アルマダの海戦 参戦船舶一覧

アルマダの海戦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/08 02:50 UTC 版)

参戦船舶一覧

イングランドおよびネーデルラント連合共和国

総司令官チャールズ・ハワード提督乗艦。アークロイヤル号
副司令官フランシス・ドレーク乗艦リベンジ号
ガレオン船アンテロープ号
王室直属船
船名 船長 トン数 砲数 船種
アークロイヤル(Ark Royal チャールズ・ハワード提督 (en 800 50 ガレオン船
エリザベスボナベンチャー(Elizabeth Bonaventure) ジョージ・クリフォード 600 ? ガレオン船
レインボー(Rainbow ヘンリー・シーモア卿 (en 500 ? ガレオン船
ゴールデンライオン(Golden Lion) トマス・ハワード卿 500 28 ガレオン船
ホワイトベアー(White Bear) アレクサンダー・ギブソン 500 ? ガレオン船
ヴァンガード(Vanguard ウィリアム・ウィンター 500 ? ガレオン船
リベンジRevenge フランシス・ドレーク 500 32 ガレオン船
エリザベス(Elizabeth) ロバート・サウスウェル 900 41 ガレオン船
ビクトリー(Victory) ジョン・ホーキンス提督 600 32 ガレオン船
アンテロープ(Antelope ヘンリー・パーマー 400 18 ガレオン船
トライアンフ(Triumph マーティン・フロビッシャー (en 1100 44 ガレオン船
ドレッドノート(Dreadnought ジョージ・ビーストン 400 22 ガレオン船
メアリー・ローズ(Mary Rose エドワード・フェントン (en 600 28 ガレオン船
ノンパーエイル(Nonpareil) トマス・フェナー 500 29 ガレオン船
ホープ(Hope ロバート・クロース 600 26 ガレオン船
ガレー・ボナボリア(Galley Bonavolia) ? ? ガレオン船
スウィフトシュア(Swiftsure エドワード・フェナー 400 22 ガレオン船
スワロー(Swallow) リチャード・ホーキンス (en 360 16 ガレオン船
ラーク(Larke) アーサー・チチェスター (en ? ?
フォーサイト(Foresight クリストファー・ベイカー 300 24 ガレオン船
エイド(Aid ウィリアム・フェナー 250 12 小型ガレオン船
ブル(Bull) ジェレミー・ターナー 200 16 小型ガレオン船
タイガー(Tiger) ジョン・ボストック 200 18 小型ガレオン船
トラモンターナ(Tramontana) ルカ・ワード 150 ? 小型ガレオン船
スカウト(Scout) ヘンリー・アシュリー 120 10 小型ガレオン船
アチェイツ(Achates) グレゴリー・リッグス 100 6 小型ガレオン船
ジョージ(George) リチャード・ホッジス 100 ? 小型ガレオン船
チャールズ(Charles) ジョン・ロバーツ 70 ? 小型帆船
マーリン(Merlin) ウォルター・ガワー 20 ? 小型帆船
スパイ(Spy) アンブローズ・ワード 50 ? 小型帆船
サン(Sun) リチャード・バックリー 40 ? 小型帆船
シグニット(Cygnet) ジョン・シェリフ 30 ? 小型帆船
ブリガンディーン(Brigandine) トマス・スコット 90 ? 小型帆船
  • 臨時召集船
    • 武装商船34隻
    • 平底荷船33隻
    • 沿岸航路船23隻

8月7 - 8日の火船攻撃に使用された船:

  • バーク・タルボット(Bark Talbot)
  • ホープ(Hope)
  • トマス(Thomas)
  • バーク・ボンド(Bark Bond)
  • ベアー・ヨンジ(Bear Yonge)
  • エリザベス(Elizabeth)
  • パステル(Pastel)
  • 病院船(Cure's Ship.)

