アメリカ合衆国の音楽 ポピュラー音楽

アメリカ合衆国の音楽

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/24 05:45 UTC 版)

ポピュラー音楽

アメリカは、近現代において多くのポピュラーミュージシャンや作曲家を生み出してきた。レコード音楽の誕生に始まり、アメリカのアーティストたちはポピュラー音楽をリードし続けてきた。「アメリカ人の世界文化へのあらゆる貢献によって、ポピュラー音楽は世界中の注目を浴びている」とデビット・ユーアンは書いている[33]。ポピュラー音楽の歴史家には、バラッドといったポピュラー音楽的な習慣から、ポピュラー音楽の起源をヨーロッパのルネサンスまでさかのぼって考える者もいるが、多くは、アメリカのラグタイムティン・パン・アレーをポピュラー音楽の始まりとして位置づけている[34]。楽譜に着目し、アメリカのポピュラー音楽の起源をスピリチュアルミンストレル・ショーヴォードヴィル南北戦争時の愛国歌に求める見方が典型的である。

初期のポピュラー音楽

Sheet music for "Dixie"

アメリカ合衆国の独立の際の、トマス・ペイン作詞の「自由の樹」などの民衆による愛国音楽はポピュラー音楽界の始まりといえる。ブロードシートに安っぽく印刷された愛国歌は植民地中に広まり、家庭や集会で歌われた[35]。ファイフ(en:Fife 横笛の一種)を使った曲が特に好まれ、独立戦争の戦場でも演奏された。ファイフ曲で最も長く流行したのが今日でも有名な「ヤンキードゥードゥル(日本では「アルプス一万尺」として有名)」である。この曲は1755年に生まれ、アメリカ・イギリス両軍の兵士の間で歌われた[36]。愛国歌の多くは、イングランドのメロディを元にしながらも、イギリスの植民地主義を批判する替え歌をつけたものであったが、その他にも、アイルランド・スコットランド由来の曲を使ったものや、通俗曲を使用していないものもあった。有名な「コロンビア万歳」は、「星条旗」の採用までは非公式ながら国歌として通用していた。これら初期のアメリカ音楽は、セイクリッド・ハープ(en:Sacred Harp アメリカの南部に伝わるアカペラ音楽)の曲目の中にいまだ残っている。

アメリカ中の兵士が混成された南北戦争の中で、アメリカ音楽の様々なスタイルが混じり合って互いに影響を与えることとなった。また鉄道産業の成長などの技術的な発展により移動やコミュニケーションがより簡単になったことが、このプロセスをさらに助長した。国中のさまざまな地域出身の人々が集まった部隊の人々は、どんどん曲・楽器・技法を交換していった。南北戦争は、アメリカ特有の歌が作られて広く不動の人気を獲得していくきっかけとなったのだ[37]。南北戦争時代に最も流行した曲はダン・エメット(en:Dan Emmett)作詞作曲の「ディキシー」である。この曲は元々“Dixie's land”というタイトルで、あるミンストレル・ショーのエンディングのために作られたものだったが、ニューオーリンズに伝わって出版されると、「南北戦争以前の大ヒット曲のひとつ」になった[38]。またこれらの愛国歌の他にも、多くのブラスバンド作品が生まれた[39]

19世紀の作曲家、スティーブン・フォスター

南北戦争後、ミンストレル・ショーはアメリカ特有の音楽を表現する初めての場となった。ダン・エメットとヴァージニア・ミンストレルズが発案した[40]ミンストレル・ショーは、寸劇・様々な出し物・踊り・音楽からなるエンターテインメントで、通常、出演者は黒人に扮した白人であった。ミンストレル・ショーの音楽パフォーマンスには黒人文化の要素があったが、黒人は単純化されて描かれていた。後に奴隷制度廃止運動に巻き込まれるまで、ミンストレル・ショーの筋書きは黒人を生まれながらの奴隷・道化として描くものであった[41]。ミンストレル・ショーによって、現在にもよく伝わるスティーブン・コリンズ・フォスターなどの作詞作曲家が生まれた。ミンストレル・ショーの人気が落ちた後にも、クーン・ソングスという同様の試みが1880年[42]から1920年[43]にかけて人気を博した。

作曲家ジョン・フィリップ・スーザは、19世紀末アメリカのポピュラー音楽における、もっとも大きな流行と深く関係している。元アメリカ海兵隊軍楽隊(en:United States Marine Band)のバンドマスターだったスーザは、星条旗よ永遠なれなどの「故郷と故国への郷愁」を反映し、「活発で男性的な特徴」をもったメロディの行進曲を作曲した[44]

