アントニオ猪木 政治

アントニオ猪木

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/27 18:22 UTC 版)

政治

略歴

  • 1989年平成元年)、「スポーツを通じて国際平和」の合言葉で、スポーツ平和党を結成。同年に行われた第15回参議院選挙に比例区から出馬し初当選し、史上初のレスラー出身の国会議員(=参議院議員)となり、「猪木チャリティーテレホン」(ダイヤルQ2)など様々な政治活動を行った。
  • 東京スポーツは "レスラー・猪木" と "参議院議員・猪木" で扱いを分けていた。「猪木」と呼び捨ての記事にした場合はレスラー・アントニオ猪木、「猪木さん」「猪木氏」と書いた場合は参議院議員・猪木寛至についての記事。
  • ソビエト連邦から勇利アルバチャコフオルズベック・ナザロフをはじめとするアマチュアボクシングのトップ選手を親交の深い金平正紀率いる協栄ボクシングジムに預け「映画『ロッキー4』の世界を現実化させる」と謳い、日本でプロデビューする道を拓いた。現在は薬師寺ボクシングジム後援会名誉会長として薬師寺保栄を支援している。同時にソ連のアマチュアレスリングのトップ選手サルマン・ハシミコフ・ビクトル・ザンギエフなども新日本プロレスでプロデビューさせた。
  • 湾岸戦争前夜にイラクにおいて行ったイベントにより、人質状態にあった在留日本人と全人質の解放に貢献。なお、北朝鮮でもイベント「平和の祭典リック・フレアーと対戦し勝利を収めている)」を開催した。翌1996年(平成8年)春、自身は落選し前議員ながら崔鉄洙を協栄ジムからプロデビューさせる道を拓いた。
  • 1992年(平成4年)7月に実施された第16回参議院議員通常選挙には、比例代表候補として元阪神タイガースのプロ野球解説者江本孟紀を擁立。当選し参議院会派で2議席目を獲得。
  • 猪木は第8代自民党総裁清和政策研究会初代会長の福田赳夫に可愛がられ、福田の実弟の福田宏一が猪木の格闘家としての後援会会長を務め、また福田の愛弟子で第19代自民党総裁・清和会第4代会長森喜朗とも親交が深い。
  • 二階堂進は日本プロレスリングコミッション(新日本プロレス・国際プロレス)のコミッショナーも務めていた。1985年(昭和60年)、新国技館(両国国技館)の新日本プロレス使用を、前年の蔵前国技館でのファンの暴動騒ぎ(IWGPリーグ戦第二回大会決勝戦の項を参照)から相撲協会が貸し出しを渋った際には、仲介の労をとった。
  • いわゆる「猪木スキャンダル」によって、1995年(平成7年)の参議院選挙で落選する。
  • 同年に突如江本副代表から党の運営を巡って対立する。特に党運営に関わる金銭疑惑による猪木への不信感は2人の関係に大きな亀裂を生じてしまう。江本孟紀副代表は離党し無所属になってしまい、元公設第1秘書(借金問題で一度は解雇された)だった、実兄である猪木快守テノール歌手・パブロ猪木)が党首(代表)に就任。
  • その後スポーツ平和党は主立った政治活動を行わなくなり、2007年(平成19年)3月には公式サイトを閉鎖。既に政治団体解散届を総務大臣に提出している。
  • 2013年(平成25年)に第23回参議院議員通常選挙日本維新の会から比例代表で出馬し当選。国政復帰した。翌年の日本維新の会分党時には石原慎太郎グループ(次世代の党)に参加したが、2015年(平成27年)に離党し日本を元気にする会の結党に参画した。2016年(平成28年)の会派「日本を元気にする会・無所属会」解散後は会派「無所属クラブ」に異動した。

イラク在留邦人人質解放までの真相

1990年(平成2年)湾岸戦争が危惧される中、イラクサッダーム・フセイン大統領は、在留外国人を国外出国禁止(事実上の人質)とした。その中に多くの日本人が含まれており、安否が気遣われていたが、外務省主導による、人質解放交渉は遅々として進まなかった。

