心不全 プロレスや政界で活躍 アリと異種格闘技戦も”. 日刊スポーツ (日刊スポーツ新聞社). (2022年10月1日). https://www.nikkansports.com/m/battle/news/202210010000213_m.html 2022年10月1日閲覧。 
  3. ^ a b “猪木さんの遺体が自宅の裏口から安置所へ 海外居住の親族が集まる11日以降に葬儀の予定”. 東京スポーツ. (2022年10月2日). https://www.tokyo-sports.co.jp/articles/-/240727 2022年10月6日閲覧。 
  4. ^ a b Antonio Inoki Bio”. WWE.com. 2015年4月1日閲覧。
  5. ^ a b 『THE WRESTLER BEST 100』P200(1981年、日本スポーツ出版社
  6. ^ "アントニオ猪木さん、"本名"は「完至」…16日から横浜で開幕「展覧会」母が残した貴重メッセージが証明". スポーツ報知. 報知新聞社. 15 February 2024. 2024年2月17日閲覧
  7. ^ 当時テレビ朝日プロレス中継アナウンサーの舟橋慶一の命名。
  8. ^ a b c d "猪木さん 生涯4度結婚 恋多き男の"寂しがり屋"な素顔". Sponichi Annex. スポーツニッポン新聞社. 5 October 2022. 2022年10月5日閲覧
  9. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w 週刊現代2022年10月15・22日号「追悼秘話・アントニオ猪木を『縛った女』」p156-159
  10. ^ “アントニオ猪木、イスラム教徒だった 入信のきっかけは「イラクの人質救出」”. J-CASTニュース (株式会社ジェイ・キャスト). (2012年12月30日). https://www.j-cast.com/2012/12/30160003.html 2019年6月26日閲覧。 
  11. ^ Richard Leiby (2012年12月13日). “Wrestling, anyone? Pakistan welcomes back a flamboyant Japanese hero of the ring.” (英語). Washington Post. 2019年7月20日閲覧。
  12. ^ a b アントニオ猪木さん告別式〝燃える闘魂〟に最後の別れ 「炎のファイター」で出棺 - 東スポWEB 2022年10月14日
  13. ^ a b 猪木さん告別式で弟子たちに最後の試練 小川直也氏「ひつぎがハンパなく重たくて…」 - 東スポWEB 2022年10月14日
  14. ^ 【写真特集】「燃える闘魂」アントニオ猪木さんの足跡を振り返る”. 日刊スポーツ (2022年10月1日). 2023年9月6日閲覧。
  15. ^ アントニオ猪木さん「西郷さんのようになりたい」 父のルーツは鹿児島
  16. ^ 山本小鉄・前田日明『日本魂』講談社
  17. ^ NumberWEBブラジルで発掘した新聞と証言で知る「アントニオ猪木になるまで」
  18. ^ 『Gスピリッツ Vol.16』P64「カンジ・イノキのアメリカ武者修行」(2010年、辰巳出版ISBN 4777808017
  19. ^ a b c d e 『アントニオ猪木 燃える闘魂50年 (上巻)』P28(2010年、ベースボール・マガジン社ISBN 4583616775
  20. ^ アントニオ猪木60周年!足跡を振り返る/写真館”. 日刊スポーツ (2020年9月30日). 2022年9月21日閲覧。
  21. ^ 今、死と向き合う猪木/力道山没後55年インタビュー”. 日刊スポーツ (2018年12月15日). 2022年8月24日閲覧。
  22. ^ a b NWA World Tag Team Title [E. Texas]”. Wrestling-Titles.com. 2015年4月1日閲覧。
  23. ^ a b NWA World Tag Team Title [Mid-America]”. Wrestling-Titles.com. 2015年4月1日閲覧。
  24. ^ a b c d 『アントニオ猪木 燃える闘魂50年 (上巻)』P30(2010年、ベースボール・マガジン社、ISBN 4583616775
  25. ^ NWA Texas Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2015年4月1日閲覧。
  26. ^ a b 『Gスピリッツ Vol.16』P60-61「カンジ・イノキのアメリカ武者修行」(2010年、辰巳出版、ISBN 4777808017
  27. ^ プロレススーパースター列伝 アントニオ猪木の項
  28. ^ a b ベストバウトは「ドリー・ファンク・ジュニア戦」…「馬場さんとの違いを見せつけた」…永遠のアントニオ猪木伝説【6】”. スポーツ報知 (2022年10月9日). 2023年4月28日閲覧。
  29. ^ 瑞 佐富郎 (2022年5月3日). “「超豪華な結婚式をやってやろう」アントニオ猪木と倍賞美津子《昭和のビッグカップル》4億円挙式の驚きの実態『アントニオ猪木』より 2頁”. 文春オンライン. 2023年4月28日閲覧。
  30. ^ 瑞 佐富郎 (2022年5月3日). “「超豪華な結婚式をやってやろう」アントニオ猪木と倍賞美津子《昭和のビッグカップル》4億円挙式の驚きの実態『アントニオ猪木』より 3頁”. 文春オンライン. 2023年4月28日閲覧。
  31. ^ 知っていれば楽しさ倍増!日本のプロレスの歴史を簡単チェック”. 【SPAIA】スパイア (2016年12月16日). 2020年11月15日閲覧。
  32. ^ a b 『Gスピリッツ Vol.36』P15-16「『格闘技世界一決定戦』の表と裏」(2015年、辰巳出版、ISBN 4777814998
  33. ^ a b 猪木は一休の言葉として紹介したが、実際には、文言に多少の相違はあるものの、もとは清沢哲夫の「道」という詩であったと見られる。「「この道をいけばどうなるものか」から始まる言葉の全文が知りたい。良寛の言葉らしい。」 - レファレンス協同データベース
  34. ^ ヨシ・タツVに猪木殿堂入り デイリースポーツ 2010年3月30日閲覧
  35. ^ http://www.sanspo.com/geino/news/20121120/sot12112020380001-n1.html
  36. ^ “猪木古希パーティーに豪華メンバー集結” (日本語). 東京スポーツ. (2013年2月21日). オリジナルの2013年2月24日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20130224064416/http://www.tokyo-sports.co.jp/prores/110392/ 2013年3月14日閲覧。 
