アパルトヘイト
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分離政策と細則
アパルトヘイトは、「大アパルトヘイト」と呼ばれる土地の大規模な分離政策と、「小アパルトヘイト」と呼ばれるその他細則によって構成されていた。小アパルトヘイトは背徳法や隔離施設留保法など、一般生活において目に付きやすい部分で導入され、ゆえに大きな批判を浴び[11]、小アパルトヘイトの多くが1980年代後半の改革により消滅、大アパルトヘイトは1990年代に撤回された[11]。
大アパルトヘイト
- 原住民土地法、バントゥー自治促進法、バントゥー・ホームランド市民権法、バントゥースタン(ホームランド)政策など
- 1971年に実施され、国土の13%にすぎない辺境不毛の地に設けられたホームランドといわれる「国」を10地区建設し、人口の大多数を占める黒人を居住させるもの。ホームランド10地区は種族別に分かれており、それぞれに自治権を与えて、最終的には独立国としようとするのであった。といっても、それは名目上であって、目的は黒人を他国の国民として扱うことで、彼らから南ア市民権と参政権をなくし、経済的には白人に依存せざるを得ない黒人を外国籍の出稼ぎ労働者として扱おうとするものであった[12]。
- さらに、黒人を新独立国へと移住させることで、白人は多数派として、少数派であるカラード、インド系人と、「見かけ上は差別はない」が「実質は白人優位の」多人種社会の再構築をも目論んだのである。
- 黒人の反対にも拘らず、トランスカイ、ボプタツワナ、ヴェンダ、シスカイの4地区は「独立」(1976年~1981年)させられるものの、国際的には独立国として承認されず、むしろ国際社会の非難を浴びることになった[13]。ホームランドは不毛の地であり、さらにその不毛の地に多くの黒人が押しこめられたため、土地の過使用によって環境が破壊され、ホームランド内で農業によって生計を立てることも難しくなった。そのため、ホームランド住民は労働力として南アフリカの都市部へ流出せざるを得なくなり、経済的に隷属が進んだ。また、ホームランドから家族で都市へと向かうことは許されず、黒人出稼ぎ労働者たちは家族をホームランドへと残し、ホステルと呼ばれる低料金の宿泊所で泊まりながら働くこととなった。
- さらに、名目上は独立国となったものの、各ホームランドの実権は白人、ひいては南アフリカ政府が握り、ホームランドが独自性を示す方策は限られていた。
- 集団地域法
- 人種ごとに住む地域が決められた。特に黒人は産業地盤の乏しい限られた地域に押し込められ、白人社会では安価な労働力としかみなされなかった。この法によって大都市近郊で黒人が押し込められた地域はタウンシップとよばれた。ヨハネスブルグ近郊のソウェトが最も著名である。産業地区はすべて白人地区となり、黒人など非白人はその地域に住むことを許されず、タウンシップなどからの長く混みあう通勤を余儀なくされた。
- 強制移住
- 1960年代から1980年代にかけて、政府は上記2法によって定められた地域への非白人の移住政策を進め、これによって推定で350万人もの非白人がホームランドやタウンシップへと移住させられた。これらの強制移住において最も知られている事件は、1955年にヨハネスブルク近郊のソファイアタウンでおこなわれたものである。ソファイアタウンは1923年に黒人の土地購入が禁止される以前からの黒人地区であり、50000人が居住し活気にあふれた地区であった。しかし政府がこの地区を接収し、この地区は市の中心部から20km離れたメドウランズ(後のソウェトの一部)へと移住させられ、元のソファイアタウンはトリオンフと改名されて白人地区となった。このような差別的事態は全国で起こった。
小アパルトヘイト
- 隔離施設留保法
- レストラン、ホテル、列車、バス、公園に映画館、公衆トイレまで公共施設はすべて白人用と白人以外に区別された。バスは黒人用のバスと停留所、白人用のバスと停留所に別れ、病院も施設の整った白人用と不十分な施設しかない黒人用に分けられた。白人専用の公園などの場所に立ち入った黒人はすぐに逮捕された。
- 雑婚禁止法
- 人種の違う男女が結婚することを禁止された。(黒人と白人など。異人種との結婚)
- 背徳法
- 異なる人種の異性が恋愛関係になるだけで罰せられる法。
- パス法
- 黒人に身分証明書の携帯を義務付けた法。有効なパスを持たないものは不法移民とされ、逮捕されホームランドなどへの強制送還が実施された。
その他、黒人の参政権を否定する「原住民代表法」(1936年)や黒人の教育を低レベルなものへとどめてしまった「バントゥー教育法」(1953年)など、就職、賃金、教育、医療、宗教など、日常生活の隅々にわたる非白人を差別する政策が、無数の法と慣行で制度化されていた。しかし、これらの差別法を非白人に守らせるには膨大な警察、管理機構が必要であったため、政府予算の半分近くがアパルトヘイト維持のための関連支出となった[14]。これらは白人納税者にとっても負担であり黒人の熟練労働を禁じたことも経済成長のうえでマイナスになった。一方、安価な単純労働力としての地位しか与えられなくなった黒人の失業率は急速に増大し、さらに1960年代にそれまで黒人の大雇用先であった白人大農場の機械化が進んで多数の黒人労働者が解雇され、さらに彼らの流れ込んだホームランドで人口圧力により農業生産が急減するにいたって雇用状況はさらに悪化した。この膨大な失業者が、やがて黒人抵抗運動の火種となっていった。
注釈
- ^ ネイティヴと呼ばれた黒人を主とし、その他には印僑を主とするアジア系住民や、混血・先住民であるコイコイ人・インドネシアやマレー半島などから連行されたケープマレーを一括りにした『カラード』を含める。
- ^ 「人種」は、皮膚の色、爪の甘皮、虹彩の色、染色体、髪の毛のちぢれ方などによって決められた。
- ^ ほぼ名目だけのもので、外交や国防などの自主権は無く、政府予算も大半が南アフリカ政府からの補助金でまかなわれていたため、実質的には南アフリカの傀儡国家であった。