解決の糸口さえ見えない外務省の人質交渉に痺れを切らした猪木は、被害者家族等を率いてあえて緊張高まるイラクでのイベント"スポーツと平和の祭典"を行うため、バグダードに向かうということを決断する。

猪木に対して外務省はイラク行きを止めるよう説得するもこれを拒否。すると今度は人質被害者家族に対し圧力を掛け「いつ戦争が起こるか分からないし、日本政府としては責任を持てない。そんな所に行くことはまかりならん、もしどうしても猪木議員とイラクに行く場合は、……それはあなた方も含めて命の保証が無いという意味です」と猛烈に反対した。イラク邦人人質被害者家族(あやめの会)は悩んだ末に、外務省が動かないために、猪木に全てを託すことにしたのである。

1990年(平成2年)11月、猪木は日本の各航空会社にイラクへの出航を要請したが、外務省の強い圧力もあり、他のいずれの航空会社も拒否してきたことでイラクへの直行便の計画は暗礁に乗り上げた。やむなく猪木は、園遊会の会場で当時の駐日トルコ特命全権大使に懇願したところチャーター機の費用を猪木個人が負担することが条件で、トルコ大使の仲介によりトルコ航空の協力でバグダード入りが可能となった。

1990年(平成2年)12月1日、平和の祭典関係者や人質被害者41家族46人と共にトルコ経由でバグダード入りを果たした。この時サッダーム・フセイン大統領は、一国会議員でしかない猪木を国賓級の扱いで迎えたという。

イラクでのスポーツと平和の祭典は邦人人質を中心に人質被害者家族とイラク人観衆が会場を中心に向き合う中で始まり、12月2日、3日の両日に渡り、ロックコンサートと、日本の大太鼓を初めとする伝統芸能や空手トーナメント、そして最後にプロレスが行われ無事終了し平和の祭典は成功を収める一方、イベント開催中に家族の面談は許されたものの解放までには至らなかった。

焦りと落胆の中、帰路に着くべく機中に着いた時、フライト直前の猪木にイラク政府から「大統領からお話があります」と告げられ急遽猪木だけ飛行機を降り、この結果まず12月5日在留邦人の解放が決まり、7日には人質全員の解放が決定する。

猪木はかつて新日本プロレスのパキスタン遠征において、格闘技の英雄アクラム・ペールワン[2] と対戦し腕を折るなどして勝利を収めると一躍国民的一大事になり、同行した妻の倍賞美津子と共に猪木が国王と並んで国民に挨拶をする姿が当地のマスメディアで大きく紹介された。その後パキスタン人ジャーナリスト、フマユン・A・ムガールの計らいにより4度パキスタン遠征を行い、パキスタンでは毎年12月8日は猪木の日として登録されている。

東京都知事出馬と撤退

1991年東京都知事選挙に、かつてNHKのニュースキャスターだった磯村尚徳が出馬を表明した後に出馬を表明したが、マスコミから「なぜ出馬したのか?」と聞かれ猪木が「彼(磯村)には、かつて『ニュースセンター9時』でアリとの試合を茶番扱いされたので」と答えた。

その後スポンサー佐川急便佐川清会長、総理大臣及び自民党総裁経験者で清和研創始者福田赳夫やその愛弟子森喜朗及び三塚博に説得され、出馬を断念し磯村と政策協定を結んだ。出馬断念に至る裏には、数千万円の現金が動いたとの証言があり、東京スポーツの激闘の永田町にスクープを書いた菊池久を名誉毀損と約300万円の損害賠償を求めて民事提訴し、マスコミを賑わせたが、判決は領収書の所在が不明との判断で金銭授受を否定して菊池側の敗訴となった。

