【今だから明かす あの映画のウラ舞台】女優編(上) 強烈すぎて封印、藤純子“緋牡丹”の入れ墨 (1/2ページ)

2016.10.14

凛とした美しさで人気を集めた藤純子の“緋牡丹のお竜”
凛とした美しさで人気を集めた藤純子の“緋牡丹のお竜”【拡大】

  • <p>「緋牡丹博徒」(DVD発売中、2800円+税、販売:東映、発売:東映ビデオ)</p>

★女優編(上)

 1968年、藤純子(現・富司純子)主演の「緋牡丹博徒」が誕生した。そのとき藤は22歳。当時、東映宣伝部員だった福永邦昭は、新たなスターが生まれた瞬間を忘れられない。

 藤の映画デビューは高校3年生の時。名匠、マキノ雅弘監督に見いだされた。藤は東映任侠映画の大半をプロデュースした俊藤浩滋のまな娘。鶴田浩二や高倉健、菅原文太らと共演を重ね、ヒロインとして欠かせない存在になった。

 デビューから5年、ある企画が藤に持ち上がった。岡田茂社長(当時)の発案で、ライバル会社の大映がヒットさせた江波杏子主演の「女賭博師」シリーズを東映でもやることになったのだ。いわば2匹目のドジョウ狙い。

 それでも脚本担当の鈴木則文が、あの有名なセリフを生んだ。

 〈熊本は五木の生まれ。姓の儀は矢野竜子、通り名を緋牡丹のお竜と発します〉

 「熱烈な任侠ファンへのアピールは『昭和残侠伝』でファンを唸らせた健さんの“唐獅子牡丹”のように、純子の“緋牡丹”の入れ墨しかない」

 台本を読んだ福永は東映京都撮影所に飛ぶと、撮影所の専属刺青師、毛利清二に依頼。実際に描かれた緋牡丹は、事前に見ていた型紙のそれを遥かに凌いでいた。

 撮影本番。藤の右肩から腕にかけて、ライトに照らされて白い肌に浮き上がった真っ赤な牡丹の大輪を福永は間近に見た。

 「本当にまぶしかった。ただ純子は撮影スタッフの前でさえ片肌を見せるのを恥ずかしがり、現場のスチールカメラマンの撮影しか許さなかった。そこで純子本人とマネジャーの了解を得て、宣伝用のスナップ写真数枚を手に入れた」

 

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