アフリカ系アメリカ人
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血液型
アフリカ系アメリカ人 (African-American) の血液型の比率は、O型51%・A型26%・B型19%・AB型4.3%となっている[6]。
歴史
英領北アメリカでの記録に残る最初のアフリカ人は、1619年にバージニア州ジェームズタウンに入植した年季奉公人とされている。イギリス植民地時代からアメリカ独立初期にかけては、完全な奴隷制に移行する18世紀初頭までには、比較的自由に生活するアフリカ人も見られた。その後大西洋間奴隷貿易でアフリカから奴隷として連れてこられた人が増加。1860年までにアメリカ合衆国には350万人の奴隷にされたアフリカ人と、その他の奴隷ではない50万人のアフリカ人がいた[7]。奴隷船として輸送される際に病死する者が絶えず、かつて欧米諸国は1500万人の奴隷を運ぶ際に1人の黒人を新大陸に連れて行くまでに5人の黒人が中途で死んだという推計がある。
リンカーン大統領の1862年の奴隷解放宣言で奴隷制が廃止されて以後も、政治的、人権的な権利の制限は続いた。
南北戦争で奴隷制度の撤廃を目指す北部の勝利以後、かなり以前から奴隷制度を禁止していた北部ではアフリカ系アメリカ人に対する差別意識は比較的薄く、ニューヨークやシカゴではアフリカ系アメリカ人の市長が誕生した前例がある。しかし、長期間アフリカ系アメリカ人奴隷の労働力に依存してきた南部では、アフリカ系アメリカ人に対する差別意識が強く残った(ジム・クロウ法)。アフリカ系アメリカ人に対しアメリカ全土で法の下の平等が保障されるのは、1960年代の公民権運動の成就による公民権法の施行を待たなければならなかった。
なお奴隷制度廃止後、奴隷から解放されて自由になったアメリカ黒人(解放奴隷)の自由の国として西アフリカにリベリアとシエラレオネが建国されたが、両国とも内戦を経て未だ最貧国である。特にシエラレオネは子供までもが戦争に狩りだされ殺戮を行うなど、差別を受けながらも後に社会的な地位を上げたアフリカ系アメリカ人とは雲泥の差の生活を強いられている。またカナダのほうが奴隷廃止が早かったためにアメリカの奴隷がカナダに移住した事があった。
また、第二次世界大戦においては、人手不足からアフリカ系アメリカ人も軍人として戦争に参加することになった。当時「民主主義の武器庫」を自認していたアメリカであったが、「民主主義」という言葉とは裏腹に、大戦中に将官になったアフリカ系アメリカ人はベンジャミン・デイヴィス准将のみである。実際の戦闘に参加したものはわずか5%で、そのすべてが「黒人部隊」での参戦であった。残りのほとんどが単純作業を中心とした後方支援業務に従事するなど、参戦によっても差別は解消されなかった(現在の視点だと、死と隣り合わせの戦闘に参加したのは大多数が白人である方が逆差別となる)。なお、「黒人部隊」が廃止されるのは、公民権法の制定後に戦闘が本格化したベトナム戦争においてであった。
1940年代後半に入り、ハリー・S・トルーマン大統領が公民権運動の支持を表明し、1950年代以降、マーティン・ルーサー・キングなどを指導者に、アフリカ系アメリカ人をはじめとする被差別民族に対する法的平等を求める公民権運動が盛り上がりを見せる。その結果、1964年7月2日に法の下の平等を規定した市民権法が制定された。
しかし法的な差別が撤廃され、それがゆえに「自由な国家」であることを標榜する現在においても、白人が多数を占めるアメリカ社会での少数派(約20%)である黒人に対する差別意識は根強く残り、白人に比べて低学歴の貧困層が多い。
現在、黒人社会において質の高い公教育を提供する行政実験が行われており、特別な家系ではない黒人の子女がハーバード大学を代表とする多くの名門校に進学する実績を挙げつつある。
特にスポーツ界における黒人選手の活躍には目覚しいものがあり、恵まれた運動神経であるために少数民族であるにもかかわらず大いに活躍し、黒人アメリカンフットボール選手はNFL全体の約65%、黒人バスケットボール選手はNBA全体の約80%という大多数を占めている。人口に対してのNFLにおける成功者の比率は、圧倒的と言われる太平洋諸島系に次いで堂々の2位と目されている。しかし、他国ではモータースポーツや水泳、ウィンタースポーツにおける黒人の進出、成功があるにもかかわらず、アメリカにおいては現在もほとんど進出していない。
スポーツ選手、俳優、芸能人、政治家、実業家として活躍を見せ、アーン・ダンカンは多くのアフリカ系の有名人の友人がいる。後に黒人の社会的地位が向上し、コリン・パウエル、コンドリーザ・ライス、ロデリック・レイナー・ペイジ、ロナルド・カーク、マイケル・スティールなど国政の中枢にまで登り詰める人物が目立つようになった。そして、2009年には、ケニア人(黒人)の父とアメリカ人(白人)の母を持つバラク・オバマが初の黒人大統領として第44代アメリカ合衆国大統領に就任するなど、差別解消運動の成果が顕在化しつつある。
南部回帰
アフリカ系アメリカ人の北東部などから南部への移住が、さまざまな理由でこの10年間に急増している[8]。
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被差別
アフリカ系アメリカ人は1862年の奴隷解放から100年経過した後の、20世紀初頭においても、差別待遇は残り続けていた。スポーツや歌手や俳優などでも白人から差別を受け、キング牧師の登場まで学校、レストラン、トイレ、バスも人種で分けられる形となっていた。差別的な警官により暴力を受け、誤射の凶弾に倒れたりする事もあり、裁判でも黒人が白人より重い刑を受けたり死刑執行率が高い場合もあった。そのためロス暴動のような差別への怒りの暴動が頻繁に発生する。