地裁判決には、猪木と新間寿も出廷していたが、判決後には猪木が菊池久に対して『もう少しうまく話し合いが出来ればねえ』と余裕の表情で語っていた。

なお、猪木の出馬撤回に触発され内田裕也が出馬している。

参議院落選まで

1995年(平成7年)参議院出馬するが、1993年(平成5年)に佐藤久美子[要曖昧さ回避]元公設第1秘書とスポーツ平和党前幹事長新間寿に告発された「政治資金規正法違反の問題」「賄賂の問題」「右翼(日本皇民党)との癒着問題」「佐川急便会長の依頼で東京都知事降板問題」「税金未納問題」、「女性問題」、「拳銃密輸及び拳銃所持疑惑」などのスキャンダルが発覚。政治資金規正法違反については時効となり、処分はまぬがれたがこの影響により落選。

数多くのスキャンダルに対して猪木本人は完全に否定した。

朝鮮半島問題との関わり

師匠の力道山が韓国を訪問していたことを知った猪木は、参議院議員時代の1994年(平成6年)9月に金容淳の招きで初めて北朝鮮を訪問し、何人かの要人と力道山の娘に会った。その後、30回以上北朝鮮を訪問している。猪木は世界 (雑誌)のインタビュー記事で、日本の政治家たちは北朝鮮問題に先入観を持っており拉致と制裁以外に何も言わない。戦前、戦後の知識を持たないため相手を理解せず日本の基準で判断して主張する。それでは相手と衝突するだけで何も進まないと批判している。拉致担当大臣が直接北朝鮮に行って対話と交渉をすべきで、国力の優位を利用して落ち着いた寛大な外交をするべきと主張し、「スポーツ交流を通じて世界平和を」を理念に国家間の話し合いのきっかけになっていきたいと語っている[88]

2013年7月に26回目の訪朝をして北朝鮮政府の要人と会談をした猪木は、帰国後に日本外国特派員協会で記者会見を開き、拉致被害者名簿の信頼性や拉致問題を国際社会に訴えて解決することについて疑問を抱いていること、「拉致が解決したら、我々は幸せになれますかね?」と発言して独自の見解を示した[89]。ただし、拉致問題の解決に否定的なわけではなく、SAPIO2015年2月号のインタビューでは「拉致問題担当大臣が10人以上も代わっているようでは、北朝鮮側もまともな交渉をすることはできない」「必要があるのなら、朝鮮労働党幹部と信頼関係を築いてきた私をいつでも使えば良い。選挙で拉致問題のパフォーマンスをしている議員とは違い、自分は命がけでやる」とし[90]、2016年9月の31回目の訪朝中には現地の日本人女性3人と接触し「八十何歳とお年を召されている。そういう方々の『故郷に帰りたい』という夢を実現させたい。帰国できるように呼びかけていきたい」とも述べている[91]

2016年5月に行われた朝鮮労働党第7次大会にて金正恩が党委員長に推戴されたことを受け、祝福の花かごを贈っている[92]

なお、猪木の姿勢は時に国会議員からも賛否両論が飛び交うこともある[91]