  37. ^ “神様”カール・ゴッチの墓建てる!猪木氏が7・24記念興行 - デイリースポーツ・2017年5月25日
  38. ^ 「整理される訳にはいきません」アントニオ猪木氏から見放されたNEWが開幕戦で存続求める署名活動 - スポーツ報知・2017年6月2日
  39. ^ 猪木氏の「整理発言」で大ピンチ IGFは再び存続を訴えたが… - 東京スポーツ・2017年6月7日
  40. ^ アントニオ猪木氏設立のIGF 猪木夫人に返金訴訟 - 日刊スポーツ・2017年6月28日
  41. ^ 報告 - IGF公式サイト・2018年3月22日
  42. ^ 【INOKI ISM】10・21両国で「猪木生前葬」 - 東京スポーツ・2017年9月15日
  43. ^ アントニオ猪木さん「お別れの会」思い出の地・両国国技館で来年3月7日開催 試合の開催はなし”. 日刊スポーツ (2022年11月24日). 2022年11月24日閲覧。
  44. ^ ジャイアント馬場没後20年追善興行に猪木、初代タイガー、新間寿、坂口征二、ハンセンらが集結!76歳のマスカラスが空を舞い勝利!新日本vs全日本の全面対抗戦は全日本に軍配?!”. バトル・ニュース (2019年2月20日). 2019年2月20日閲覧。
  45. ^ アントニオ猪木氏、馬場さん追善興行に登場「私もそろそろ送られ人に…」/デイリースポーツ online”. デイリースポーツ online (2019年2月19日). 2019年2月20日閲覧。
  46. ^ 【ドラディション】アントニオ猪木vs藤波辰爾のトークライブに坂口征二さんがサプライズ登場!”. プロレスTODAY (2019年2月19日). 2019年2月20日閲覧。
  47. ^ 1989年(平成元年)7月29日中央選挙管理会告示第14号「平成元年七月二十三日執行の参議院比例代表選出議員選挙における名簿届出政党等に係る得票数、当選人の数並びに当選人の住所及び氏名に関する件」
  48. ^ 議員について:よくある質問:参議院 参議院公式サイト
  49. ^ 参議院会議録情報 第116回国会 予算委員会 第4号”. kokkai.ndl.go.jp. 国立国会図書館. 2019年12月14日閲覧。
  50. ^ 1992年(平成4年)8月3日中央選挙管理会告示第11号「平成四年七月二十六日執行の参議院比例代表選出議員の選挙における名簿届出政党等に係る得票数、当選人の数並びに当選人の住所及び氏名に関する件」
  51. ^ 当初は公設第2秘書であったが、第1秘書の猪木快守が借金問題で秘書を解雇され昇格。
  52. ^ 1995年(平成7年)7月12日参議院比例代表選出議員選挙選挙長告示第1号「平成七年七月二十三日執行の参議院比例代表選出議員の選挙において、政党その他の政治団体から参議院名簿の届出があった件」
  53. ^ アントニオ猪木氏、参院選出馬表明「元気を日本のために」 スポーツニッポン 2013年6月5日閲覧
  54. ^ (平成25年)7月26日中央選挙管理会告示第25号「平成二十五年七月二十一日執行の参議院比例代表選出議員の選挙における参議院名簿届出政党等に係る得票数、当選人の数並びに当選人の住所及び氏名に関する件」
  55. ^ 2013年(平成25年)7月31日『官報』第6099号8ページ「議員氏名」
  56. ^ 比例当選のアントニオ猪木氏、北朝鮮訪問へ 読売新聞 2013年7月27日閲覧
  57. ^ アントニオ猪木氏25日訪朝へ 維新幹部「まだ民間人」 朝日新聞 2013年7月27日閲覧
  58. ^ 訪朝の猪木氏、金永南氏と会談 朝鮮中央通信伝える 朝日新聞 2013年7月29日
  59. ^ アントニオ猪木氏25日訪朝へ 維新幹部「まだ民間人」 朝日新聞 2013年7月25日
  60. ^ アントニオ猪木氏、訪朝強行の構え 参院議運は許可せず msn産経ニュース 2013年11月1日
  61. ^ 猪木氏、北朝鮮へ出発…参院の許可なしで強行 読売新聞 2013年11月1日
  62. ^ 猪木氏懲罰動議を可決、参院 山本氏は厳重注意 日本経済新聞 2013年11月13日
  63. ^ アントニオ猪木参院議員:登院停止処分に…無許可訪朝で 毎日新聞 2013年11月21日
  64. ^ 猪木氏、登院停止30日=63年ぶり懲罰決定-参院 時事通信 2013年11月22日
  65. ^ アントニオ猪木氏「言葉控える」 張氏と11月に会談 2013.12.13 22:08産経新聞』 2013年12月13日 12月14日閲覧
  66. ^ (日本語) 猪木氏が平壌入り 16日まで滞在、北朝鮮要人と会談へ”. MSN産経ニュース (2014年1月13日). 2014年1月14日閲覧。
  67. ^ (日本語) 「バカヤローと怒鳴ってやる」訪朝終えたアントニオ猪木氏が吠える (更新 2014/1/22 11:30)”. 週刊朝日(1月31日号) (2014年1月22日). 2014年3月27日閲覧。
  68. ^ (日本語) アントニオ猪木が独白「誰も知らない訪朝の理由」 PRESIDENT 2014年2月3日号”. PRESIDENT Online (2014年3月24日). 2014年3月27日閲覧。
  69. ^ “猪木氏ら維新5議員 連休中の訪朝計画”. MSN産経ニュース. (2014年4月15日). https://web.archive.org/web/20140415125620/http://sankei.jp.msn.com/politics/news/140415/stt14041519480003-n1.htm 2014年8月8日閲覧。 
  70. ^ “猪木氏訪朝の自粛要請 逢沢議運委員長”. MSN産経ニュース. (2014年4月24日). https://web.archive.org/web/20140424061857/http://sankei.jp.msn.com/politics/news/140424/stt14042411250006-n1.htm 2014年8月8日閲覧。 
  71. ^ “猪木氏ら正式に訪朝断念、許可出ず”. MSN産経ニュース. (2014年4月25日). https://web.archive.org/web/20140426094149/http://sankei.jp.msn.com/politics/news/140425/stt14042522370011-n1.htm 2014年8月8日閲覧。 
  72. ^ ““幻”となる維新訪朝団 渡航自粛の壁、遺恨の火種にも”. MSN産経ニュース. (2014年4月23日). https://web.archive.org/web/20140424070532/http://sankei.jp.msn.com/politics/news/140423/stt14042320130009-n1.htm 2014年8月8日閲覧。 
  73. ^ “猪木氏の北朝鮮渡航、問題なし 官房長官”. MSN産経ニュース. (2014年7月7日). https://web.archive.org/web/20140707225348/http://sankei.jp.msn.com/politics/news/140707/plc14070722470011-n1.htm 2014年8月8日閲覧。 
