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黒柳徹子という、素直に、飽きずに、子どもの目で世界を見る人。

60年以上、テレビの中から観る人をハッピーにしてきた真にスペシャルな「黒柳徹子」という人をどうしてももっと知りたくて、彼女に会いに行きました。誰よりも突き抜けた人は、誰よりも誠実に、素直に、飽きずに、子どもの目とともに日々を生きる人でした。 『VOGUE JAPAN』2017年1月号掲載。「Over the Topな女性たち」スペシャルインタビューより。 瀬戸内寂聴さんのインタビューはこちらから。
ジャケット シャツ/すべてKEIJI TAGAWA HAUTE COUTURE

「日本を代表する女性をひとり選んでください」と言われたら、おそらく多くの人が、迷わず黒柳徹子さんの名前を挙げるだろう。

テレビの草創期から活躍し、83歳の今も司会者、タレント、女優としてトップ・オブ・トップ。1976年に放送を開始した「徹子の部屋」は今年で40周年を迎え、昨年の5月に通算1万回を超えてギネス世界記録に認定され、今なお記録を更新中だ。この間、トレードマークのタマネギヘアも、大好きなパンダの研究も、ずっと変わらず続いている。ひとつのことを持続させるエネルギーの秘密は何なのだろう。

「徹子の部屋」は、スタッフと「50周年まで続けよう」と話してるんですよ。だから、あと10年は仕事をしないといけない。以前、100歳になったらNHKの時報に合わせて毎日生で出演して、お座布団に座ってお辞儀して「ああ今日も生きてた」と思われようと考えてたの。このアイデアはこの春放送されたドラマ「トットてれび」で採用されましたけどね。

とにかく、長生きするには今から気をつけなきゃと思って。毎日30分歩く習慣があって、いま赤坂に住んでいるからTBSの周りを散歩するんですけど、うっかり穴に落ちないようにしないと。

健康のために、何も特別なことはしていません。でも、よく食べます。最近、餃子に凝ってるの。以前に九州の餃子屋さんで50個食べて驚かれたことがあるんですよ。ちっちゃなちっちゃな餃子ですけどね。それから、たくさん眠る。昔は、帰宅してからずるずる仕事をして明け方に寝てましたけど、このごろは家に帰ると荷物を放り投げて、そのまま瞬間的に眠りに落ちちゃうの。

3時間くらい寝て目が覚めたら、お化粧を落としてお風呂に入って、日課のスクワットを50回。それから少しテレビを見たりして、また計8時間くらいになるように眠る。夜の10時から翌日の2時までは、脳内ホルモンが活発に出るんですって。そのせいか、とても調子がいいの。

ジャケット シャツ/すべてKEIJI TAGAWA HAUTE COUTURE

私、子どものころから、何かに飽きることがないんです。戦争中、疎開したときに、村の子どもたちとりんごの袋作りをしたんですけど、ほかの子どもは午後になるともう飽きちゃうのに、私はひとり薄暗い教室で、効率的な袋の作り方なんかを研究しながら、ずっと続けてた。

"ほんと、あたしって飽きないんだ"と思いました。(笑)。今でもそうだけど、「これは面白い仕事、これは退屈な仕事」というように、あんまり分けて考えないのね。

芸能界に入って62年。なぜこんなに続いたんですか、とよく聞かれます。思うに、丈夫で長生きなのもあるけど、結局、ただ素直だっただけ。何かを「やりなさい」と言われたら「はい」と答えて、その通りにやってきた。これまで仕事で一回もケンカしたことがないの。上司だろうと部下だろうと。これは誇れるかもしれないわね。

あまり好きじゃない人との付き合いは避けますが。世の中、いい人とか優しい人ばかりじゃないですから。よく「わたくし、もう辞めさせていただきます!」なんていきり立つ人、いるでしょう。私も、何人も見てきましたけど。

そんな人に限って、翌日何もなかったような顔でまた来てる(笑)。でも、ケンカする人は結局、いつのまにか消えてしまいますね。

満島ひかり主演でNHKで今年放映された「トットてれび」Photo: NHK提供(「トットてれび」)

「テレビ女優第一号」としてNHKに入社したのは1953年。周りは男性ばかりだったが、何もかもが新しい職場で、キャリアがある先輩俳優やスタッフと肩を並べてスタートラインに立った。ニュースショーのキャスターも、トーク番組の司会も、女性としては黒柳さんが初めて。