  1. ^ a b 2013年(平成25年)7月10日参議院比例代表選出議員選挙選挙長告示第1号「平成二十五年七月二十一日執行の参議院比例代表選出議員の選挙において、政党その他の政治団体から参議院名簿の届出があった件」
  2. ^ a b Antonio Inoki Bio”. WWE.com. 2015年4月1日閲覧。
  3. ^ a b 『THE WRESTLER BEST 100』P200(1981年、日本スポーツ出版社
  4. ^ 当時テレビ朝日プロレス中継アナウンサーの舟橋慶一の命名である。
  5. ^ “アントニオ猪木、イスラム教徒だった 入信のきっかけは「イラクの人質救出」”. J-CASTニュース (株式会社ジェイ・キャスト). (2012年12月30日). https://www.j-cast.com/2012/12/30160003.html 2019年6月26日閲覧。 
  6. ^ Richard Leiby (2012年12月13日). “Wrestling, anyone? Pakistan welcomes back a flamboyant Japanese hero of the ring.” (英語). Washington Post. 2019年7月20日閲覧。
  7. ^ 山本小鉄・前田日明『日本魂』講談社
  8. ^ 長兄は同行せず。祖父は渡航中に船上で毒性のある未熟なバナナを食べて死去。
  9. ^ なお陸上部の前にバスケットボール部に入っていた。ただし「うまくないから」という理由で退部。
  10. ^ 『Gスピリッツ Vol.16』P64「カンジ・イノキのアメリカ武者修行」(2010年、辰巳出版ISBN 4777808017
  11. ^ a b c d e 『アントニオ猪木 燃える闘魂50年 (上巻)』P28(2010年、ベースボール・マガジン社ISBN 4583616775
  12. ^ ジャイアント馬場一代記漫画「ジャイアント台風」(作:梶原一騎、画:辻なおき)の作中で馬場が「後にアントニオ・ロッカにちなんで、猪木寛至くんに「アントニオ」というリングネームをつけた」と語る場面がある[要出典]
  13. ^ a b NWA World Tag Team Title [E. Texas]”. Wrestling-Titles.com. 2015年4月1日閲覧。
  14. ^ a b NWA World Tag Team Title [Mid-America]”. Wrestling-Titles.com. 2015年4月1日閲覧。
  15. ^ a b c d 『アントニオ猪木 燃える闘魂50年 (上巻)』P30(2010年、ベースボール・マガジン社、ISBN 4583616775
  16. ^ NWA Texas Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2015年4月1日閲覧。
  17. ^ a b 『Gスピリッツ Vol.16』P60-61「カンジ・イノキのアメリカ武者修行」(2010年、辰巳出版、ISBN 4777808017
  18. ^ プロレススーパースター列伝 アントニオ猪木の項
  19. ^ 知っていれば楽しさ倍増!日本のプロレスの歴史を簡単チェック”. 【SPAIA】スパイア (2016年12月16日). 2020年11月15日閲覧。
  20. ^ a b 『Gスピリッツ Vol.36』P15-16「『格闘技世界一決定戦』の表と裏」(2015年、辰巳出版、ISBN 4777814998
  21. ^ 試合前に長州力の不意打ちのラリアットをくらいピンフォール負けするなど、非常に苦しいトーナメントであった。
  22. ^ a b 猪木は一休の言葉として紹介したが、実際には、文言に多少の相違はあるものの、もとは清沢哲夫の「道」という詩であったと見られる。[1]
  23. ^ このスカイダイビングに猪木は10億円の保険を掛けていた。
  24. ^ モハメド・アリの娘や猪木の娘(サイモン猪木の妻)などが参戦を表明していた。
  25. ^ 日系アメリカ人では過去にミスター・フジが殿堂入りしている。
  26. ^ ヨシ・タツVに猪木殿堂入り デイリースポーツ 2010年3月30日閲覧
  27. ^ http://www.sanspo.com/geino/news/20121120/sot12112020380001-n1.html
  28. ^ “猪木古希パーティーに豪華メンバー集結” (日本語). 東京スポーツ. (2013年2月21日). http://www.tokyo-sports.co.jp/prores/110392/ 2013年3月14日閲覧。 
  29. ^ “神様”カール・ゴッチの墓建てる!猪木氏が7・24記念興行 - デイリースポーツ・2017年5月25日
  30. ^ 「整理される訳にはいきません」アントニオ猪木氏から見放されたNEWが開幕戦で存続求める署名活動 - スポーツ報知・2017年6月2日
  31. ^ 猪木氏の「整理発言」で大ピンチ IGFは再び存続を訴えたが… - 東京スポーツ・2017年6月7日