20世紀初め、主にミュージカル劇場からポピュラー音楽作品が生み出された。これらの作品は、ブルース・ジャズ・カントリーなど、現在も残るポピュラー音楽のスタイルに影響を与えた。ミュージカルのスタイルが確立する中、中心地となったニューヨークではブロードウェイ劇場が街でもっとも有名な場所になった。ジョージアイラのガーシュウィン兄弟などの作曲家・作詞家は、アメリカ特有の口調や音楽を使った、アメリカならではの劇場のスタイルを作り出した。ミュージカルが目玉にしたのは、ポピュラー音楽と、主に恋愛をテーマにした展開の速いプロットであった[45]

ブルースとゴスペル

ブルースは、現代アメリカにおけるほとんどのポピュラー音楽の基礎となったアフリカ系の民俗音楽である。カントリー、ジャズ、ラグタイム、ゴスペルなどの一連の音楽スタイルに大きな影響を与えた。これらのジャンルはそれぞれ別個の形式を発展させているが、以下のような共通の起源をもっている。19世紀終わりから20世紀初めにかけて、ミシシッピ・デルタの周辺で初期のブルースが発展した。ブルースに類する音楽でもっとも古いものといえばまずコールアンドレスポンスが挙げられるが、コールアンドレスポンスには和音も伴奏もなければ、いかなる音楽的な形式・構造もなかった。ブルースは、奴隷やその子孫がフィールドハラーやシャウトを情熱をこめた独唱歌へと変化させて作り出したものである[46]。さらに黒人教会や伝道集会で、キリスト教の霊歌との交流が生まれると、ブルースはゴスペルの基礎になった。近代のゴスペルは1920年代の黒人教会において、即興の、しばしば音楽性をもった信仰告白という形式で始まったものである。トマス・A・ドーシー(en:Thomas A. Dorsey)などの作曲家が、伝統的な聖歌・霊歌にブルースやジャズの要素を取り入れたゴスペル作品を作った[47]

ラグタイムは、シンコペーションのリズムと半音階を多用する、ピアノを中心とした音楽スタイルである[16]。元々はウォーキングベースを活かした、ソナタ形式で作曲されるダンスミュージックであった。ヨーロッパの行進曲[48]・ポピュラーソングや、北部の町で19世紀終わりごろに黒人の大バンドが演奏していたジグなどのダンスミュージックなどの様々な要素を、黒人のケークウォークダンスに盛り込んで再構成・発展させたスタイルである。ラグタイム奏者・作曲家としては、スコット・ジョプリンが最も有名で、メイプルリーフ・ラグなどの作品が知られている[49]

ブルース歌手のベッシー・スミス

1920年代、ベッシー・スミスなどのクラシック女性ブルース歌手が人気を博し、ブルースはアメリカのポピュラー音楽の一部になっていった。レコード会社が、黒人の音楽愛好家に向け「レース・ミュージック(race music)」を売り出したのもこの時期である。デルタ・ブルースのロバート・ジョンソン、チャーリー・パットン、サン・ハウス、ピードモント・ブルース(en:piedmont blues)のブラインド・ウィリー・マクテル(en:Blind Willie McTell)など、この時期の有名アーティストは、ブルースや派生ジャンルのポピュラー音楽としての発展を後々まで刺激することとなった。しかし1940年代終わりごろには、純粋なブルースが、リズム・アンド・ブルースや初期ロックンロールといった派生ジャンルに押され、ポピュラー音楽の中ではマイナーな部位になっていた一方、ブギウギなどの、電子音楽やピアノ弾き語りのスタイルは多くの観客を維持していた。

1950年代には、マヘリア・ジャクソンが牽引役となったブルース・スタイルのゴスペルも人気を獲得した[50]。またセンセーショナル・ナイチンゲールズ[51]やスワン・シルバートーンズ、ソウル・スターラーズらのゴスペル・カルテットも活躍した。しかし、1950年代のマディ・ウォーターズリトル・ウォルターといったシカゴ・ブルースのアーティストによってブルースは大きなリバイバルを果たした。またブリティッシュ・インヴェイジョンやフォーク・リバイバルの渦中にあった1960年代は、ミシシッピ・ジョン・ハートやレヴァランド・ゲイリー・デイヴィス(en:Reverend Gary Davis)などのカントリー・ブルース奏者が再発見されることとなった。1950年代のチャック・ベリーなどのロックミュージシャンや、1960・70年代のブリティッシュ・ブルース(en:British blues)やブルースロックなどの音楽シーンは、1950年代のブルース奏者から大きな影響を受けている。この影響は、イギリスのエリック・クラプトンやテキサス州のジョニー・ウィンターにまで及んだ。