  74. ^ “猪木氏が北朝鮮に出発 「スポーツ交流」…拉致問題も意見交換”. MSN産経ニュース. (2014年7月9日). https://web.archive.org/web/20140709062949/http://sankei.jp.msn.com/politics/news/140709/stt14070913410002-n1.htm 2014年8月8日閲覧。 
  75. ^ “アントニオ猪木氏ら国会議員6人が訪朝 朝・日関係について幅広く意見交換”. 朝鮮新報. (2014年7月14日). http://chosonsinbo.com/jp/2014/07/0714sm/ 2014年8月8日閲覧。 
  76. ^ ““闘魂外交”への風向き変わった!猪木氏に自民党議員もエール”. 東京スポーツ. (2014年7月16日). https://web.archive.org/web/20140811232850/http://www.tokyo-sports.co.jp/nonsec/social/290186/ 2014年8月8日閲覧。 
  77. ^ 2014年(平成26年)10月3日総務省告示第358号「政党助成法第二十三条第四項の規定による未交付金の交付を受けようとする分割政党の届出があったので公表する件」
  78. ^ 次世代の党:アントニオ猪木氏が離党届 執行部預かりに 毎日新聞 2014年12月18日閲覧
  79. ^ マララさん「日本にぜひ行きたい」 アントニオ猪氏が訪日要請
  80. ^ マララさん父は猪木ファンだった デイリースポーツ 2014年1月23日閲覧
  81. ^ “参院新勢力が確定=舟山氏民進入り、元気解散”. 時事通信. (2016年7月28日). http://www.jiji.com/jc/article?k=2016072700748&g=pol 
  82. ^ 国民民主、参院で野党第1会派に”. 日本経済新聞 (2019年2月25日). 2019年2月25日閲覧。
  83. ^ 猪木氏が「参院選不出馬」激白 2期12年の政治家人生に終止符 東京スポーツ2019年6月6日付
  84. ^ “アントニオ猪木氏が参院選不出馬「出ない」と明言”. 産経新聞. (2019年6月5日). https://www.sankei.com/article/20190605-STSP6MLW4VOA7A3TGS6ZKEFPMA/ 2019年6月6日閲覧。 
  85. ^ 「もうよぼよぼだ」参院選、猪木氏が不出馬の意向 高齢を理由に”. 毎日新聞. THE MAINICHI NEWSPAPERS. (2019年6月7日). 2019年6月10日閲覧。
  86. ^ 猪木さん、88年藤波とIWGP戦ドロー「もう思い残すことはない」プロレスへの熱意消え政界へ”. 日刊スポーツ (2022年10月5日). 2022年10月5日閲覧。
  87. ^ 最終警告!たけしの本当は怖い家庭の医学 診察室
  88. ^ 【ノア】武藤敬司、来年2月の自身引退興行で「『バカヤロー』と言ってほしかった」猪木さん悼む”. 日刊スポーツ (2022年10月7日). 2022年10月7日閲覧。
  89. ^ 【プロレスリング・マスターズ】60周年セレモニーで燃える闘魂・アントニオ猪木が弟子たちに闘魂再注入に後楽園ホール爆発!「俺が世界のゴミを綺麗にしてやる」とライフワークも明かす!”. リアルライブ (2020年3月2日). 2022年10月4日閲覧。
  90. ^ 武藤敬司 アントニオ猪木さんとの思い出「タクシー呼んだら“1万円貸して”って…俺からしたら凄い大金」”. スポニチ (2022年10月20日). 2022年10月19日閲覧。
  91. ^ アントニオ猪木さんが難病「心アミロイドーシス」を告白。症状は?どのような病気?”. マイナビニュース (2020年8月28日). 2021年6月14日閲覧。
  92. ^ 藤波が50周年ツアー開催!入院中の師匠・猪木招へいに意欲「早くしないと」”. デイリースポーツ (2021年4月16日). 2022年10月4日閲覧。
  93. ^ a b アントニオ猪木闘病番組が大反響 病名公表、入退院の連続「こんなにも脆い、弱い」 – 東京スポーツ新聞社”. 東スポWeb. 2021年11月27日閲覧。
  94. ^ 「アントニオ猪木さんにエールを」藤波辰爾が新日本プロレス50周年記念大会を「1!2!3!ダー!」で締める!”. バトル・ニュース (2022年3月2日). 2022年10月4日閲覧。
  95. ^ a b c アントニオ猪木さん、追悼番組延期の背景に“圧力”か 「放送すれば法的措置も辞さない」”. デイリー新潮 (2022年10月19日). 2022年10月21日閲覧。
  96. ^ アントニオ猪木79歳はなぜ青森に「墓」を建立したのか? 病との闘いと亡き“ズッコさん”への思い「まだ、お迎えが来てくれないよ」”. Number Web (2022年5月24日). 2022年10月4日閲覧。
  97. ^ アントニオ猪木氏 自身と同じ1メートル90の墓を青森に建立 亡き妻納骨 中央には「道」の刻印”. スポニチ (2022年5月26日). 2022年10月1日閲覧。
  98. ^ 【猪木さん死去】坂口征二戦“黄金コンビ”初のシングル対決ほか/名勝負ベスト30&番外編”. 日刊スポーツ (2022年10月1日). 2022年12月10日閲覧。
  99. ^ アントニオ猪木さん 自宅で死去 79歳 燃える闘魂 プロレス黄金期けん引”. スポニチ. 2022年10月1日閲覧。
  100. ^ 燃える闘魂・アントニオ猪木さん死去 79歳 心不全 1日朝都内の自宅で…アリ、シン、S・小林らと名勝負”. スポーツ報知. 2022年10月1日閲覧。
  101. ^ アントニオ猪木さん、8月に最後のテレビ出演「本当は起きれる状態じゃない、みんなに元気貰います」 - eFight 2022年10月1日
  102. ^ アントニオ猪木の専属マネジメント会社『株式会社猪木元気工場』設立「自分はまだまだ、休ませてもらえないみたいだ」(猪木) - eFight 2022年8月26日
  103. ^ 【ドラディション】藤波辰爾が猪木さん追悼大会出場に名乗り 新日本と巌流島「どちらも出たい」”. 東スポWEB. 2022年11月10日閲覧。
  104. ^ アントニオ猪木さん実弟・啓介さんが最期を明かす「苦しまずに逝ったと思います」 - 東スポWEB 2022年10月1日
  105. ^ 猪木さん〝最後の食事〟はガリガリ君だった 1日早朝に容態急変 - 東スポWEB 2022年10月1日
  106. ^ アントニオ猪木さん死去 弟の啓介さん「苦しまずに逝った」と明かす 前夜は2人きりで40分過ごす - Sponichi Annex 2022年10月1日
  107. ^ 【猪木さん死去】名勝負実況した古舘伊知郎が弔問「闘魂は輪廻転生する」「感謝しかない」 - 日刊スポーツ 2022年10月1日