  32. ^ アントニオ猪木氏設立のIGF 猪木夫人に返金訴訟 - 日刊スポーツ・2017年6月28日
  33. ^ 報告 - IGF公式サイト・2018年3月22日
  34. ^ 【INOKI ISM】10・21両国で「猪木生前葬」 - 東京スポーツ・2017年9月15日
  35. ^ ジャイアント馬場没後20年追善興行に猪木、初代タイガー、新間寿、坂口征二、ハンセンらが集結!76歳のマスカラスが空を舞い勝利!新日本vs全日本の全面対抗戦は全日本に軍配?!” (日本語). バトル・ニュース (2019年2月20日). 2019年2月20日閲覧。
  36. ^ アントニオ猪木氏、馬場さん追善興行に登場「私もそろそろ送られ人に…」/デイリースポーツ online” (日本語). デイリースポーツ online (2019年2月19日). 2019年2月20日閲覧。
  37. ^ アントニオ猪木さんが難病「心アミロイドーシス」を告白。症状は?どのような病気?”. マイナビニュース (2020年8月28日). 2021年6月14日閲覧。
  38. ^ a b アントニオ猪木闘病番組が大反響 病名公表、入退院の連続「こんなにも脆い、弱い」 – 東京スポーツ新聞社” (日本語). 東スポWeb. 2021年11月27日閲覧。
  39. ^ 1989年(平成元年)7月29日中央選挙管理会告示第14号「平成元年七月二十三日執行の参議院比例代表選出議員選挙における名簿届出政党等に係る得票数、当選人の数並びに当選人の住所及び氏名に関する件」
  40. ^ 議員について:よくある質問:参議院 参議院公式サイト
  41. ^ 参議院会議録情報 第116回国会 予算委員会 第4号”. kokkai.ndl.go.jp. 国立国会図書館. 2019年12月14日閲覧。
  42. ^ 1992年(平成4年)8月3日中央選挙管理会告示第11号「平成四年七月二十六日執行の参議院比例代表選出議員の選挙における名簿届出政党等に係る得票数、当選人の数並びに当選人の住所及び氏名に関する件」
  43. ^ 当初は公設第2秘書であったが、第1秘書の猪木快守が借金問題で秘書を解雇され昇格。
  44. ^ 1995年(平成7年)7月12日参議院比例代表選出議員選挙選挙長告示第1号「平成七年七月二十三日執行の参議院比例代表選出議員の選挙において、政党その他の政治団体から参議院名簿の届出があった件」
  45. ^ アントニオ猪木氏、参院選出馬表明「元気を日本のために」 スポーツニッポン 2013年6月5日閲覧
  46. ^ (平成25年)7月26日中央選挙管理会告示第25号「平成二十五年七月二十一日執行の参議院比例代表選出議員の選挙における参議院名簿届出政党等に係る得票数、当選人の数並びに当選人の住所及び氏名に関する件」
  47. ^ 2013年(平成25年)7月31日『官報』第6099号8ページ「議員氏名」
  48. ^ 比例当選のアントニオ猪木氏、北朝鮮訪問へ 読売新聞 2013年7月27日閲覧
  49. ^ アントニオ猪木氏25日訪朝へ 維新幹部「まだ民間人」 朝日新聞 2013年7月27日閲覧
  50. ^ 訪朝の猪木氏、金永南氏と会談 朝鮮中央通信伝える 朝日新聞 2013年7月29日
  51. ^ アントニオ猪木氏25日訪朝へ 維新幹部「まだ民間人」 朝日新聞 2013年7月25日
  52. ^ アントニオ猪木氏、訪朝強行の構え 参院議運は許可せず msn産経ニュース 2013年11月1日
  53. ^ 猪木氏、北朝鮮へ出発…参院の許可なしで強行 読売新聞 2013年11月1日
  54. ^ 猪木氏懲罰動議を可決、参院 山本氏は厳重注意 日本経済新聞 2013年11月13日
  55. ^ アントニオ猪木参院議員:登院停止処分に…無許可訪朝で 毎日新聞 2013年11月21日
  56. ^ 猪木氏、登院停止30日=63年ぶり懲罰決定-参院 時事通信 2013年11月22日
  57. ^ アントニオ猪木氏「言葉控える」 張氏と11月に会談 2013.12.13 22:08産経新聞』 2013年12月13日 12月14日閲覧
  58. ^ (日本語) 猪木氏が平壌入り 16日まで滞在、北朝鮮要人と会談へ”. MSN産経ニュース (2014年1月13日). 2014年1月14日閲覧。
  59. ^ (日本語) 「バカヤローと怒鳴ってやる」訪朝終えたアントニオ猪木氏が吠える (更新 2014/1/22 11:30)”. 週刊朝日(1月31日号) (2014年1月22日). 2014年3月27日閲覧。
  60. ^ (日本語) アントニオ猪木が独白「誰も知らない訪朝の理由」 PRESIDENT 2014年2月3日号”. PRESIDENT Online (2014年3月24日). 2014年3月27日閲覧。
  61. ^ “猪木氏ら維新5議員 連休中の訪朝計画”. MSN産経ニュース. (2014年4月15日). http://sankei.jp.msn.com/politics/news/140415/stt14041519480003-n1.htm 2014年8月8日閲覧。 
