Waseda Weekly早稲田ウィークリー

コラム

〜第1回〜 4つの大隈銅像

 

 

大学史資料センター助授 檜皮(ひわ) 瑞樹(みずき)

 創立129年を迎える本学には、知られざるエピソードがいっぱい。新コーナー「早稲田に歴史あり」では4回連載(年間4シリーズ)でさまざまなエピソードをご紹介します。今回はキャンパス内に点在する「銅像」のエピソードについて専門の先生方に解説して頂きます。

早稲田キャンパスの中央に立つ大隈重信の銅像。東京専門学校(早稲田大学の前身)の創設者であり、2度の首相経験者である。

本学の学生であれば、誰もが知る大隈銅像であるが、歴史的には4つの大隈銅像が存在した。初代は1907(明治40)年に早稲田大学(1902年に改称)創設25周年と大隈重信の古稀を記念して製作された。制作を小倉惣次郎、鋳造を鈴木長吉が担当した大礼服姿の銅像であった。この1907年は、それまで大学と距離を置き、開校式にも出席しなかった大隈重信が、初めて大学の要職(総長)に就任した年でもあり、早稲田大学にとって新時代の幕開けでもあった。現在は大隈講堂の北側回廊に設置されている。

次いで、1916(大正5)年に芝公園に設置された、衣 いかん冠束そくたい帯姿の銅像が2代目である。これは、大隈重信の業績を顕彰するため寄附を募って建設されたものであるが、戦時中の金属供出により現存しない“幻”の銅像でもある。  三代目が、1932(昭和7)年に創立50周年にあわせて建設され、現在早稲田キャンパスに立つガウン姿の銅像である。これは、初代銅像の大礼服姿が官僚や軍人を象徴するものであり、大学には相応しくないとの意見から制作が企画された。

 最後は、1938(昭和13)年に、大日本帝国憲法発布50年を記念し、国会議事堂内に設置された銅像である。初の政党内閣による首相として評価されたもので、板垣退助・伊藤博文の銅像とともに、現在も議事堂の中央広間に設置されている。二代目から四代目の3体は朝倉文夫が制作している。

他に、初代の塑像原型が大隈記念室(早稲田キャンパス2号館)に、初代を模した銅像が佐賀市大隈記念館に、戸山・西早稲田のキャンパスには胸像が設置されている。

次週、1245号(6月9日号)第2回は高田早苗銅像のエピソードをご紹介。

1244号 2011年6月2日掲載

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