  108. ^ a b 【猪木さん死去】古舘伊知郎「何かと戦い続けてきた」最後病魔との闘いは「アントニオ猪木の宿命」”. 日刊スポーツ. 2022年10月3日閲覧。
  109. ^ 〝伝説の名実況〟元テレ朝・舟橋慶一氏が語る戦友・猪木さん「今日はその続きを話しに来ました」”. 東スポWEB. 2022年10月2日閲覧。
  110. ^ 坂口征二氏が盟友・アントニオ猪木さんの自宅を弔問「やっと休めたかな」”. スポーツ報知. 2022年10月2日閲覧。
  111. ^ 「燃える闘魂」アントニオ猪木さんは永遠なり 思い出は尽きず追悼の声が続く”. ENCOUNT. 2022年10月8日閲覧。
  112. ^ 猪木さんの遺体が自宅の裏口から安置所へ 海外居住の親族が集まる11日以降に葬儀の予定”. 東スポWEB. 2022年10月2日閲覧。
  113. ^ 【猪木さん死去】佐々木健介&北斗晶夫妻が自宅弔問「ほんとに感謝しかない」北斗は涙をぬぐう”. 日刊スポーツ. 2022年10月3日閲覧。
  114. ^ “猪木イズム最後の継承者”藤田和之 弔問で涙「出来の悪い弟子。感謝しかない」”. デイリースポーツ. 2022年10月2日閲覧。
  115. ^ 【猪木さん死去】小川直也氏「猪木の常識は世間の非常識。その通りの教育を受けてきた」師を悼む”. 日刊スポーツ. 2022年10月2日閲覧。
  116. ^ 高田延彦、アントニオ猪木さんを弔問 かつて付き人も務めた猪木さんは「神様、恩人、スーパーヒーロー」”. スポーツ報知. 2022年10月2日閲覧。
  117. ^ 高田延彦が猪木さん宅で最後のあいさつ「数えきれぬお礼をお伝えした」”. 東スポWEB. 2022年10月3日閲覧。
  118. ^ 長州力がアントニオ猪木さんの自宅を弔問「本当に最後までよくがんばった。やっぱりすごい方ですよ」”. スポーツ報知. 2022年10月2日閲覧。
  119. ^ 長州力は猪木さん弔問で言葉少な 思い出問われ「そんなことはいま言ったって何も伝わらない」”. 東スポWEB. 2022年10月2日閲覧。
  120. ^ 安らかに旅立つ”. 長州力公式ブログ. 2022年10月9日閲覧。
  121. ^ 藤波辰爾が人生を変えた恩人・猪木さんを弔問 「50年ぶりに頭を触らせてもった」理由とは”. 東スポWEB. 2022年10月2日閲覧。
  122. ^ 【猪木さん死去】藤波辰爾が自宅を弔問「40~50年ぶりに、猪木さんの頭を触りました」”. 日刊スポーツ. 2022年10月2日閲覧。
  123. ^ 古舘伊知郎 猪木さん「死に顔きれいでした」自宅弔問後にYouTubeで語る”. デイリースポーツ. 2022年10月2日閲覧。
  124. ^ 鈴木みのるが猪木さん彷彿の〝1、2、3、ダーッ!〟 真意を問われ…「気のせいだろ」”. 東スポWEB. 2022年10月2日閲覧。
  125. ^ 新日本プロレスロンドン大会でアントニオ猪木さん追悼…オカダ・カズチカと棚橋弘至がリングに並びテンカウント”. スポーツ報知. 2022年10月2日閲覧。
  126. ^ 【猪木さん死去】藤波辰爾が追悼10カウント「炎のファイター」も流れる「ヒートアップ」川崎大会 - 日刊スポーツ 2022年10月1日
  127. ^ 藤波辰爾 師匠の死に男泣き「『バカヤロー!!』って怒られそうで我慢していたけど」”. デイリースポーツ. 2022年10月2日閲覧。
  128. ^ IWGP女子王座新設のスターダムでアントニオ猪木さんの追悼10カウントゴング - バトル・ニュース 2022年10月1日
  129. ^ 全日本プロレス、あす2日の大会で猪木さん追悼セレモニー「馬場さんと共にプロレス界地位向上に御尽力」”. スポニチ. 2022年10月1日閲覧。
  130. ^ 全日本プロレスでアントニオ猪木さんの追悼10カウントゴング 永田裕志がリングで猪木さんの写真を掲げる”. バトル・ニュース. 2022年10月2日閲覧。
  131. ^ 【ノア】 猪木さん追悼10カウント、武藤敬司が遺影持ちリングイン「炎のファイター」も流れる”. 日刊スポーツ. 2022年10月8日閲覧。
  132. ^ 新日本・オカダ 涙で猪木さんに初言及「バカヤローってのが最初。悔しかった」”. デイリースポーツ. 2022年10月11日閲覧。
  133. ^ 新日本プロレスがアントニオ猪木さん死去後初の国内大会で10カウントゴングセレモニー 来年1月4日の東京ドーム大会は追悼大会に”. サンケイスポーツ. 2022年10月11日閲覧。
  134. ^ 【新日本】1・4東京ドーム大会タイトルを「闘魂よ、永遠に」と発表 猪木さんの魂継承”. 日刊スポーツ. 2022年10月13日閲覧。
  135. ^ 藤波辰爾、アントニオ猪木さん追悼マッチを「1、2、3、ダーッ!」で締めた「バカヤローと言われないように」”. スポーツ報知. 2023年1月5日閲覧。
  136. ^ 藤波辰爾は頭をなで、長州力は「線香をあげるときに手が震え」 猪木さんとの最後の対面振り返る”. 日刊スポーツ. 2022年10月11日閲覧。
  137. ^ 藤波「何十年分ぐらい泣いた」長州「起き上がってくるんじゃないか」猪木さんしのぶ”. デイリースポーツ. 2022年10月11日閲覧。
  138. ^ 【全文掲載】藤波辰爾と長州力がアントニオ猪木さんを偲ぶトークショー「線香あげるときに手が震えて火がつかなかった」「力道山先生が亡くなった時も猪木さん馬場さんも同じ気持ちだったのかな」”. バトル・ニュース. 2022年10月11日閲覧。
  139. ^ 【LEGACY】猪木さん追悼トークショー開催 長州力「俺の中で昭和の時代は終わった」”. 東スポWEB. 2022年10月11日閲覧。
  140. ^ 西口プロレスで猪木さんと仲本さんに捧げるテンカウントゴング 小猪木が追悼、次は舞台で「アリ」と激突”. よろず~. 2022年10月27日閲覧。
  141. ^ TATSUMI FUJINAMI 50th ANNIVERSARY”. ドラディション公式サイト. 2022年10月31日閲覧。
  142. ^ TATSUMI FUJINAMI 50th ANNIVERSARY”. ドラディション公式サイト. 2022年10月31日閲覧。
  143. ^ “過激な仕掛け人”新間寿の思いも込めて、佐山サトルがアントニオ猪木さんへの追悼30カウントゴング!愛弟子スーパー・タイガーがストロングスタイルを体現!”. バトル・ニュース. 2022年12月9日閲覧。
  144. ^ ”初代タイガーマスク”佐山サトル、アントニオ猪木さんへの追悼30カウントゴング「天まで届け」”. イー・ファイト. 2022年12月9日閲覧。
  145. ^ 「炎のファイター」で猪木さん追悼 「シンニチイズム ミュージックフェス」”. スポニチ. 2022年11月19日閲覧。
  146. ^ 【DeNA】アントニオ猪木さんを追悼 横浜スタジアムに「炎のファイター」流れる”. 東スポWEB. 2022年10月2日閲覧。
  147. ^ 【DeNA】プロレスファンの三浦監督、猪木さん死去を悼む「すごく大きな方でオーラがあって」”. 日刊スポーツ. 2022年10月2日閲覧。