ジャズ

ジャズは、スウィングブルー・ノート・スケールコールアンドレスポンスのボーカル、ポリリズム即興を特徴とした音楽の一種である。元々はダンスミュージックの一種であったが、ポピュラー音楽において主要な地位を占めるようになり、また西洋のクラシック音楽の重要な構成要素にもなった。ジャズのルーツは西アフリカの文化・音楽表現や、ブルース・ラグタイムといった黒人の音楽慣習や、ヨーロッパの軍楽にある[52]。初期のジャズとラグタイムは近縁関係にあるが、ジャズのほうが複雑な即興リズムを用いているという点で区別できる。初期のジャズバンドはベント、ブルー・ノートといった多くのブルース用語や、グロウル、スメアなど、ヨーロッパの器楽では用いられない技法を採用した。ジャズが誕生したのは、ケイジャンや黒人クレオールが住むニューオーリンズである。19世紀、黒人クレオールたちは、ケイジャンたちのフランス系カナダ人の文化とみずからの音楽スタイルと融合させた。葬式やパレードで演奏するクレオールの大型バンドが、初期のジャズの重要な基礎となり、やがてジャズはニューオーリンズからシカゴなどの北部の諸都市の都心へ広がっていった。

ビバップの先駆者、ディジー・ガレスピー

ジャズは長い間人気を保っていたが、そんな中でスター奏者となり、ジャズの発展を大きく後押ししたのがルイ・アームストロングと、その友人であるピアニストのアール・ハインズ(en:Earl Hines)である。アームストロングやハインズや共演者たちは即興演奏者であり、ひとつのメロディから数多くのバリエーションを創作することができた。スキャット(意味のない音を即興で歌う歌唱法)を世間に広げたのもアームストロングである。アームストロングとハインズは、スウィング・ジャズ(もしくは端的に「スウィング」とも)と呼ばれる、ビッグバンドによる大衆的なジャズの発展に大きく影響を与えた。スウィング・ジャズの特徴には、通常コントラバスとドラムによる強いリズムセクション、普通~速い程度のテンポ、大半のジャズの分野に共通する音符のスウィングをはじめとするリズムの工夫などがある。スウィング・ジャズは1930年代のジャズに、ブルースやティン・パン・アレーの要素を合わせたものである。スウィング・ジャズは他種のジャズよりも大規模なバンド編成をとるため、バンドリーダーは要素をしっかり管理するようになり、それまでジャズに不可欠だった即興演奏は敬遠されることとなった。スウィング・ジャズは黒人のダンスの主要な位置を占めるようになり、スウィング・ダンスと呼ばれる大衆的なダンスを伴うようになった。

ジャズは、戦前のスウィング・ジャズ時代のような、大衆音楽の中心的地位へは返り咲かなかったが、その後のポピュラー音楽において、様々なスタイルのアーティストに影響を与えた。また、ジャズはマイルス・デイヴィスなどの異色のポップスターを生んだ。40年代後半から50年代初頭にかけて、ジャズはビバップをはじめとする小ジャンルを発展させた。ビバップは速いテンポ、メロディよりもハーモニーに重点を置いた即興演奏、減五度の仕様などが特徴である。ビバップは1940年代前半から中頃に成立し、ハード・バップフリー・ジャズなどのスタイルへ派生していった。ビバップの先駆者には、ニューヨークの小さなジャズ・クラブ出身のチャーリー・パーカーディジー・ガレスピーなどがいる[53]

カントリー・ミュージック

元々、カントリー・ミュージック(端的にカントリーとも)は、黒人のブルースとスピリチュアルにアパラチア地方の民俗音楽が融合したものであり、ポピュラー音楽の聴衆に受け入れられ、人気を獲得したのは1920年代のことであった。カントリーの起源は南部田園地帯の民俗音楽にあり、これはアイルランド・イギリス音楽に、アフリカ音楽・ヨーロッパ大陸部の音楽が加わったものである[54]。アングロサクソン・ケルト系のメロディと、ダンス・ミュージック、バラッドが現代カントリーの最も古い前身であり、これらは後にヒルビリー(en:hillbillyヒルビリー音楽とも)と呼ばれるようになった。初期のヒルビリーは、ブルースの要素を借用していたが、カントリー・アンド・ウエスタン、端的にカントリーと呼ばれる商業ジャンルになるまでの発展過程においては、むしろ19世紀のポピュラーソングから多くの点を吸収した[55]。初期のカントリーにおける楽器編成はヨーロッパ起源のフィドルや、アフリカ起源のバンジョーの間で変遷がみられ、また後にはこれにギターが加わった[56]。20世紀初めには、ハワイ音楽グループの人気から、ウクレレスティール・ギターといった弦楽器がよく見られるようになった[57]