  62. ^ “猪木氏訪朝の自粛要請 逢沢議運委員長”. MSN産経ニュース. (2014年4月24日). http://sankei.jp.msn.com/politics/news/140424/stt14042411250006-n1.htm 2014年8月8日閲覧。 
  63. ^ “猪木氏ら正式に訪朝断念、許可出ず”. MSN産経ニュース. (2014年4月25日). http://sankei.jp.msn.com/politics/news/140425/stt14042522370011-n1.htm 2014年8月8日閲覧。 
  64. ^ ““幻”となる維新訪朝団 渡航自粛の壁、遺恨の火種にも”. MSN産経ニュース. (2014年4月23日). http://sankei.jp.msn.com/politics/news/140423/stt14042320130009-n1.htm 2014年8月8日閲覧。 
  65. ^ “猪木氏の北朝鮮渡航、問題なし 官房長官”. MSN産経ニュース. (2014年7月7日). http://sankei.jp.msn.com/politics/news/140707/plc14070722470011-n1.htm 2014年8月8日閲覧。 
  66. ^ “猪木氏が北朝鮮に出発 「スポーツ交流」…拉致問題も意見交換”. MSN産経ニュース. (2014年7月9日). http://sankei.jp.msn.com/politics/news/140709/stt14070913410002-n1.htm 2014年8月8日閲覧。 
  67. ^ “アントニオ猪木氏ら国会議員6人が訪朝 朝・日関係について幅広く意見交換”. 朝鮮新報. (2014年7月14日). http://chosonsinbo.com/jp/2014/07/0714sm/ 2014年8月8日閲覧。 
  68. ^ ““闘魂外交”への風向き変わった!猪木氏に自民党議員もエール”. 東京スポーツ. (2014年7月16日). http://www.tokyo-sports.co.jp/nonsec/social/290186/ 2014年8月8日閲覧。 
  69. ^ 2014年(平成26年)10月3日総務省告示第358号「政党助成法第二十三条第四項の規定による未交付金の交付を受けようとする分割政党の届出があったので公表する件」
  70. ^ 次世代の党:アントニオ猪木氏が離党届 執行部預かりに 毎日新聞 2014年12月18日閲覧
  71. ^ マララさん「日本にぜひ行きたい」 アントニオ猪氏が訪日要請
  72. ^ マララさん父は猪木ファンだった デイリースポーツ 2014年1月23日閲覧
  73. ^ “参院新勢力が確定=舟山氏民進入り、元気解散”. 時事通信. (2016年7月28日). http://www.jiji.com/jc/article?k=2016072700748&g=pol 
  74. ^ 国民民主、参院で野党第1会派に”. 日本経済新聞 (2019年2月25日). 2019年2月25日閲覧。
  75. ^ 猪木氏が「参院選不出馬」激白 2期12年の政治家人生に終止符 東京スポーツ2019年6月6日付
  76. ^ “アントニオ猪木氏が参院選不出馬「出ない」と明言”. 産経新聞. (2019年6月5日). https://www.sankei.com/politics/news/190605/plt1906050035-n1.html 2019年6月6日閲覧。 
  77. ^ 「もうよぼよぼだ」参院選、猪木氏が不出馬の意向 高齢を理由に” (日本語). 毎日新聞. THE MAINICHI NEWSPAPERS. (2019年6月7日). 2019年6月10日閲覧。
  78. ^ The NWAHW matches fought by Antonio Inoki in 1964”. Wrestlingdata.com. 2015年9月2日閲覧。
  79. ^ The GAC matches fought by Antonio Inoki in 1965”. Wrestlingdata.com. 2015年9月2日閲覧。
  80. ^ All Asia Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2015年9月8日閲覧。
  81. ^ JWA 1970 The 1st Annual NWA Tag Team League”. Puroresu.com. 2015年9月8日閲覧。
  82. ^ NWA United National Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2015年9月8日閲覧。
  83. ^ NJPW 1972 Opening Series”. Puroresu.com. 2015年9月2日閲覧。
  84. ^ 古舘伊知郎『弓を引くナックルパート』と表現したこともある。