  148. ^ 猪木さん死去でテレ朝緊急特番 1時間50分〝闘魂づくし〟にネット「ありがとう」”. 東スポWEB. 2022年10月2日閲覧。
  149. ^ BS朝日「ワールドプロレスリングリターンズ」でアントニオ猪木さん追悼 冒頭で「燃える闘魂永遠に」”. スポニチ. 2022年10月8日閲覧。
  150. ^ テレ朝のアントニオ猪木さん追悼番組にネット感動 ファンキー加藤「懸命に編集をした愛を感じました」”. スポニチ. 2022年10月10日閲覧。
  151. ^ アントニオ猪木さん追悼番組14日から3夜連続で放送 厳選した名勝負、CSテレ朝チャンネル2”. 日刊スポーツ. 2022年10月15日閲覧。
  152. ^ アントニオ猪木さん:“金曜よる8時”にBS朝日で追悼特集 レジェンドが語る“燃える闘魂”完全版”. MANTANWEB. 2022年11月12日閲覧。
  153. ^ 生放送で「猪木イズムとは何だったのか」古舘伊知郎が藤波辰爾らと迫る 最後は10カウントゴング”. よろず~. 2022年10月22日閲覧。
  154. ^ 燃える闘魂 ラストスタンド”. NHK. 2022年12月29日閲覧。
  155. ^ アントニオ猪木さんドキュメンタリーNHK特番にネット「号泣 元気が出た」「まさに生涯『燃える闘魂』」”. スポニチ. 2022年12月30日閲覧。
  156. ^ 【猪木祭り】小川直也氏がイベント継続を誓う「闘魂という言葉を絶やさず続けていきたい」”. 東スポWEB. 2022年12月29日閲覧。
  157. ^ 【RIZIN】高田延彦氏「全身に衝撃」 語った師匠・猪木さんへの思いに「泣ける」の声”. 東スポWEB. 2023年1月1日閲覧。
  158. ^ 【RIZIN】最後に響いたアントニオ猪木さんの「1、2、3、ダーッ!」 高田延彦が絶叫締め”. ENCOUNT. 2023年1月1日閲覧。
  159. ^ 猪木さん訃報 海外でも速報 ロイター「ランタンのようなアゴを持つ人」”. スポニチ. 2022年10月2日閲覧。
  160. ^ アントニオ猪木さんの死去 海外のメディアなども功績たたえる”. NHK WEB. 2022年10月5日閲覧。
  161. ^ アントニオ猪木さん「最期の言葉」公開 死去10日前に不屈の闘魂「大きな声を出せる時がもうすぐそこ」 - ORICON NEWS 2022年10月1日
  162. ^ アントニオ猪木さん、死の10日前最後のサプライズ 「ありがとう」とも口に”. よろず~. 2022年10月7日閲覧。
  163. ^ アントニオ猪木さんの“最期の言葉” 亡くなる10日前に明かしていた本当の病状”. ENCOUNT. 2022年10月7日閲覧。
  164. ^ アントニオ猪木公式Twitter・2022年10月17日
  165. ^ 〝愛弟子〟小川直也が猪木さん最後の「闘魂」サインを公開 リハビリの成果にじむ”. 東スポWEB. 2022年10月5日閲覧。
  166. ^ 藤波辰爾「手が震えました」アントニオ猪木さんから「生きる」と題した直筆の詩を託される”. 日刊スポーツ. 2022年10月5日閲覧。
  167. ^ 藤波辰爾、猪木氏から2か月前に貰った“最後の闘魂”直筆色紙に感涙「生涯の宝物!」”. ENCOUNT. 2022年10月7日閲覧。
  168. ^ 【お知らせ】アントニオ猪木さんに関する新日本プロレスからのお知らせ』(HTML)(プレスリリース)新日本プロレスリング株式会社、2022年10月4日https://www.njpw.co.jp/3820242022年10月4日閲覧 
  169. ^ アントニオ猪木さん、家族葬は14日に告別式…兄弟、長女ら参列 - スポーツ報知 2022年10月7日
  170. ^ アントニオ猪木さん、納骨する総持寺の墓を「リニューアル」…実弟の啓介さんが明言「ブロンズ像なども造る」 - スポーツ報知 2023年3月7日
  171. ^ アントニオ猪木さん「お別れ会」…急きょ午後9時まで国技館入り口に臨時の献花台を設置”. スポーツ報知 (2023年3月7日). 2023年3月8日閲覧。
  172. ^ アントニオ猪木さん戒名に「闘魂」と「寛至」家族葬も通夜に藤波辰爾、前田日明氏ら100人超 - プロレス - 日刊スポーツ 2022年10月13日
  173. ^ アントニオ猪木さん通夜に300人超参列”. 東スポWEB (2022年10月13日). 2022年10月14日閲覧。
  174. ^ "アントニオ猪木さん四十九日法要 坂口征二氏「馬場さんと一緒に天国から見守ってほしい」". ニッカンスポーツ・コム. 日刊スポーツ新聞社. 25 November 2022. 2022年11月25日閲覧
  175. ^ 【プロレス大賞】MVP最多6度、アントニオ猪木さんの功績たたえ「栄誉賞」創設”. 東スポWEB. 2022年12月16日閲覧。
  176. ^ アントニオ猪木さんに旭日中綬章…プロレスラーとして初の叙勲”. スポーツ報知 (2023年1月16日). 2023年1月16日閲覧。
  177. ^ アントニオ猪木さん 日本レスラー初「従四位」「旭日中綬章」授与 伝達の1・23には特別な意味”. 東スポWEB (2023年1月16日). 2023年1月16日閲覧。
  178. ^ 武藤敬司「ウルっときた」アントニオ猪木さんが武藤引退試合に遺していた言葉”. スポニチ (2023年2月25日). 2023年2月26日閲覧。
  179. ^ アントニオ猪木お別れ会は2023年3月7日(火)に両国国技館で開催いたします』(HTML)(プレスリリース)猪木元気工場、2022年11月24日https://www.inokigenki.com/archives/3642022年11月25日閲覧 
  180. ^ "アントニオ猪木さん「お別れの会」に一部と二部合わせ7000人が参列…7日の両国国技館". スポーツ報知. 報知新聞社. 7 March 2023. 2023年3月8日閲覧
  181. ^ "「猪木の頭の中の物語を放送席で喋り続ければいいんだ」古舘伊知郎アナがアントニオ猪木お別れ会でアンドレ・ザ・ジャイアント戦の実況を再現し新たな名口上を残す". バトル・ニュース. コラボ総研. 7 March 2023. 2023年3月8日閲覧
  182. ^ "藤波辰爾、アントニオ猪木さんへの思いをささげる…「永遠の師匠であり不滅のヒーローです」…お別れの会". スポーツ報知. 報知新聞社. 7 March 2023. 2023年3月7日閲覧
  183. ^ “猪木さん命日10月1日が「闘魂アントニオ猪木の日」に 猪木さん公式ツイッター発表”. 日刊スポーツ (日刊スポーツ新聞社). (2023年6月8日). https://www.nikkansports.com/battle/news/202306080001518.html 2023年7月3日閲覧。 
