甘利昌忠

読み:あまり・まさただ
外語:AMARI Masatada 英語
品詞:人名

1533(天文2)年〜1564(永禄7)年。晴吉。左衛門尉。甘利虎泰の嫡子。文献によっては武田二十四将の一人。騎馬100騎持。

1547(天文16)年の碓氷峠の合戦で初陣。この戦いで真っ先に敵中に駈け入り、兜首を討ち取るという戦功を挙げているが、これは初陣ならではの勇み足で、たちまちに敵に包囲されてしまうが、単騎槍を振るって突入してきた米倉重継にからくも救出されている。

父・虎泰が1548(天文17)年の上田原の合戦にて戦死すると家督を継ぎ、武田の譜代家老衆に列せられた。

武蔵松山城攻めでは瀕死の重傷を負った家臣の米倉晴継に傷に良いからと言って馬糞汁を飲ませようとした。すると、晴継の父の重継は怒り、「牛馬の糞まで飲みたるとあれば、武道をかせぎて、屍のうえの恥なり」と言った。これに対し昌忠は、「よき武士は命をまっとうするもの」と皆の前で、馬の糞を2口飲み「味良し」と言うと、晴継に飲ませた。すると晴継はまもなく治ってしまい、逸話となっている。それ以外にも桔梗原合戦に功がある。

1564(永禄7)年、落馬により不慮の死を遂げたとも病死したとも言われる。しかし、それ以降の年の書状も発見されていることから怪しまれており、一説には1575(天正3)年)の三方ヶ原の戦いにて、徳川軍の側面をついて味方を救い、長篠の戦いで戦死。

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