ネオトラディショナル・カントリー(en:Neotraditional country) 歌手、ランディー・トラヴィス(en:Randy Travis)

商業音楽としてのカントリーのルーツは、1927年、音楽スカウトマンのラルフ・ピアー(en:Ralph Peer)がレコーディングしたジミー・ロジャーズ(en:Jimmie Rodgers (country singer))やカーター・ファミリーまでさかのぼる[58]。大衆的にはあまり成功しなかったが、わずかながら需要があったことため商業的なレコーディングが行われることとなった。第二次世界大戦後、カントリーのような特徴的なスタイルへの関心が高まりによって有名ポップスターも生まれた[59]。この時期もっとも影響力のあったカントリー・ミュージシャンは、アラバマ州出身のブルース風カントリー歌手、ハンク・ウィリアムス(en:Hank Williams)である[50]。ウィリアムスは、現在でもカントリーミュージックにおける最高の作詞作曲家・演奏家のひとりとして知られている。

1940年代を通じ、ホンキートンクの粗々しさがしだいに和らいでいったのと同時に、ナッシュビル・サウンドはポピュラー指向を強めていった。ナッシュビル・サウンドは、チェット・アトキンスなどのプロデューサーが、楽器編成からヒルビリーの要素を取り除き、より聞きやすい編成と進んだプロデュース技術を駆使して創設したジャンルである。ナッシュビル発のレコードは大半がナッシュビル・サウンドのスタイルを取るようになり、弦楽器とコーラスを組み入れはじめた[60]

しかし1960年前半には、多くの伝統的な演奏者やファンは、ナッシュビル・サウンドは勢いがなくなったと見なすようになり、ナッシュビル・サウンドはベイカーズフィールド・サウンドのような地方の音楽シーンへ分岐していった。しかし一方で、文化の象徴ともなったジョニー・キャッシュのように、人気を保ったミュージシャンも少数ながら存在した[61]。ベイカースフィールド・サウンドは1950年代中盤から後半にかけて生まれた音楽で、ウィン・スチュアートやバック・オーエンズなどのアーティストが、ブレイクビーツなどのロックの要素や、ウエスタン・スウィングの要素を取り入れたものである[62]。このスタイルはマール・ハガード(en:Merle Haggard)などの1960年代のアーティストによって広められた。またハガードは、ウィリー・ネルソンウェイロン・ジェニングス(en:Waylon Jennings)といったシンガーソングライターと並ぶ、アウトロー・カントリー(en:outlaw country)のアーティストでもあった[53]。アウトロー・カントリーはロック指向のジャンルで、歌詞は自身の犯罪行為を扱っており、ナッシュビル・サウンドのこざっぱりとしたカントリー歌手とは対照的だった[63]

1980年代には、カントリーのチャートはポップシンガーで埋めつくされていたが、一方でドワイト・ヨアカムのようなアーティストの登場により、ホンキートンク風カントリーのリバイバルも始まっていた。1980年代には、カントリーの主流がさらにポピュラー指向のスタイルになることに反対したアンクル・トゥーペロのような、オルタナティヴ・カントリーのアーティストも登場した。2000年代初めの時点で、ポピュラー指向のカントリーアーティストは、ガース・ブルックスなど、ベストセラーアーティストの中にもまだ残っている[64]

R&B、ソウル

R&B(リズム・アンド・ブルース)は1930・40年代に生まれた音楽スタイルである。初期のR&Bは「ブルースシンガーの後ろでビシビシ鳴っており、ジャンジャンかき鳴らされる色々な電子楽器や、激しいリズムセクションを超える大声で叫ばないと歌手の声は聞こえない」と評されるリズムユニットで構成されていた[65]。レコード会社は、R&Bの大胆なリズムや示唆的な歌詞は一般聴衆(特に中流階級の白人)には受けないと考えたため、R&Bは大規模なレコーディングやプロモーションの対象にならなかった。金管セクションを減らしてリズム楽器を目立たせたバンド構成を使った初期R&Bの音楽スタイルを考案したのは、ルイ・ジョーダンなどのバンドリーダーである。ジョーダンは1940年代終わりまでにR&Bチャートで多くのヒットを出し、ワイノニー・ハリス(en:Wynonie Harris)やロイ・ブラウンといった同時代のアーティストに道を開いた。しかし、有名になったR&Bのかなりの部分は、白人によってカバーされた曲だった。それらの曲は、ジョーダンの時代のにぎやかなスタイルではなく、パット・ブーンなどの白人ミュージシャンの、より白人聴衆に受け入れられやすいスタイルであった[66]。とはいえ1950年代の後半には、ポップ・チャートでも黒人音楽がチャート・インし、チャック・ベリーなどのアーティストが白人リスナーの間でも、名声を得るようになった[67]

ソウルミュージック(端的にソウルとも)は、1950年代のアメリカで生まれた、R&Bとゴスペルを組み合わせたスタイルである。ゴスペルの手法を用いながら、非宗教的なテーマを扱っていることがソウルの特徴である。1950年代のレイ・チャールズサム・クックジェームス・ブラウン、ジャッキー・ウィルソンらのレコードがソウルの始まりだと一般的に考えている。レイ・チャールズの1962年のレコードモダン・サウンズ・イン・カントリー&ウエスタン・ミュージックではソウルとカントリーの融合(ディープ・ソウル)が取り上げられており、人種の壁を越えて受け入れられた[68]。クックの代表曲のひとつア・チェンジ・イズ・ゴナ・カム(1964年)はソウルの古典として1960年代の公民権運動の賛歌ともなった[69]。1960年代初めから中頃にかけて、デトロイトモータウン・レコード社はソウルのレコードをリリースして大成功を収めた。これらのレコードはポピュラー音楽会に大きな影響を与え、白人のリスナーにも受け入れやすくなったため、黒人アーティストと白人リスナーの交流もより容易になった[70]

純粋なソウル・ミュージックを広めたのは、オーティス・レディングをはじめとする、南部メンフィススタックス・レコード社のアーティストである。だが1960年代終わりごろ、女性ソウルスターとして最も人気が高かったのはアトランティック・レコード社のアーティストアレサ・フランクリンだった[71]。またこの頃には、ソウルはサイケデリック・ロックなどの影響を受けていくつかのジャンルに分かれていた[72]。1960年代の社会的・政治的動乱から刺激を受けたマーヴィン・ゲイカーティス・メイフィールドなどのアーティストが激しい社会的主張をこめたアルバムをリリースしていた一方で、ダンス指向の音楽へと変化していく派生ジャンルもあり、これはジェームス・ブラウンらによってファンクへと発展した。マーヴィン・ゲイは、以前は政治的・社会的な色彩の強いテーマの歌詞を扱うことが多かったが、ファンクや、セクシャルな要素や恋愛要素のテーマを扱う音楽を広めるのに一役買った[73]。「レッツ・ゲット・イット・オン」(1973年)、「アイ・ウォント・ユー」(1976年)など、彼の1970年代のレコードはクワイエット・ストームの音楽とフォーマットの発展の一因となった[74]

1970年代、ギル・スコット=ヘロンやラスト・ポエッツなどのアーティストたちは、詩・ジャズファンク・ソウルが融合したスポークンワード・ソウルのスタイルを作り上げた。ここで扱ったのは、黒人の視点から見た政治的・社会的な主張であった。ギル・スコット=ヘロンの「 ザ・リヴォリューション・ウィル・ノット・ビー・テレヴァイズド」(1971)や「ウィンター・イン・アメリカ」(1974)はその後のヒップホップアーティストに大きな影響を与え[75]、また一方でブライアン・ジャクソン(en:Brian Jackson)と組んで生み出したユニークな音楽は、ネオ・ソウルのアーティストに影響を与えた[76]

1970年代、フィラデルフィア・ソウルグループのオージェイズ(en:The O'Jays)やブルー・アイド・ソウルグループのダリル・ホール&ジョン・オーツといった、洗練されたグループが成功を収めた。1970年代の終わり頃には、ソウルを含め多くの音楽ジャンルがディスコ文化の影響を受けていた。1970年代終わりから1980年代初めにかけてのエレクトロやテクノの影響を受けたソウルは激しさを失い、より洗練された曲が作られるようになった。90年代ごろには、若いミュージシャンの「R&B」と、ベテランのソウルが分離されることとなった。若者向きのジャンルは、現代R&B(en:Contemporary R&B)として昔のR&Bと区別して語られる場合が多い。

R&B and neo soul musician Alicia Keys

1980年代には、ファンクの影響を受けたプリンス (ミュージシャン)や、ポップ・スターマイケル・ジャクソンティナ・ターナーホイットニー・ヒューストンなどの女性ヴォーカリスト、などがヒットを連発した[64]。1980年代後半には、ニュージャックスウィングやグラウンド・ビート、さらに90年代にはヒップホップソウル(en:hip hop soul)やネオ・ソウルなどの一連のサブジャンルにおいて、現代R&Bはヒップホップの影響を受けるようになった。ニュージャックスウィングは、通常ラップをかけた韻文とドラムマシンを特徴とする、声楽のスタイルである[50]。ヒップホップソウルやネオ・ソウルが生まれたのはその後の1990年代であった。メアリー・J. ブライジR・ケリーの作品に代表されるように、ヒップホップソウルは現代R&Bとヒップホップのビート感の混交であり、さらに作品によってはギャングスタ・ラップのイメージやテーマが含まれる場合もある。ネオ・ソウルは1960・70年代のソウルのヴォーカルにヒップホップの影響が加わったスタイルである。ヒップホップソウルのほうが概して主流であったが、ネオ・ソウルはディアンジェロエリカ・バドゥアリシア・キーズローリン・ヒルなどの作品を通して幾分メジャーになっていった[77]。ディアンジェロのアルバム「ヴー・ドゥー」(en:Voodoo)は、複数の音楽ライターによってネオ・ソウルの基礎を作った傑作として評価されている[78][79][80]

ロック/ヘヴィ・メタル/パンク

ロックンロール(ロックとも)の起源はカントリー、ブルース、R&Bなどにある。ロックンロールの正確な起源および、ロックンロールが初期に影響を受けたスタイルについては議論や学術研究の対象となっている。ロックンロールは、アフリカ・カリブ音楽やラテン音楽の技法(正確には、これらのうちブルースとして伝わったもの)を採用している[81]。ロックンロールは都市的な音楽である。ロックンロールが形成された地域は、様々な住民構成のために、ブラックミュージック・ラテン音楽・ヨーロッパ音楽が混交したことによって、ブルース・カントリー・ボルカ・ザディコなど様々な音楽ジャンルが生じた諸地域である[82]。ロックンロールは当初、カントリーの要素に新しいサウンドを交えたロカビリーと呼ばれるスタイルでポピュラー音楽界に登場した。黒人によるロックンロールはあまりメジャーにはならず、初めて一般聴衆に受け入れられたのは、白人のエルヴィス・プレスリーによってであった。プレスリーはミュージシャンとして歴史上最大級のセールスを記録し、ロックンロールを世界中の聴衆に広めた。

ピート・シーガー

1960年代にはポピュラー音楽界、特にロックンロールの世界で、プロの作曲家からシンガーソングライターへの移行や、ポピュラー音楽が、商売や単純なエンターテインメントというよりもむしろひとつの芸術として理解されるようになったことなど、いくつかの変化があった。こういった変化の主な原因は、ビートルズ[83]ローリング・ストーンズザ・フー、キンクス、アニマルズなどがおおいに人気を獲得し、アメリカの文化・音楽に強い影響を及ぼしたこと(ブリティッシュ・インヴェイジョン)であった[84]。これらの変化により、公民権運動ベトナム反戦運動(en:opposition to the Vietnam War)など、政治的な目標との結びつきをもった音楽活動がさかんになり、そしてロックンロールはこれらの変化の最前線に位置していた。

1960年代初め、ロックンロールはサーフ・ミュージックをはじめとする複数のジャンルに枝分かれしていた。サーフ・ミュージックはギター器楽曲(インストルメンタル)のジャンルで、南カリフォルニアの若者たちのサーフィン文化と結びついていた[85]。サーフィン、ホットロッド、ビキニの女の子といったサーフ・ミュージックの歌詞を使用したザ・ビーチ・ボーイズが、ポピュラー音楽としてヒットを出しやすい音楽性とコーラス、サーフ・ロック・スタイルで音楽活動を開始したのは1961年のことであった[86]。作曲を担当するブライアン・ウィルソンは、新しいスタジオでの技法を試しながら、カウンターカルチャーやサイケデリック・ロックの影響を受け、アート思考のアルバムを制作した。カウンターカルチャーは、ヒッピー文化と結びつき、ベトナム反戦などの政治的活動へと発展していった。

ボブ・ディランが活動をはじめた1960年代半ばには、フォークロックが音楽界の主流のひとつとなった。ディランに続いてカントリーロックバンドや、ソフトなフォーク調のシンガーソングライターが数多く現れた。サイケデリック・ロックは荒っぽいギターロックの一種で、サンフランシスコと馴染みが深かった。アメリカ全土でヒットを出したサンフランシスコバンドはジェファーソン・エアプレイン、サンタナなどがいた。カントリー、ブルーグラス風のジャムバンドのグレイトフル・デッドはヒッピー、LSDなどと関係の深いサイケデリック・カウンターカルチャーの象徴となった[87]

1960年代と1970年代初期の政治・社会・音楽における急速な変化の後、ロックは多様化していった。ハードロックはヘヴィメタルと呼ばれることが多くなり、パンク・ロック/ニュー・ウェーヴも登場した。1970年代、これらのスタイルのほとんどがロック・シーンにおいて急成長する一方で、一部のリスナーは、個人的な歌詞を歌う1960年代からのシンガーソングライターを聴いていた。また、アリーナ・ロック(産業ロック。スタジアムやアリーナでライブを行った商業主義的なプログレ・ハードなどのスタイルの総称)、サザン・ロックソフトロックのバンドや歌手の成長がみられたのもこの時期であった。1970年終わり頃から、ロック・シンガーソングライターのブルース・スプリングスティーンが貧しい人々や労働者階級についての歌詞でスターとなった[64]