  184. ^ a b “10月1日は「闘魂アントニオ猪木の日」 日本記念日協会が認定”. 産経ニュース (産経デジタル). (2023年6月13日). https://www.sankei.com/article/20230613-NOJKKHWKLBAS5LFQFON2MRSE7I/ 2023年7月3日閲覧。 
  185. ^ "「アントニオ猪木展」が8月3日から京王百貨店で開催…IGF宇田川強取締役「猪木さんに会いに新宿へいらっしゃって欲しい」". スポーツ報知. 報知新聞社. 15 July 2023. 2023年11月27日閲覧
  186. ^ "「猪木展」第2弾が大阪・阪神梅田本店で開催 今後は全国行脚を想定、阪神コラボグッズ販売も". 日刊スポーツ. 日刊スポーツ新聞社. 1 November 2023. 2023年11月27日閲覧
  187. ^ “猪木さんの一周忌法要 燃える闘魂ブロンズ像の前で「ダァー!!」”. スポーツニッポン. (2023年9月13日). https://www.sponichi.co.jp/battle/news/2023/09/13/kiji/20230913s00003000050000c.html 2023年9月13日閲覧。 
  188. ^ a b “アントニオ猪木のドキュメンタリー公開、誰も知らない“燃える闘魂”を追う”. 映画ナタリー (ナターシャ). (2023年7月12日). https://natalie.mu/eiga/news/532459 2023年11月27日閲覧。 
  189. ^ The NWAHW matches fought by Antonio Inoki in 1964”. Wrestlingdata.com. 2015年9月2日閲覧。
  190. ^ The GAC matches fought by Antonio Inoki in 1965”. Wrestlingdata.com. 2015年9月2日閲覧。
  191. ^ All Asia Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2015年9月8日閲覧。
  192. ^ a b NWA International Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2022年10月19日閲覧。
  193. ^ JPWA 1970 NWA World Champion Series”. Puroresu.com. 2022年10月21日閲覧。
  194. ^ JPWA 1970 The 1st Annual NWA Tag Team League”. Puroresu.com. 2015年9月8日閲覧。
  195. ^ JPWA 1971 Dynamic Big Series”. Puroresu.com. 2022年10月21日閲覧。
  196. ^ NWA United National Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2015年9月8日閲覧。
  197. ^ a b c 『アントニオ猪木 燃える闘魂50年 (上巻)』P36(2010年、ベースボール・マガジン社ISBN 4583616775
  198. ^ NJPW 1972 Opening Series”. Puroresu.com. 2015年9月2日閲覧。
  199. ^ a b NJPW 1972 New Golden Series”. Puroresu.com. 2023年2月12日閲覧。
  200. ^ a b NWF Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2022年10月2日閲覧。
  201. ^ NJPW Big Fight Series 1974 - Tag 19”. Cagematch.net. 2022年10月18日閲覧。
  202. ^ NWF TV-Show”. Cagematch.net. 2022年10月18日閲覧。
  203. ^ 新日本50周年 74年タイガー・ジェット・シンに怒りの腕折り”. 日刊スポーツ (2022年3月1日). 2022年10月18日閲覧。
  204. ^ NJPW 1974 Toukon Series II”. Puroresu.com. 2022年10月18日閲覧。
  205. ^ NJPW 1976 Toukon Series”. Puroresu.com. 2022年12月15日閲覧。
  206. ^ NJPW Toukon Series II 1976 - Tag 28”. Cagematch.net. 2022年12月15日閲覧。
  207. ^ NJPW 1977 New Year Golden Series”. Puroresu.com. 2022年10月18日閲覧。
  208. ^ a b c NJPW 1977 Toukon Series II”. Puroresu.com. 2022年10月21日閲覧。
  209. ^ NJPW 1978 New Year Golden Series”. Puroresu.com. 2022年10月21日閲覧。
  210. ^ NJPW 1978 Summer Fight Series”. Puroresu.com. 2022年10月21日閲覧。
  211. ^ NJPW 1978 Pre-Japanese Championship Series”. Puroresu.com. 2022年10月21日閲覧。
  212. ^ WWWF Event”. Cagematch.net. 2022年10月21日閲覧。
  213. ^ NJPW 1979 New Year Golden Series”. Puroresu.com. 2018年11月1日閲覧。
  214. ^ NJPW 1979 The 2nd Madison Square Garden Series”. Puroresu.com. 2022年10月21日閲覧。
  215. ^ NJPW 1979 Toukon Series”. Puroresu.com. 2022年10月21日閲覧。
  216. ^ WWE World Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2022年10月21日閲覧。
  217. ^ WWF on MSG Network”. Cagematch.net. 2022年10月21日閲覧。
  218. ^ UWA World Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2022年10月21日閲覧。
  219. ^ WWF Showdown At Shea”. Cagematch.net. 2022年10月21日閲覧。
  220. ^ NJPW 1980 Bloody Fight Series”. Puroresu.com. 2022年10月21日閲覧。
  221. ^ WWF on MSG Network”. Cagematch.net. 2022年10月21日閲覧。
  222. ^ NJPW 1981 Summer Fight Series”. Puroresu.com. 2022年10月21日閲覧。