現在は多くの黒人が歌手、俳優、スポーツ選手、政治家として活躍して人気を見せている。オバマ大統領の就任は白人層からも大いに歓迎され、半世紀前に比べ遥かに差別意識が薄れてきたといえよう。しかしKKKのような白人至上主義運動は消滅せず、未だに存在し続けている。完全に差別が消失したわけではなく、黒人の社会的地位上昇のために、就職や大学の採用試験などの合格枠を人種で区別する事を逆差別と感じる反黒人感情の白人が増えた。また2010年代においても、前述と類似した事件や騒動が発生しており、近年でもこの差別感情が根強く残り続けている事実を反映している[9][10][11][12]。
しかし訴訟大国アメリカでは黒人差別で訴えられる事例があり、例えばアフリカ系の消防士の食事にドッグフードを混入する人種差別的な行為で3億円余の賠償金を支払う判決があったために、黒人差別は社会的にタブー視されている。
注釈
- ^ 英語発音: [ˈæfrɪkənəˈmɛrɪkən] アフリカナメリカン
- ^ アメリカ英語発音:[ˌæfroʊəˈmɛrɪkən] アフロウアメリカン
- ^ アメリカ英語発音:[ˈniːɡroʊ]/イギリス英語発音:[ˈniːɡrəʊ] ニーグロウ
- ^ アメリカ英語発音:[ˈnɪɡər] ニガー、イギリス英語発音:[ˈnɪɡə(r)] ニガ
- ^ カナダなどの他国籍選手を加えても、25人と少数である(List of black ice hockey players参照)
出典
- ^ “ACS DEMOGRAPHIC AND HOUSING ESTIMATES: 2017 American Community Survey 1-Year Estimates”. United States Census Bureau. 2018年4月5日閲覧。
- ^ “米陸軍、「ニグロ」表記容認の内部規定を削除 謝罪も表明”. CNN. (2014年11月8日) 2014年11月10日閲覧。
- ^ Debra J. Dickerson (January 22, 2007). Colorblind – Barack Obama would be the great black hope in the next presidential race – if he were actually black. salon.com. オリジナルの2010-09-24時点におけるアーカイブ。 2010年10月7日閲覧。.
- ^ Debra Dickerson - The Colbert Report - 2/8/07 - Video Clip | Comedy Central
- ^ Thomas Jefferson and Sally Hemings: An American Controversy by Annette Gordon-Reed, p.160
- ^ 米国赤十字社
- ^ 黒人奴隷クンタの20年間 =「世界商品」の生産と黒人奴隷制度=
- ^ “米黒人の“南部回帰”が不況のあおりでUターン 伝統的ライフスタイルも引力” 2011年6月5日閲覧。
- ^ “黒人少年射殺、マイケル・ブラウンさんが殺されたアメリカ・ファーガソンで暴動再燃”. The Huffington Post (2014年8月17日). 2015年1月2日閲覧。
- ^ “黒人男性エリック・ガーナーさんを窒息死させた白人警官も不起訴 NYに怒りの声渦巻く”. The Huffington Post (2014年12月4日). 2015年1月2日閲覧。
- ^ “「息ができない」「撃つな」1万人が米議会に向けデモ、黒人死亡事件に抗議”. 産経ニュース (2014年12月14日). 2015年1月2日閲覧。
- ^ “米白人学生らが黒人侮辱ビデオ 南部オクラホマ大で抗議”. 産経ニュース. (2015年3月10日) 2015年4月1日閲覧。
- ^ “Floyd Mayweather: 'I'll cook that chump'”. ESPN.com (2010年9月4日). 2017年5月22日閲覧。
- ^ “Floyd Mayweather questions Jeremy Lin”. ESPN.com (2012年2月15日). 2017年5月22日閲覧。
- ^ “クリス・ロック、アカデミー賞授賞式でのジョークが人種問題を「矮小化&下品」と非難の的に”. TVグルーヴ (2016年3月3日). 2017年5月22日閲覧。
- ^ “バイデン氏、中国系標的のヘイトクライムを非難 「米国らしくない」”. AFP (2021年3月12日). 2021年3月14日閲覧。
- ^ “アジア系への暴力事件、日本人も被害 少数派間の連帯不可欠 遠い融和 狙われるアジア系(下)”. 東京新聞 (2021年5月18日). 2021年9月14日閲覧。
- ^ “白人とアジア系の関係は良いと約90%が回答、関係が悪いのは黒人とヒスパニック”. Record China (2013年7月20日). 2017年5月22日閲覧。
- ^ “WBC Suspends Adrien Broner Over 'Mexican' Swipe”. BoxingScene.com (2014年5月7日). 2017年5月22日閲覧。
- ^ “報復警官殺しで、混乱深まる人種間対立”. ニューズウィーク日本版 (2014年12月24日). 2017年5月22日閲覧。
- ^ Jon Entine(著)、星野 裕一(訳)「黒人アスリートはなぜ強いのか? -その身体の秘密と苦闘の歴史に迫る」より
- ^ MLB Scores An "A" For Racial Diversity CBS NEWS
- ^ 大リーグ、悩みは黒人選手の減少 MSN産経ニュース
- ^ Granderson tries to get youth involved(mlb.com)
- ^ The Torii Hunter project
- ^ 蛭間豊章記者の「Baseball inside」ブルワーズ2選手と黒人少年達の小さな旅(第372回)
- ^ シャニー・デービス黒人初金/Sスケート nikkansports.com
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