出るたびに打たれるので新浦への交代を告げる長嶋監督に「オイ、また新浦かよ。いい加減にしろ!」ブーイングの嵐がとんだ。新浦自身も耐え切れず「もう投げられません」と試合後の浴室で泣きながら監督に訴えたが、「いくら打たれたっていい。ファンのヤジがつらいなら俺がコーチスボックスに入って受けてやる」と実際に三塁コーチに立って新浦の一本立ちにかけた。
新浦は翌年11勝をあげてから4年連続2ケタ勝利。とくに78年には15勝7敗15セーブをあげチームの大黒柱に成長した。
この話はV9の後遺症を表すものだろう。前監督の川上哲治は連覇を続けるために将来を見据えた未知数の若手を起用するのではなく、毎年各チームの主力選手を獲得して安定した戦力を保とうとした。
その結果連覇はできたが、V9戦士たちが衰えてくるとそれに代わる若手がいないという状況になり、新監督は若返りによるチーム作りに一から取り組まねばならなかったわけだ。また、長嶋は「野球は本来、上から管理されてやるものではなく、選手が自由にのびのびとやるもの」との考えから“クリーンベースボール”なるキャッチフレーズを掲げた。
徹底した管理野球の川上監督時代はバント失敗などのミスには罰金が課せられたが、長嶋はこれを廃止、従来の減点主義からいいプレーを評価して年俸に反映する加点主義に代えた。
選手にとってはうれしいシステム変更だが、V9戦士たちには急激な変更と長嶋監督独特の采配に戸惑いもあった。
9月には球団史上ワースト(2017年に更新)の11連敗を喫するなど負けの連続にもかかわらず、観客動員は前年から約25万人増の、当時の新記録となる283万3500人を記録。5万人の満員が32回もあり、これも前年より11回も多かった。
V9戦士たちが衰え、ボロボロになったチームを立て直そうと必死に奮闘するミスターの姿に「頑張れ!」と応援するファンが多かったからだろう。
ちなみに当時の弱体投手陣は最下位と再会をかけ「さいかい」を作り、毎年集まっていまなお交流を続けている。 (スポーツジャーナリスト・柏英樹)