  223. ^ NJPW 1981 Toukon Series”. Puroresu.com. 2022年10月21日閲覧。
  224. ^ a b c NJPW 1982 New Year Golden Serie”. Puroresu.com. 2022年10月21日閲覧。
  225. ^ NJPW Refugees Contribution Recruitment Charity Show”. Cagematch.net. 2022年12月15日閲覧。
  226. ^ NJPW 1983 New Year Golden Series”. Puroresu.com. 2022年10月18日閲覧。
  227. ^ NJPW 1984 New Year Golden Series”. Puroresu.com. 2022年10月18日閲覧。
  228. ^ WWF on MSG Network”. Cagematch.net. 2022年12月15日閲覧。
  229. ^ 猪木と激レア「ボディスラムマッチ」を繰り広げたキングコング・バンディ”. 東京スポーツ. 2022年10月21日閲覧。
  230. ^ 古舘伊知郎『弓を引くナックルパート』と表現したこともある。
  231. ^ a b c フジテレビトリビア普及委員会『トリビアの泉〜へぇの本〜 1』講談社、2003年。 
  232. ^ スマホ時代に着信メロディ復活元年 GIGAエンタメロディ「着信メロディ15年間ランキング」発表 歴代No.1アーティストはEXILE、PRTIMES(株式会社フェイス・ワンダワークス)、2015年1月20日。
  233. ^ “但馬ミツロが1回56秒TKOでプロデビュー「難しい道とは思うが」日本選手初のヘビー級王者へ”. 日刊スポーツ. (2022年4月29日). https://www.nikkansports.com/battle/news/202204290001264.html 2022年4月30日閲覧。 
  234. ^ 亀田興毅氏が明かす4月の猪木氏との対面「お前らで盛り上げろや」入場曲を継承”. デイリースポーツ. 2022年10月2日閲覧。
  235. ^ 新日本プロレス創立50周年企画『アントニオ猪木をさがして』ナレーション&主題歌は福山雅治!|最新の映画ニュースならMOVIE WALKER PRESS”. MOVIE WALKER PRESS (2023年9月13日). 2023年10月21日閲覧。
  236. ^ 12・28猪木さん追悼大会 小川直也氏が「令和猪木軍」総監督に バーネットも参戦”. 東スポWEB. 2022年11月11日閲覧。
  237. ^ 寛水流空手道総裁・世古典代氏 追悼セレモニー”. 新日本プロレスリング (2007年8月25日). 2023年4月16日閲覧。
  238. ^ “プーチンはお茶汲み係だった! アントニオ猪木氏がモスクワでの目撃談語る”. 東京スポーツ. (2022年5月19日). https://www.tokyo-sports.co.jp/articles/-/179303 2022年11月12日閲覧。 
  239. ^ 維新の会より出馬、アントニオ猪木の“ダークな”真実…金銭スキャンダルの過去”. ビジネスジャーナル. サイゾー (2013年6月5日). 2023年4月16日閲覧。
  240. ^ アントニオ猪木、2011、「北朝鮮とは対話で勝負しよう!-北朝鮮訪問22回の経験から」、『世界』(2011年12月号 No.824)、岩波書店、ISSN 0582-4532 pp. pp.234-240
  241. ^ 「拉致解決したら幸せになれるのか」 アントニオ猪木氏が特派員協会で独自見解”. ジェイ・キャスト (2013年8月5日). 2013年11月22日閲覧。
  242. ^ A.猪木氏「俺なら命がけで拉致問題を解決してみせる」と宣言 NEWSポストセブン
  243. ^ a b 猪木氏 北朝鮮幹部の“本音”明かす「核実験は米国に向けてのもの」 ライブドアニュース
  244. ^ “金正恩元帥に日本国会参院議員から花かご”. ネナラ. (2016年5月12日). http://www.naenara.com.kp/ja/news/news_view.php?0+95464 2016年6月4日閲覧。 
  245. ^ “訃報:アントニオ猪木さん死去79歳=力道山の弟子、33回訪朝”. 朝鮮日報. (2022年10月3日). https://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2022/10/03/2022100380922.html 2022年10月8日閲覧。 
  246. ^ https://www.asahi.com/articles/ASL9C4HG1L9CUHBI00W.html
  247. ^ https://globe.asahi.com/article/14732580
  248. ^ 【悼む】アントニオ猪木さん 新米記者の借金の質問に「10億円くらいまでは…」素直に答えてくれた”. 日刊スポーツ. 2022年10月3日閲覧。
  249. ^ 新宿・アントニオ猪木酒場がコロナの影響で31日で閉店、最終日に別れ惜しむ(eFight 2020年7月31日)
  250. ^ アントニオ猪木氏、水プラズマ実験大成功 次はフィリピンのごみの山を一掃へ”. ENCOUNT (2020年10月31日). 2022年10月4日閲覧。
  251. ^ 自分と闘うアントニオ猪木は必ず復活する 78歳の新しい夢へ、「一緒にインドにゴミを見に行きましょう」”. Number Web (2021年3月12日). 2022年10月4日閲覧。
  252. ^ https://ch.nicovideo.jp/nekketsu/blomaga/ar1104147 サイモン猪木インタビュー
  253. ^ “アントニオ猪木さん、4人の妻との波乱の人生 倍賞美津子は病床の元夫を見舞った”. NEWSポストセブン. (2022年10月7日). https://www.news-postseven.com/archives/20221007_1799460.html?DETAIL 2024年3月12日閲覧。 
  254. ^ “猪木さん、スポーツを通じた国際平和 独自外交で切り開いた道”. スポニチ. (2022年10月4日). https://www.sponichi.co.jp/battle/news/2022/10/04/kiji/20221004s00003000001000c.html 2022年10月5日閲覧。 
  255. ^ “アントニオ猪木さんの1971年「1億円挙式」ウエディングケーキの高さは5メートル!”. 東スポWEB. (2022年10月3日). https://www.tokyo-sports.co.jp/articles/-/240791 2022年10月3日閲覧。 
  256. ^ 4度目の結婚も発覚! アントニオ猪木や川越シェフ…実はバツ2以上の芸能人4人!