- ^ 雇用者に、労働者は人種別に一定の割合(Colour bar)を維持するように義務付けた法律。特に鉱山における特定の職業を、白人労働者から低賃金な黒人労働者へ置き換えることを防止するのが目的。
- ^ 南アフリカ政府が指定した地域(全国土の8~13%程度)以外での、黒人の土地所有権を否定する法律。居住面での人種隔離を進めるのも目的であったが、南アフリカ政府が黒人の土地所有権を認めた地域は農業に不適な地域が多いため、黒人が自営農民として生活することは事実上困難となった。
- ^ ただしその発達は、黒人に対する搾取によるものであった。
- ^ 黒人の熟練建築労働者が、就業可能な地域を制限する法律。
- ^ 黒人労働者のストライキを禁止する法律。
- ^ 異人種間共同の労働組合を新規に結成することを禁止する法律。既存の異人種間共同の労働組合も人種別組合に分割させた上で、労働組合幹部は白人に限定させた。
- ^ 面積にして、南アフリカ全土のおよそ10%にも満たない程度。
- ^ 日本人などは名誉白人などとよばれ、白人居住区に居住した。
- ^ ただし、外交や国防、治安についての実権はない。
- ^ 拘留期限の更新が認められていたため、実際には60日を越えての拘留も可能だった。
- ^ “参議院会議録情報 第112回国会 決算委員会 第6号”. 議事録 (国立国会図書館) 。日本政府の対応については外務省の当該答弁を参照。
- ^ 「人道に対する犯罪」とは、文民たる住民に対する攻撃であって、次のいずれかの行為をいう。(a)殺人。(b)絶滅させる行為。(c)奴隷化。(d)住民の追放又は強制移送。(e)国際法の基本的な規則に違反する拘禁その他の身体的な自由の著しいはく奪。(f)拷問。(g)強姦、性的な奴隷、強制売春、強いられた妊娠状態の継続、強制断種その他あらゆる形態の性的暴力。(h)政治的、人種的、国民的、民族的、文化的又は宗教的な理由、性に係る理由その他国際法の下で許容されないことが普遍的に認められている理由に基づく特定の集団又は共同体に対する迫害。(j)人の強制失踪。(j)アパルトヘイト犯罪。その他の同様の性質を有する非人道的な行為であって、身体又は心身の健康に対して故意に重い苦痛を与え、又は重大な傷害を加えるもの[25]。
出典
- ^ レナード・トンプソン (1995, p. 329)
- ^ レナード・トンプソン (1995, p. 342)
- ^ レナード・トンプソン (1995, pp. 344–345)
- ^ 伊藤正孝 (1992, p. 27)
- ^ 伊藤正孝 (1992, pp. 27, 59)
- ^ 峯陽一 (1996, pp. 225–226)
- ^ 吉田一郎 (2010, p. 247)
- ^ South Africa: Honorary Whites, TIME, 19 January 1962
- ^ A Matter of Honour: Being Chinese in South Africa, Yoon Jung Park, Lexington Books, 2008 page 159
- ^ 峯陽一 (1996, p. 135)
- ^ a b 峯陽一 (2010, pp. 40–41)
- ^ 峯陽一 (1996, pp. 21–22)
- ^ 「南アフリカ共和国・レソト・スワジランド」『週刊朝日百科世界の地理109』、朝日新聞社、1985年11月24日、11-231頁。
- ^ 勝俣誠 (1991, p. 173)
- ^ 勝俣誠 (1991, pp. 173–174)
- ^ レナード・トンプソン (1995, p. 296)
- ^ a b レナード・トンプソン (1995, p. 299)
- ^ レナード・トンプソン (1995, p. 331)
- ^ レナード・トンプソン (1995, p. 330)
- ^ レナード・トンプソン (1995, pp. 360–361)
- ^ 『スティグリッツ教授の経済教室』、100頁。
- ^ 平野克己 (2009, pp. 128–129)
- ^ レナード・トンプソン (1995, pp. 373–374)
- ^ レナード・トンプソン (1995, p. 462)
- ^ “[第2部 管轄権、受理許容性及び適用される法] 第7条 人道に対する犯罪”. 国際刑事裁判所ローマ規程. はてなダイアリー (2004年6月9日). 2007年8月20日閲覧。
- ^ 『スティグリッツ教授の経済教室』、101頁。
- ^ “What do the Palestinians want from the international community?”. MEMO Middle East Monitor. 2021年3月23日閲覧。
- ^ “• Is Israel not an apartheid state?” (英語). 外務省_(イスラエル) (2010年11月10日). 2021年5月17日閲覧。
- ^ Raoul Wootliff (2018年7月19日). “Israel passes Jewish state law, enshrining ‘national home of the Jewish people’”. The Times of Israel 2021年5月17日閲覧。
- ^ 渡辺丘 (2018年7月20日). “「ユダヤ人国家」法、イスラエル国会が可決 批判相次ぐ”. 朝日新聞 2021年5月17日閲覧。
- ^ “A regime of Jewish supremacy from the Jordan River to the Mediterranean Sea: This is apartheid” (英語). B'Tselem (2021年1月12日). 2021年5月17日閲覧。
- ^ “イスラエル政府の人権侵害政策、アパルトヘイトと迫害の罪に該当”. ヒューマン・ライツ・ウォッチ (2021年4月27日). 2021年5月17日閲覧。
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