スペイン無敵艦隊

イングランド艦隊と交戦するスペイン艦隊旗艦サン・マルチーニョ号。ヘンドリック・コルネーリス・ヴルーム (en
無敵艦隊のガレアス船
帆船とガレー船との折衷的な船でナポリ船隊の4隻が参加していた。
ポルトガル船隊
指揮官:メディナ=シドニア公アロンソ・ペレス・デ・グスマン
船名 トン数 砲数 備考
サン・マルチーニョ(São Martinho 1000 48 船隊旗艦
サン・ジュァン(São João) 1050 50 船隊副提督艦
サン・マルコス(São Marcos) 790 33 船長ロペス・デ・メンドーサ:
9月10日、アイルランド沖で座礁
サン・フェリーペ(São Filipe) 800 40 船長フランシスコ・デ・トレド (en
8月8日、ニーウポールトオーステンデの間で放棄。8月9日、哨戒中のネーデルラント連合に捕獲される。
サン・ルイス(São Luís) 830 38 船長アグスティン・メキシア
サン・マテウス(São Mateus) 750 34 船長ディエゴ・ピメンテル:
ニーウポールトとオーストエンデの間で座礁。8月9日、哨戒中のネーデルラント連合に捕獲される。
サンティアーゴ(Santiago) 520 24
サン・フランシスコ(San Francesco) 961 52 船長ニッコロ・バルトリ:
フィレンツェ共和国のガレオン船でポルトガル船隊に編入された。
サン・クリストーヴォン(São Cristóvão) 352 20
サン・ベルナルド(São Bernardo) 352 21
アウグスタ(Augusta) 166 13
ジューリア(Júlia) 166 14
カスティーリア船隊
指揮官:ディエゴ・フローレス・デ・ヴァルデス
船名 トン数 砲数 備考
サン・クリストーバル(San Cristóbal) 700 36 船隊旗艦                
サン・フアン・バウティスタ(San Juan Bautista) 750 24 船隊副提督艦
サン・ペドロ(San Pedro) 650 24
サン・ファン(San Juan) 530 24
サンティアーゴ・エル・マヨール(Santiago el Mayor) 530 24
サン・フェリペ・イ・サンティアーゴ
(San Felipe y Santiago)
530 24
ラ・アスンション(La Asunción) 530 24
ヌエストラ・セニヨーラ・デ・パリオ
(Nuestra Señora del Barrio)
530 24
サン・リンダ・イ・セレドン(San Linda y Celedón) 530 24
サンタ・アナ(Santa Ana) 250 24
ヌエストラ・セニヨーラ・デ・ベゴーニヤ
(Nuestra Señora de Begoña)
530 24
ラ・トリニダ・ボヒタール(La Trinidad Bogitar) 872 24
サンタ・カタリーナ(Santa Catalina) 882 24
サン・フアン・バウティスタ(San Juan Bautista) 700 24
ヌエストラ・セニヨーラ・デル・ロサリオ
(Nuestra Señora del Rosario)
75 24
サン・アントーニオ・デ・パドゥア
(San Antonio de Padua)
75 12
ビスカヤ船隊
指揮官:ファン・マルティネス・デ・リカルデ及びアレハンドロ・ゴメス・デ・セグラ(es)
船名 トン数 砲数 備考
サンタ・アナ(Santa Ana) 768 30 船隊旗艦
エル・グラン・グリン(El Gran Grin) 1160 28 船隊副提督艦:
9月24日、アイルランドのクレア島 (enに座礁
サンティアーゴ(Santiago) 666 25
ラ・コンセプション・デ・スベルス
(La Concepción de Zubelzu)
486 16
ラ・コンセプション・デ・フアン・デル・カーノ
(La Concepción de Juan del Cano)
418 18
ラ・マグダレーナ(La Magdalena) 530 18
サン・ファン(San Juan) 350 21
ラ・マリーア・ファン(La María Juan) 665 24 8月8日、グラヴリンヌ北方で沈没
ラ・マヌエーラ(La Manuela) 520 12
サンタ・マリーア・デ・モンテマヨール
(Santa María de Montemayor)
707 18
マリーア・デ・アギーレ(María de Aguirre) 70 6
イザベラ(Isabela) 71 10
パターチェ・デ・ミゲル・スソ
(Patache de Miguel de Suso)
36 6
サン・エステバン(San Esteban) 96 6
ギブスコア船隊
指揮官:ミゲル・デ・オケンド (en
船名 トン数 砲数 備考
サンタ・アナ(Santa Ana) 1200 47 船隊旗艦
サン・サルバドール(San Salvador) 958 25 7月31日爆発、8月1日捕獲。
サンタ・マリーア・デ・ラ・ロサ
(Santa Maria de la Rosa)
945 26
サン・エステバン(San Esteban) 736 26
サンタ・クルス(Santa Cruz) 680 16
サンタ・マルタ(Santa Marta) 548 20
サンタ・バルバラ(Santa Barbara) 525 12
ドンセーリャ(Doncella) 500 16
サン・ブエナベントゥーラ(San Buenaventura) 379 21
ラ・マリーア・サン・フアン(La Maria San Juan) 291 12
パクタス・サン・ベルナーベ(Paxat San Bernabe) 69 9
パクタス・ラ・アスンション(Paxat la Asuncion) 60 9
ピナーサ・ヌエストラ・セニヨーラ・デ・グアダルーペ
(Pinaza Nuestra Senora de Guadalupe)
? ?
ピナーサ・マグダレーナ
(Pinaza Magdalena)
? ?
アンダルシア船隊
指揮官:ペドロ・デ・バルデス
船名 トン数 砲数 備考
ヌエストラ・セニヨーラ・デル・ロサリオ
(Nuestra Senora del Rosario)
1150 46 船隊旗艦
8月1日捕獲。
サン・バルトロメ(San Barolome) 976 27
サン・フランシスコ(San Francisco) 915 21
ドゥケーサ・サンタ・アナ(Duquesa Santa Ana) 900 23
ラ・コンセプション(La Concepcion) 862 20
サン・フアン・バウティスタ(San Juan Bautista) 810 31
サンタ・カタリーナ(Santa Catalina) 730 23
サンタ・マリーア・デ・フンカル
(Santa Maria de Juncal)
730 20
ラ・トリニダ(La Trinidad) 650 13
サン・ファン・デ・ガルガリン(San Juan de Gargarin) 569 16
エスピリトゥ・サント。(Espiritu Santo.) ? ?
レパントまたはイタリア船隊
指揮官:マルティン・ベルテンド(es)
船名 トン数 砲数 備考
ラ・レガツォーナ(La Regazona) 1249 30 船隊旗艦
ラ・トリニダ・バレンセーラ
(La Trinidad Valencera)
1100 42
ラ・トリニダ・デ・スカラ
(La Trinidad de Scala)
900 22
ラ・ジュリアーナ(La Juliana) 86 32
ラ・ラータ・サンタ・マリア・エンコロナーダ
(La Rata Santa Maria Encoronada)
834 26
サン・ニコラス・プロダネーリ(San Nicolas Prodaneli) 820 35
サン・ファン・デ・シチリア(San Juan de Sicila) 80 26
ラ・ラビア(La Lavia) 728 25
ラ・アヌンシアーダ(La Anunciada) 703 24
サンタ・マリーア・デ・ビソン(Santa Maria de Vison) 666 18
ナポリ・ガレアス船隊
指揮官:ウーゴ・デ・モンカーダ
船名 トン数 砲数 備考
サン・ロレンソ(San Lorenzo) ? 50 船隊旗艦
スニガ(Zúñiga) ? 50
ラ・ジローナ(La Girona ? 50 アイルランド北部アントリムで座礁。
ナポリターナ(Napolitana) ? 50
ポルトガル・ガレー船隊
指揮官:ディエゴ・メドラノ
船名 トン数 砲数 備考
カピターナ(Capitana) ? 5
プリンセサ(Princesa) ? 5
ディアナ(Diana) ? 5
バザーナ(Bazana) ? 5
  • 輸送船団
指揮官:ファン・ロペス・デ・メディナ:23隻
  • 小型船船団
指揮官:アントーニオ・ウルタード・デ・メンドーサ (en:小型帆船22隻