  257. ^ 猪木妻死去も遺言守り仕事のスケジュール変更せず - 日刊スポーツ 2019年8月28日
  258. ^ 日刊スポーツ 2006年9月13日
  259. ^ 日刊スポーツ2006年9月17日
  260. ^ 「おい、アゴを呼べ」付け人時代懐かしむ力道山夫人”. 日刊スポーツ (2018年12月15日). 2022年8月30日閲覧。
  261. ^ 『日本プロレス史の目撃者が語る真相! 新間寿の我、未だ戦場に在り!<獅子の巻>』(ダイアプレス、2016年)p32-33
  262. ^ 猪木さん死去に大仁田厚もショック「あの人に否定という言葉はなかった」裏話明かす”. デイリースポーツ. 2022年10月2日閲覧。
  263. ^ “猪木さんが馬場さんに漏らした一言…渕正信<4>”. YOMIURI ONLINE. (2016年1月28日). オリジナルの2016年2月2日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20160202061205/http://www.yomiuri.co.jp/life/special/prowres/20160127-OYT8T50058.html?page_no=2 2016年11月27日閲覧。 
  264. ^ “アントニオ猪木さんとジャイアント馬場さんの〝本当の関係〟 和田京平氏が驚いた2人の笑顔”. 東スポWEB. (2022年10月3日). https://www.tokyo-sports.co.jp/articles/-/240822 2016年11月27日閲覧。 
  265. ^ 「戦いのロマンと企業戦争」(『G SPIRITS vol.30』辰巳出版、2013年、ISBN 9784777812660)P18の坂口征二による証言
  266. ^ 『検証8・26プロレス夢のオールスター戦』(1997年、日本スポーツ出版社
  267. ^ “猪木氏「闘魂」応援演説ダ~!!”. デイリースポーツ. (2015年4月21日). https://www.daily.co.jp/gossip/2015/04/21/0007940893.shtml 2016年3月21日閲覧。 
  268. ^ 力道山が刺された日。妻が聞いたアントニオ猪木を認める言葉と幻の計画 - Sportiva・2020年7月31日
  269. ^ ミスター高橋『知らなきゃよかった プロレス界の残念な伝説』宝島社、2018年。ISBN 9784800289216 pp.36-37
  270. ^ 桑田佳祐「ただの歌詩じゃねえか、こんなもん」(1984年、新潮社、p215)
  271. ^ 「闘魂ビンタ」発祥の地・早稲田予備校が猪木さん悼む 食らった生徒から合格者続出”. よろず~. 2022年10月3日閲覧。
  272. ^ “谷原章介、アントニオ猪木さんから聞いた闘魂注入ビンタの秘話告白「たたく手の使いどころで痛さを変えている」”. サンケイスポーツ. (2022年10月3日). https://www.sanspo.com/article/20221003-ANQOXOEP3JDXHJJONKK5TC7KKQ/ 2022年10月3日閲覧。 
  273. ^ アントニオ猪木 Wikipedia「CAに機内で闘魂ビンタ」真相を直撃」『週刊FLASH』2012年3月20日号、光文社、2012年3月、 オリジナルの2012年11月3日時点におけるアーカイブ、2012年9月17日閲覧 
  274. ^ “元テレ朝・佐々木正洋アナ「僕の名前が知られるようになったのは猪木さんのビンタのおかげ」闘魂注入に感謝”. スポーツ報知. (2022年10月1日). https://hochi.news/articles/20221001-OHT1T51222.html?page=1 2022年10月7日閲覧。 
  275. ^ 東邦出版『KAMINOGE』vol.85 p.67
  276. ^ 『東スポお宝写真館』-1967年11月 東京スポーツ 2013年6月21日付7面
  277. ^ 【猪木さん死去】在パラオ日本大使館「イノキアイランドと呼ばれる島も」大使夫妻との写真掲載し追悼”. 日刊スポーツ. 2022年10月2日閲覧。
  278. ^ 『プロレスリング醜聞100連発!!』P90-91 竹内宏介著(1998年、日本スポーツ出版社ISBN 4930943108
  279. ^ “野党よ、こんな国会質問でいいのか 「猪木」「共産党のアイドル」内容が酷すぎる”. 産経ニュース (産業経済新聞社・産経デジタル). (2015年2月16日). https://www.sankei.com/premium/news/150216/prm1502160005-n1.html 2018年10月17日閲覧。 
  280. ^ 猪木氏死去 国会に響いた「元気ですか!」 「心臓に悪い」と注意も”. 東スポWEB. 2022年10月1日閲覧。
  281. ^ 100万人に数人の難病…アントニオ猪木が語る「闘って死にたい」 - 女性自身 2020年10月19日
  282. ^ アントニオ猪木は「将棋の五段免状取得」「内藤國雄九段と飲み仲間」…師匠・力道山も「遺影の横に三段免状」プロレスと棋士の意外な関係 - Number Web・2023年9月21日
  283. ^ 元担当記者が悼む】あの有名な「道」 一体誰の詩なんですか?の質問への答えは私の“道”にスポニチアネックス 2022年10月1日配信 2023年5月3日閲覧
  284. ^ Mr.Children「one two three」の楽曲(シングル)・歌詞ページ|1009780756レコチョク 2023年5月3日閲覧
  285. ^ <ライブレポート>桑田佳祐、音楽へのリスペクトと感謝のメッセージが詰まった横浜アリーナ公演billboardJAPAN 2023年1月5日配信 2023年5月3日閲覧。
  286. ^ a b 「令和3年のみたままつり」(日比恆明)先見経済WEB 2021年8月配信 2023年5月3日閲覧。
  287. ^ アントニオ猪木、有馬温泉で殺人事件に巻き”. ニュースウォーカー (2016年5月19日). 2016年5月25日閲覧。
  288. ^ アントニオ猪木 - オリコンTV出演情報
  289. ^ @keisuke6964 (2018年10月24日). "馬場と猪木が". X(旧Twitter)より2022年8月24日閲覧






固有名詞の分類

日本のプロレスラー タイガースマスク  フラッシュムーン  アントニオ猪木  戸井克成  佐藤耕平
プロレス・トレーナー 神取忍  ピート・セネルシア  アントニオ猪木  トム・プリチャード  成国晶子
WWE殿堂 ファビュラス・ムーラ  デビッド・フォン・エリック  アントニオ猪木  ワイルド・サモアンズ  ティト・サンタナ
新日本プロレスに所属したプロレスラー 安田忠夫  垣原賢人  アントニオ猪木  佐野直喜  越中詩郎
日本プロレスに所属していたレスラー 大熊元司  キラー・カーン  アントニオ猪木  ミスター林  力道山
格闘技の関係者 矢部良  豊永稔  アントニオ猪木  ラウンドガール  レニー・ハート
東京プロレスに所属していたレスラー 北沢幹之  マサ斎藤  アントニオ猪木  大剛鉄之助  大磯武
日本の芸能人 千波丈太郎  白鳥哲  アントニオ猪木  高橋真唯  大村学
日本の実業家 與田尚志  河端作兵衛  アントニオ猪木  舩橋晴雄  青井忠治
神奈川県の政治家 中本太衛  森島守人  アントニオ猪木  沢たまき  岡部三郎

英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「アントニオ猪木」の関連用語

アントニオ猪木のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



アントニオ猪木のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのアントニオ猪木 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS