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虹色百話~性的マイノリティーへの招待

医療・健康・介護のコラム

第28話 今年は「SOGI」が流行る?

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性的マイノリティーを可視化させたLGBTという言葉

 前号でも触れましたが、昨年は「LGBTブーム」だったかもしれません。当事者コミュニティーの一部には、「LGBT」が流行語大賞に採用されるのではと期待する向きもありましたが(結果は、かすりもしませんでしたが)、ともかくLGBTという言葉はずいぶん人口に膾炙かいしゃされたようです。

 ちなみにLGBTとは、レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダーの頭文字をつないだもの。その4カテゴリーの人びとを指すとともに(私もそのゲイの一人というわけですが)、性的マイノリティーの総称としても使われます。

 名付けの力によって、見えなかった性的マイノリティーの存在が可視化され、認知が広がってきたことは歓迎します。ただ、私自身は、ホントはあまりこの言葉が好きではなく、この連載のタイトルに採用しなかった経緯があります。

 古い人間として、「昔はこんな言葉、使わなかった」というのもありますが(苦笑、たんなる頑固ジジイですね)、第6話でも触れたように、性的マイノリティーのカテゴリーには、L・G・B・T以外にもいろいろあるだろう、とはよく言われる批判点でした。男女の典型的な性別にあてはまらないインターセックス(性分化疾患)、異性・同性いずれへも性愛を感じないアセクシュアル、とくにどのカテゴリーへも所属意識がないが典型的な男女にあてはまらないと感じているクエスチョニング……などなど。それでLGBTIAQなどと並記することもあります。

 さらに、こうした性的アイデンティティーを表す言葉はつぎつぎ生まれており(パンセクシュアル、なんて聞いたことあります?)、そのたびに付け加えていけば、無限ループに陥るハメに……。

 それに、LとGとBとTの人が性的マイノリティーだと思っている人に、「でも、トランスジェンダーでゲイの人もいるんですよ」と言うと、え、なに?! ということになるかもしれませんね(笑)。

国際的に使われはじめたSOGIという言葉

 この連載の読者はすでにご存知でしょうが、LGBとは性的指向にかかわる概念だし、Tは性自認にかかわるもので、土台、位相が違うものです。

 近年は国際人権法などの議論で、LGBTではなく、SOGI(エスオージーアイ、あるいはソギなど)という呼称が使われる動きが出てきました

 GIはジェンダーアイデンティティー(性自認)の略。自分の雌雄の身体的性差(セックス)に対応する社会的性差(ジェンダー)に適応しているというか、違和感のないことをシスジェンダーといい、違和感を感じ、それとは違うジェンダーに適応したい、振る舞いたいというのがトランスジェンダーです。身体の性とこころの性が一致する・しないといった言い方もされます。

 また、SOはセクシュアルオリエンテーション(性的指向)の略。自認するジェンダーを基準に、それとは異なるジェンダーに性愛を感じることをヘテロセクシュアル、同じジェンダーに性愛を感じることをホモセクシュアル、両方に対して性愛を感じることをバイセクシュアル、いずれにも性愛を感じない場合をアセクシュアルと呼んでいます。

 GIとSOとを分けて考えることがわかっていれば、「ゲイの人は心が女性だから、男の人が好きなのね」などの、性自認と性的指向を混同した誤解はなくなるでしょう。また、身体的には異性カップルに見えても一方がトランスジェンダーで、その性愛がホモセクシュアルになっている場合もあれば、身体的には同性カップルで一方がトランスジェンダーの場合、ヘテロセクシュアルになっていることもあるなど、性の「応用問題」もカンタンに解けることでしょう。

SOGIの視点で自分を振り返る

 GIとSOはすべての人について考えることができる概念です。GIにおいて、シスジェンダーは多数だがトランスジェンダーは数が少ない。SOにおいて、異性指向が多数だが、同性指向や両性指向、無指向は少数だ。自分はどこに位置しているだろうか、と。

 LGBTという言葉や、それを通じて性的マイノリティーの認知がようやく始まったところで尚早なのかもしれませんが、私はこの連載の読者へは、SOGIという言葉へ切り替えませんか、と呼びかけてみたい気がするのです。それはたんに、国連でも使われ始めたなど国際的権威を振りかざしたり、たんなる目新しさ狙いで言っているわけではありません。

 LGBTという言葉の懸念点は、さきに触れた問題に加え、非LGBTとされる側が自分自身を問い返すことなく、自分の外部に「LGBT」という人たちをくくり出し、外在的にそれを「理解しましょう」という感じになることです。

 さらに、一部の経済誌に「LGBT、もはや、知らないでは済まされない」という見出しを見たことがありますが、LGBTを理解しないと大変なことになるようです。私(ゲイ)はいつのまに「腫れ物」になってしまったのでしょう?

 たとえば白人が、自分を問うことなく、「黒人や黄色人種を理解しましょう」とのたまったら、それはオカシイでしょう。自分の立場(この場合は白人)をまず意識したうえで、問うべきは、「人種」という概念が差別をもたらしてしまっている社会のはずです。

 SOGIとLGBTの違いも、これと同様でしょう。LGBTの人たちとLGBTでない自分、という2項対立ではなく、SOGI――性的指向と性自認の多様性のなかのどこかに自分もあるのだ、という視点のほうが、より正確ではないでしょうか。

 そして、さる倫理学者が述べた、自分が目をつぶってまた開いたとき、立場が入れ替わっていても不利益を感じない社会かどうかを問う、というたとえを用いれば、SOであれGIであれ、自分が目を瞑ってまた開いたとき、多数側から少数側に瞬間移動していたとしても、現在それで不利益を感じない社会であるかどうかを考えてみては? と思うのです。

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永易写真400

永易至文(ながやす・しぶん)

1966年、愛媛県生まれ。東京大学文学部(中国文学科)卒。人文・教育書系の出版社を経て2001年からフリーランス。ゲイコミュニティーの活動に参加する一方、ライターとしてゲイの老後やHIV陽性者の問題をテーマとする。2013年、行政書士の資格を取得、性的マイノリティサポートに強い東中野さくら行政書士事務所を開設。同年、特定非営利活動法人パープル・ハンズ設立、事務局長就任。著書に『ふたりで安心して最後まで暮らすための本』『にじ色ライフプランニング入門』『同性パートナー生活読本』など。

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2件 のコメント

「二項対立でなく」は素晴らしい視点ですね

還暦ローディ

初めてコメントします。 >性的指向と性自認の多様性のなかのどこかに自分もあるのだ、という視点のほうが、より正確ではないでしょうか。 これは非常に...

初めてコメントします。

>性的指向と性自認の多様性のなかのどこかに自分もあるのだ、という視点のほうが、より正確ではないでしょうか。

これは非常に納得のいく指摘だと感じました。

私たちは、とかく「正常」と「異常」、「健常者」と「障害者」などの二項対立で物事を捉えがちです。

しかし、現実の人間や物事は、そんなに単純ではなく、微妙に違う多様な要素の複合です。

永易さんのご指摘、本当に同感です。

でも「SOGI」は、伝わりにくい表現ではないかと思います。

ベタですが「性自認・性的指向スペクトラム」はいかがでしょうか?

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横文字はどうにかならない!?

カイカタ

そうでないと、どうせ欧米か、という捉え方になってしまうのでは? それから性的少数派は公衆浴場でどう振る舞うべきでしょうか?

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