  85. ^ a b c フジテレビトリビア普及委員会『トリビアの泉〜へぇの本〜 1』講談社、2003年。
  86. ^ 猪木の弟子で、「猪木最後の闘魂継承者」と呼ばれる藤田和之は、オーケストレーション・バージョンを入場曲とする。
  87. ^ スマホ時代に着信メロディ復活元年 GIGAエンタメロディ「着信メロディ15年間ランキング」発表 歴代No.1アーティストはEXILE、PRTIMES(株式会社フェイス・ワンダワークス)、2015年1月20日。
  88. ^ アントニオ猪木、2011、「北朝鮮とは対話で勝負しよう!-北朝鮮訪問22回の経験から」、『世界』(2011年12月号 No.824)、岩波書店、ISSN 0582-4532 pp. pp.234-240
  89. ^ 「拉致解決したら幸せになれるのか」 アントニオ猪木氏が特派員協会で独自見解”. ジェイ・キャスト (2013年8月5日). 2013年11月22日閲覧。
  90. ^ A.猪木氏「俺なら命がけで拉致問題を解決してみせる」と宣言 NEWSポストセブン
  91. ^ a b 猪木氏 北朝鮮幹部の“本音”明かす「核実験は米国に向けてのもの」 ライブドアニュース
  92. ^ “金正恩元帥に日本国会参院議員から花かご”. ネナラ. (2016年5月12日). http://www.naenara.com.kp/ja/news/news_view.php?0+95464 2016年6月4日閲覧。 
  93. ^ 新宿・アントニオ猪木酒場がコロナの影響で31日で閉店、最終日に別れ惜しむ(eFight 2020年7月31日)
  94. ^ https://ch.nicovideo.jp/nekketsu/blomaga/ar1104147 サイモン猪木インタビュー
  95. ^ 日刊スポーツ 2006年9月13日
  96. ^ 日刊スポーツ2006年9月17日
  97. ^ 『日本プロレス史の目撃者が語る真相! 新間寿の我、未だ戦場に在り!<獅子の巻>』(ダイアプレス、2016年)p32-33
  98. ^ “猪木さんが馬場さんに漏らした一言…渕正信<4>”. YOMIURI ONLINE. (2016年1月28日). http://www.yomiuri.co.jp/life/special/prowres/20160127-OYT8T50058.html?page_no=2 2016年11月27日閲覧。 
  99. ^ 「戦いのロマンと企業戦争」(『G SPIRITS vol.30』辰巳出版、2013年、ISBN 9784777812660)P18の坂口征二による証言
  100. ^ 但し、日本プロレス時代や新日本プロレス旗揚げ当初は緑色や紺色のタオルを首に巻いてリングに上がっていたこともあり、Youtubeなどで視聴出来る猪木の古い映像ではそれが確認出来る。
  101. ^ “猪木氏「闘魂」応援演説ダ~!!”. デイリースポーツ. (2015年4月21日). http://www.daily.co.jp/gossip/2015/04/21/0007940893.shtml 2016年3月21日閲覧。 
  102. ^ ミスター高橋『知らなきゃよかった プロレス界の残念な伝説』宝島社、2018年。ISBN 9784800289216 pp.36-37
  103. ^ 桑田佳祐「ただの歌詩じゃねえか、こんなもん」(1984年、新潮社、p215)
  104. ^ アントニオ猪木 Wikipedia「CAに機内で闘魂ビンタ」真相を直撃」『週刊FLASH』2012年3月20日号、光文社、2012年3月、2012年9月17日閲覧。
  105. ^ 東邦出版『KAMINOGE』vol.85 p.67
  106. ^ 『東スポお宝写真館』-1967年11月 東京スポーツ 2013年6月21日付7面
  107. ^ 4度目の結婚も発覚! アントニオ猪木や川越シェフ…実はバツ2以上の芸能人4人!
  108. ^ 猪木妻死去も遺言守り仕事のスケジュール変更せず - 日刊スポーツ 2019年8月28日
  109. ^ 猪木の実兄でブラジル在住の相良寿一が、ブラジル空手道協会の最高師範で、軍の中にも多くの弟子を抱えていたことから、相良を通じて軍隊の協力を得ることができたという。
  110. ^ 『プロレスリング醜聞100連発!!』P90-91 竹内宏介著(1998年、日本スポーツ出版社ISBN 4930943108
  111. ^ “野党よ、こんな国会質問でいいのか 「猪木」「共産党のアイドル」内容が酷すぎる”. 産経ニュース (産業経済新聞社・産経デジタル). (2015年2月16日). https://www.sankei.com/premium/news/150216/prm1502160005-n1.html 2018年10月17日閲覧。 
  112. ^ 100万人に数人の難病…アントニオ猪木が語る「闘って死にたい」 - 女性自身 2020年10月19日
  113. ^ アントニオ猪木、有馬温泉で殺人事件に巻き”. ニュースウォーカー (2016年5月19日). 2016年5月25日閲覧。






