Waseda Weekly早稲田ウィークリー

コラム

東京専門学校時代の学生

文学学術院 准教授 真辺 将之(まなべ まさゆき)

学生諸君の中には、早稲田大学の持つ独特の学風に憧れて入学した人も多いに違いない。しかし、1882年(明治15年)に東京専門学校が開校した際には、そこには何らの「学風」も存在していなかった。今につながる学風の根源を作り出したのは、初期の学生たちの活動であった。

初期東京専門学校の学生と教員(演劇博物館所蔵)

写真①を見て、多くの人は学生だけの集合写真だと思うのではないだろうか。実際は、前列右3人は教員(右から坪内逍遙(つぼうちしょうよう)、天野為之(あまのためゆき)、高田早苗(たかださなえ))であり、残りが創設時の1882年に入学した学生たちである。当時学校で教鞭を執っていたのは、東京大学を卒業したばかりの20代前半の若者たちであった。他方、学生の側は、小学校卒業後数年働いてから入学した者も多く、年齢が近いばかりか、教員よりも年上の学生も珍しくなかった。学生の学力は必ずしも高くはなかったが、年齢の近い教員と学生は兄弟のように仲良く、従って教員は学生に権威的に接することなく、学生の自治的な営みを尊重し、学問以外のことであってもやりたいことは自由にやらせた。政府を追われた大隈重信の心意気に感じてあえて本校を選んだ学生たちは、強い個性を持つ人ばかりであった。青い顔をして勉強ばかりしている人、相撲や撃剣などに打ち込む豪傑、政治活動に熱中して警察に逮捕される学生(写真②は政府批判のパンフレットを頒布した廉(かど)で逮捕された学生が描かれている)、あるいは酒や女に溺れる学生もいた。まさに多様な個性の陳列場であり、けんかも日常茶飯事であったという。

ビゴー「下宿営業牛込区」(『TOBAE20』)

「無規律といえば無規律だが、だからこそ自分が本当にやりたいことを見つけ、真剣に学ぶようになれた」とは初期の卒業生の回想である。現在の多彩なサークル活動に代表される「自由と多様性」に彩られた学風の淵源(えんげん)は、こうした学生たちにより形作られたのである。詳しく知りたい方は拙著『東京専門学校の研究』を一読いただきたい。

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