フォークロックのシンガーソングライター、ジョーン・バエズボブ・ディラン

パンクは、大音量で攻撃的で、そしてシンプルな曲が多い点を特徴とする、1970年代に始まった反抗的なロックのスタイルである。パンクの始まりは、ディスコやアリーナ・ロックなど、当時のポピュラー音楽への反動とであった。アメリカのパンクバンドは、ラモーンズトーキング・ヘッズなどが代表的である。トーキング・ヘッズはより前衛的なスタイルの演奏を行い、ニュー・ウェイヴ前のパンクに深く結びつくこととなった[64]。その他の有名アーティストにはブロンディパティ・スミステレヴィジョンなどがいる。

1980年代、パンクファンやバンドの中には、パンクが大衆性を増していくことに幻滅した人々がおり、その結果、ハードコア・パンクと呼ばれるさらに攻撃的なスタイルが登場した。これは、政治的な不満を持つ若者に語りかける短く速く激しい歌からなるジャンルで、バッド・ブレインズデッド・ケネディーズマイナー・スレットなどのバンドがこれにあたる。1980年代、アメリカの諸都市は地方それぞれの音楽シーンを備えていたが、ハードコア・パンクが生まれたのはワシントンD.C.などの大都市であった[88]。ハードコア・パンクは後に絶望感を増したことにより、ナチ・パンクなどネガティブなものを生んでしまた。パンク、ハードコア・パンク、ガレージロックはオルタナティヴ・ロック(ロック内のジャンルにおいて、パンクやポスト・パンクのスタイルから生まれた、主流の音楽にはっきりと反発するグループ)のルーツでもある。

ミネアポリスシアトルなど、アメリカの多くの都市では、オルタナティヴ・ロックの音楽シーンが地方ごとに存在した[89]。シアトルのローカルシーンでは、ハードコア・サイケデリック・オルタナティブロックに影響を受けた暗く陰気なグランジのスタイルが生まれた[90]ニルヴァーナパール・ジャムといったバンドによってメロディー性のある要素が加わり、グランジは1991年にはアメリカ中で幅広い人気を得た[91]

エアロスミス(2003)

ハードロック、ヘヴィメタルは、攻撃的で荒々しいリズムと、アンプを使う歪めた音のギター、壮大な歌詞、技巧的な演奏が特徴のスタイルである。ブルースとロックの要素を取り入れたハードロックバンドが、ギター・ドラムを中心にして生み出した重厚感のあるサウンドがヘヴィメタルの起源である。ハードロック、ヘヴィメタルの先駆者はディープ・パープル、レッド・ツェッペリンらイギリスのバンドで、アメリカにブルー・オイスター・カルトエアロスミスキッス(1974年)が登場したのは70年代前半だった。1980年代は、クワイエット・ライオットを皮切りにモトリー・クルーラット (バンド)などのバンドが、アルバム・チャートの上位に入った。これらのバンドのスタイルはグラム・メタルと呼ばれる、ハードロックとポップの融合スタイルで、音荒々しさと、グラム・ロックに影響を受けたビジュアルが特徴である。ボン・ジョヴィなど国際的なスターになったバンドも存在する。1980年代の終わり近くには、グラム・メタルの美意識への犯行となるイメージをもったガンズ・アンド・ローゼズが名声を獲得した。1980年中頃には、ヘヴィメタルの方向性は多くの方向に分岐しており、ファンやレコード会社、ファン雑誌が数多くのサブジャンルを作り出すほどだった。アメリカで特に有名なサブジャンルは、アンスラックスメタリカメガデススレイヤーなどのバンドが作ったスラッシュメタルである[92]

