ぴいぷる

【一路真輝】演じるのは感謝の気持ち「人との出会いは必然」

2010.12.22


一路真輝【拡大】

 深い紫のベルベットのドレスに身を包み、舞台上に姿を現した。時折、天井を見るたび、目にきらめきが宿る。25日から開幕する舞台「アンナ・カレーニナ」で本格的に女優復帰。すっかりミュージカル・スターの目に戻っていた。

 「約5年ぶりのミュージカルなので、浦島太郎みたいな感じです。皆さんに助けていただいてやっていけたらと思います」

 19世紀末のロシアが舞台。高官の夫と息子を持つアンナは、列車事故をきっかけに若き陸軍士官、ヴロンスキーと出会い、運命に導かれていく。

 「アンナ・カレーニナは2006年にもやりましたが、その年の5月のエリザベートという舞台のあと(休業し)育児に専念しました。ミュージカルの世界はもうたぶん戻ってこられないかもしれない、という気持ちで(舞台と)お別れをしたんです。こうしてまた、お芝居ができるのは何よりのことです」

 きっかけは?

 「娘が3歳のとき、私が童謡を歌ってあげたら、『ママ、歌を歌っているときは、とても楽しそうだね』と言われましてね」

 朝9時に長女を幼稚園へ送り、午後5時に迎えに行く毎日。就寝前は娘と「生まれてきてくれてありがとう」、「どういたしまして。ママ、ありがとう」の言葉を交わすという。

 育児は想定外の連続だった。

 「ベビーカーを持って、子供を抱えて、荷物を持って、満員電車に乗れたんです、1人で。優雅にベビーカーで出かけたつもりが、子供が泣き出して…。私、満員電車にベビーカーと子供と荷物を持って乗っている自分は想像していなかったんですよ」

 しかし、いまではそれも笑い話。てんやわんやの日々が過ぎ、先々の子育てを考える余裕もできた。

 「子供の将来を親が固めるようなやり方はしたくない、と夫婦で話しています。これから私が仕事を始めれば、子供が楽屋に来ることが増えるし、(舞台は)普通の子より身近になります。ただ、私たちとしては、周りから歌や踊りを習わせるような環境は作りたくないんです。それだけはやめようね、って夫婦で言っています。中学を卒業したら留学でもして、早く親離れをしてもらいたいと思っているんですよ」

 自身も13歳のとき、故郷・名古屋で見た宝塚の舞台に心奪われ、15歳までの2年間、宝塚へ通った。

 「母に(宝塚へ)行きたいって言ったら、『やっぱり』って。母方の祖父が役者をしていて、母も日本舞踊をやっていたのですが、祖父は母の芸能界入りをしぶったんです。でも宝塚は安心だったんでしょうね。15歳で親元を離れましたが、母も私も迷いはありませんでした」

 祖父の役者姿を見たことはない。けれど、名古屋で侍や芸者の衣装などの貸衣装屋を営んでいた祖父の言葉が、行く道に光を与えてくれた。

 「両親が離婚したときも、宝塚でトップになったときもそうでした。『だますより、だまされろ。どんなに辛いことがあっても、自分が加害者でなければ幸せだ』と話す祖父の言葉に勇気づけられてきたんです」

 長い下積み生活、公演中に自然気胸で入院…私生活で心が折れるたびに彼女を思いやった祖父の善三さんは、93歳で大往生した。

 いまの心の支えは、深い愛情で結ばれた家族。夫の「頑張れ」の言葉を胸に、再び舞台に立つ。

 「人との出会いは偶然ではなく必然なんですよ」

 自分を支えてくれた多くの人たちへ、舞台からソッと恩返しする。(ペン・栗原智恵子/カメラ・桐山弘太)

プロフィール 一路真輝(いちろ・まき)1965年1月9日生まれ、45歳。名古屋市出身。80年、宝塚音楽学校に入学、2年後に68期生として入団。初舞台は「春の踊り」、男役として雪組に配属。85年「はばたけ黄金の翼よ」でヒロインに抜擢されるが、87年の「宝塚をどり讃歌/サマルカンドの赤いばら」公演中に自然気胸で入院。同年の「梨花王城に舞う/ザ・レビュースコープ」で復帰。93−96年、雪組トップスターに。2006年、「エリザベート」の相手役、内野聖陽と結婚、10月に女児を出産した。「娘は音感がとても良いんです。幼稚園で教わった民謡を母が歌ったら、一音一音、“こうよ”って直してました(笑)」 「アンナ・カレーニナ」は12月25日−11年2月6日、東京・日比谷のシアタークリエで上演。

 

注目情報(PR)