※スペイン船のトン数はスペイン式計算によるもので、イングランド式計算よりも25%以上小さい[100]


注釈

  1. ^ ウィンターからウォルシンガムへの書簡によると火船はドーバーから徴発したのではなく艦隊のものを使用していた。(John Knox Laughton,State Papers Relating to the Defeat of the Spanish Armada, Anno 1588, printed for the Navy Records Society, MDCCCXCV, Vol. II, pp. 8–9)
  2. ^ 小林幸雄は、本当ならば無敵であったはずという慨嘆と哀悼の意を題名に込めたのではないかとしている。
  3. ^ armadaそのものはスペイン語の普通名詞で、これに相当する英語はnavyである。ただしヨーロッパの言語では、ある国独特の組織・地位などを半ば固有名詞的に指す場合には、その国の言葉をそのまま用いる習慣がある。Czar(ロシア皇帝)、Shogun江戸幕府の将軍)など。
  4. ^ 当時イングランドはまだグレゴリオ暦を採用していない。
  5. ^ 低地諸国の一部でスペインの統治から離脱しようとしていた。
  6. ^ スペイン視点からこの戦いを論じた『アルマダの航海-スペインの物語』(1981年)の著者ディヴィット・ハワースは通説である粗悪な樽材による水食糧の被害を疑問としている。(海野(1985),pp.175-176)
  7. ^ 当初、船隊旗艦はサンタ・アナ号(Santa Ana)だったが、リカルデ提督はサン・ファン号に乗り換えている。(石島(1981),p.116)
  8. ^ 帆船とガレー船の折衷型の船種。
  9. ^ 疫病により1万6,000人に減っていた。
  10. ^ これはメディナ=シドニア公の証言で、パルマ公は準備はできていたと主張している。ルイス(1996),pp.194-196
  11. ^ 用例:谷恒生『超・帝国無敵艦隊』(勁文社、1993年)や霧島那智『上杉謙信の野望―北の無敵艦隊』(青樹社、2001年)など。また、ゲームでも例えば『エースコンバット04 シャッタードスカイ』(ナムコ、2001年)に登場するエルジア共和国海軍主力艦隊「エイギル艦隊」の別名として用いられている。
  12. ^ 用例:グラスゴーの奇跡…いや奇跡じゃない 無敵艦隊を撃沈”. 朝日新聞デジタル. 2012年7月27日閲覧。
    村松尚登(2010)『スペイン代表「美しく勝つ」サッカーのすべて---“無敵艦隊”の強さを徹底分析! 』、河出書房新社、ISBN 978-4-3092-7171-2

出典

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  100. ^ ルイス(1996),p.84






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