固有名詞の分類

日本のプロレスラー タイガースマスク  フラッシュムーン  アントニオ猪木  戸井克成  佐藤耕平
プロレス・トレーナー 神取忍  ピート・セネルシア  アントニオ猪木  トム・プリチャード  成国晶子
WWE殿堂 ファビュラス・ムーラ  デビッド・フォン・エリック  アントニオ猪木  ワイルド・サモアンズ  ティト・サンタナ
新日本プロレスに所属したプロレスラー 安田忠夫  垣原賢人  アントニオ猪木  佐野直喜  越中詩郎
日本プロレスに所属していたレスラー 大熊元司  キラー・カーン  アントニオ猪木  ミスター林  力道山
格闘技の関係者 矢部良  豊永稔  アントニオ猪木  ラウンドガール  レニー・ハート
東京プロレスに所属していたレスラー 北沢幹之  マサ斎藤  アントニオ猪木  大剛鉄之助  大磯武
日本の芸能人 千波丈太郎  白鳥哲  アントニオ猪木  高橋真唯  大村学
日本の実業家 與田尚志  河端作兵衛  アントニオ猪木  舩橋晴雄  青井忠治
神奈川県の政治家 中本太衛  森島守人  アントニオ猪木  沢たまき  岡部三郎

英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「アントニオ猪木」の関連用語

アントニオ猪木のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



アントニオ猪木のページの著作権
Weblio 辞書情報提供元は参加元一覧にて確認できます。

  
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのアントニオ猪木 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2021 GRAS Group, Inc.RSS