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医療・健康・介護のコラム

[俳優 黒部進さん](下)正義のヒーローから悪役に一転、アフリカ体験が人生の糧

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ヒーローの後は、悪役の仕事が中心に

――話は戻りますが、アフリカのバイク旅行の後、俳優としての生活は変わりましたか。

 生活があるので、仕事を選ぶという状態ではありませんでした。いただいた仕事を順次やっていくという感じでしたが、いいスタッフに恵まれて、なんとか役者を続けることができました。地球を守るヒーローの後は、悪役が中心でしたね。

――ヒーローを演じた俳優が悪役になるのはどうでしたか。

 ヒーローから逆転したのは、それなりに楽しかったですね。悪役は、監督がとやかく言わないから、自分が思う通りに役作りができるのが楽しいですよ。主役だとある程度、役のイメージがあるから、二枚目の枠の中でやらなければいけません。僕らは三枚目ですから自由です。僕の場合、「顔立ちは二枚目」とよく言われましたけど、それをいかに、化粧をして印象を変えていくかを考えてきました。

長女の「女優になりたい」に大反対 

――ご家族の話になりますが、多香美さんが「女優になりたい」と言った時、大反対だったそうですね。

 役者なんて、食うか食わずの生活になるかもしれないんですよ。そんなに生やさしいもんじゃないという経験を僕もしていますから、相当に反対しました。でも、最後は家内に言われたんです。「あなただって、親の反対を押し切ってやったじゃない。賛成してあげなさい」。返す言葉がありませんでした。それから応援する側に回りました。

――96年、多香美さんが、自分と同じウルトラマンシリーズのウルトラマンティガのレナ役になった時はどう思いましたか。

 時期的には、まだ、「ウルトラマン役者」としての自分の過去にはあまり触れたくなかったころでしたが、うれしかったですよ。女優になるって「女優宣言」をして、仕事がなかったらかわいそうじゃないですか。ウルトラマンに出ることではなく、仕事が決まって安心した記憶があります。そこは親ばかです。

――アフリカをたっぷり体験して、父と同じウルトラマンシリーズにも出演した多香美さんは、今、石垣島でハーブ園を運営していますね。そのことをどう思っていますか。

 多香美は、自分の世界……侵しがたい世界を持っていますよね。僕のせいではないと思うけど、自分で考えながら生きています。すごく 真摯(しんし) な生き方をしていますよ。

健康維持に水泳と水中ウォーク、ファンのために若くありたい

――自分の健康については注意していますか。

 僕が病気になると、家内にも家族にも迷惑をかけるから、健康を維持する努力はすべきという考えです。週3、4日は近くのジムで、200、300メートル泳いでから、40分ぐらいプールでウォーキングをします。

 農家の生まれで、何でも食べますよ。ただ、家内が気遣って、塩分は少ないです。ウルトラマンのイベントではファンのみなさんの前に出ることがあります。科学特捜隊は80歳を過ぎても、ファンの皆さまを悲しませてはいけないので、若くありたいという気持ちを持っています。

黒部進さん

くろべ・すすむ
 1939年、富山県黒部市生まれ。本名吉本隆志。中央大学経済学部中退。63年、石坂洋次郎原作「暁の合唱」でデビュー。芸名は出身地から。66年、「ウルトラマン」の主人公、科学特捜隊のハヤタ役になった。その後は、時代劇や刑事ドラマなどで悪役を演じることが多かった。90年代などウルトラマンブームが起きると関連の特撮作品にも出演。現在もウルトラマン関係のイベントに登場する。長女は女優の吉本多香美さん。

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