ラップ/ヒップホップ

ヒップホップは音楽を含む文化的運動である。音楽としてのヒップホップは2つの要素からなる。すなわちラップと、DJもしくはプロデュース(サンプリング・演奏・ターンテーブル・ビートボックスにより曲を作る)である[93]。ヒップホップは、1970年代にニューヨーク市ブロンクス区で生まれた。クール・ハーク(ジャマイカ系)、アフリカ・バンバータ、グランドマスター・フラッシュらがラップの初期に活躍した。ハークは、ポピュラー音楽のリズムに合わせたトースティングの手法をジャマイカから持ち込んだ。MCは、もともとDJがソウル・ファンク・R&Bの各曲を紹介しつつ、観客の興奮やダンスを途切れさせないようにするために生まれたものであったが、やがてDJは曲のパーカッションブレイクの音を取り出すことで繰り返すビートを作り、そこにMCをラップで重ねるようになった。1980年代始めには、有名ヒップホップ曲やLL・クール・Jなどの有名アーティストも現れ、メインストリームの名声を獲得した。その他にも、政治色の強い歌詞や社会意識を実験的に組み込んだり、ヒップホップをジャズ・ヘヴィメタル・テクノ・ファンク・ソウルなどと組み合わせるアーティストもいた。1980年代後半にはオルタナティブ・ヒップホップ(en:alternative hip hop)や、デ・ラ・ソウルなどの先駆者による融合スタイルのジャズ・ラップ(en:jazz rap)など、新しいスタイルが現れた。

ギャングスタ・ラップはヒップホップの一種で、男らしさ・肉体中心主義・危険な犯罪的イメージに注目した歌詞が特徴である[94]。ギャングスタ・ラップの起源は1980年代半ばの、フィラデルフィアのスクーリーD(en:Schoolly D)や西海岸アイス-Tまでさかのぼることができるが、ギャングスタ・ラップのスタイルが勢力を伸ばし、ニューヨークのラッパーのノトーリアス・B.I.G.やヒップホップグループのウータン・クラン、また西海岸のトゥー・ショート(en:Too Short)やN.W.A.など、アメリカの様々な地域で受け入れられたのは1980年代後半だった。1990年代初期、西海岸ラップの音楽シーンでGファンクが生まれた。これはギャングスタ・ラップの歌詞を重厚でぼんやりした曲にのせたもので、曲は1970年代ファンクからのサンプリングが多かった。2パックドクター・ドレースヌープ・ドッグなどの提唱者が有名。ギャングスタ・ラップは、1990年代終わりから21世紀への変わり目にかけてアメリカのポピュラー音楽界に大きな存在感を保っており、特にエミネムの大ヒット以後は顕著であった。

その他のスタイル

Latin music in the United States

アメリカの音楽業界は、特定ジャンルの音楽のプロデュース・マーケティング・販売を行う大企業が優位を占めている。これらの大企業は、対象となるリスナーが少ないスタイルのプロデュースを行わないか、行ったとしても割く仕事量や録音メディアの発売数はきわめて少ない。こういったニッチ市場を埋める比較的小規模な企業群が、ポルカからサルサまで様々なスタイルの録音メディアを幅広く提供しているのである。多くの中小音楽企業はコアなファン集団を基盤にして成り立っており、こういったファン集団がひとつの地域を基盤にしていることもある。テハーノ音楽やハワイ音楽がその例である。一方で集団が広範囲に分布していることもあり、ユダヤ人向けのクレズマーがこの例である。

音楽業界における、単独で最も大きいニッチ市場はラテン音楽である。ラテン音楽はアメリカのポピュラー音楽に長きにわたって影響を与えており、特にジャズの発展に関して決定的な部分を占めていた。現代のラテン・ポピュラー音楽のスタイルには、コロンビアクンビア、パナマのレゲトンメキシコのコリードなど、ラテンアメリカ中から輸入された様々なジャンルが含まれている。アメリカにおけるラテン・ポピュラー音楽は、コンガ・ルンバ・マンボなどのスタイルで知られる、1930・50年代のダンスバンドの流行が始まりである。50年代には、ペレス・プラードチャチャのスタイルを有名にし、またアフロ・キューバン・ジャズがラテン音楽におけるハーモニー・メロディ・リズムの可能性を明らかにした。しかし、アメリカ式のラテン音楽で最も有名なのはサルサである。サルサは多くのスタイルやバリエーションを含んでおり、「サルサ」の用語はこのうちで最も有名なキューバ由来のポピュラー音楽としてのジャンルを指して使われる。しかし、最狭義の「サルサ」は、1970年代半ばにニューヨークのキューバ・プエルトリコ移民グループによって作られたスタイルと、その様式を受け継ぐスタイル(1980年代のサルサ・ロマンティカ(en:salsa romantica)など)を指す[95]。サルサは、複数のパターンを同時に演奏する、複雑なリズムをもつ。クラーベのリズムはサルサ楽曲の基本をなしており、演奏者それぞれのフレーズのための、共通するリズム上の基礎として用いられている[96]

このほか、主にネット上でアマチュアの作曲家・理論家によって発展させられているニッチ市場としてゼンハーモニック音楽が存在する。このジャンルは通常の音楽理論以上に極めて複雑な理論的側面を持ち、1958年にアイヴァー・ダレッグ英語版により設立された「Xenharmonic Alliance」の影響により、ひっそりではあるが着実な発展を遂げつつある[97]


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