男性社会で活躍する女性の草分け的存在でありながら、いつでもどこでも自然体。少女のような素直さに加えて、鋭い頭脳と反射神経をもつ稀有な存在として、数々の大役に抜擢されながら多忙な日々を乗り切ってきた。
38歳のとき、1年間仕事をお休みしてニューヨークで演技を勉強していたんです。帰国してから、ニュースショーのキャスターを始めました。それまでニュース番組の女性キャスターは男性のメインキャスターの添え物で、白いブラウスに紺のタイトスカートみたいな堅苦しい服装だったし、「視聴者の反感を買うから」という理由で、主婦または主婦の経験がある人に限定されていました。

でも「これからは時代が変わるから、あなたのようにニューヨークでひとり暮らしができるような人がいいんです。服も好きなものを着てください」と言われて、お受けすることにしたんです。

この番組でも、私以外のスタッフは全員が男性。43年前の話ですけどね。自分の意見がなかなか通らないこともありました。そういうときも、正面切ってケンカはしません。でも、下手に出るばかりでもなくて、根回しや話し合いの積み重ねです。この番組が3年後に「徹子の部屋」に変わって、現在に至るというわけ。

「徹子の部屋」(テレビ朝日系月〜金曜正午より放送中)は今年で40周年、昨年認定されたギネス世界記録を更新中だ。

人の話を聞くのがそれほど好きとは思わなかったんだけど、始めてみると、自分が話すより聞くほうが好きだったのね。「徹子の部屋」は編集やカットしたりしない方針で、ある意味、生放送と同じだから、頭の中で切り替えるのが大変といえば大変。

切らないためには、飛ばすところは飛ばさなきゃならない。でも、もしものときは自分が話しちゃえばいいし、流れを変えたければコマーシャルにすればいいんですからね。

毎週金曜日に、次の週のゲストについてまとめて打ち合わせをするんです。そのときゲストおひとりについて13枚の細かいメモを作る。6人分のメモを書くと最後には手が震えてきちゃう。でも、あの打ち合わせがないとうまくいかないのよ。ゲストが作家の場合は本を読みますし、歌手やミュージシャンのときはCDを聴いて、歌詞を理解します。

ただ面白くするのは得意だし、それなら簡単なんだけど、毎日見てくださっている方には、ちゃんとゲストのことを知っていただきたい。7割は打ち合わせの通り進めて、あとはその場の状況次第で判断してますね。

ゲストには先入観なしでお会いすることにしているので、いったいどんな方なんだろう、今日は、どんなお話が聞けるのかしら、自分の服とゲストの服は合うかな、といつも楽しみで仕方がないの。

毎日新しい人に会えるなんて、ラッキーなことですからね。うんと親しい人の場合は、馴れ馴れしくせずに、尊敬の気持ちをこめて、視聴者にその方をご紹介するという気持ちで収録に臨みます。

2016年の舞台はセリフの量も膨大だったという『レティスとラベッジ』。麻実れいと共演。Photo: 撮影:谷古宇正彦(『レティスとラベッジ』)

会話をしていると、抜群の記憶力、そしてあらゆることをものすごいスピードで吸収する能力に驚かされる。出演30年目になるクイズ番組「世界・ふしぎ発見!」の収録前には、与えられたテーマに関する本を読破して、面白いエピソードは全部暗記してしまう。毎年出演している海外コメディシリーズの公演中は、2時間半にも及ぶ出ずっぱりの舞台のために膨大なセリフを覚える。

最近は新しいメディアに興味津々で、9月に始めたインスタグラムは瞬く間に20万人以上のフォロワーを獲得し、「徹子さん可愛い!と毎日大量のコメントが寄せられている。

私は歴史をちゃんと勉強しなかった世代だから、「世界・ふしぎ発見!」は、歴史を学びたいと思って始めたんです。事前にテーマを教えてもらえるので、本を積み上げて一生懸命読みます。最近は私に正解させたくないらしくて、すごく曖昧にしかテーマを教えてくれないんですけど(笑)。でも「日本とドイツに関係のある人物」なんて漠然としたお題でも、「きっと森鷗外だ」なんて推測しちゃうの。

たとえ読んだ本から出なくても、何かを知らないより、知っているほうがずっといいでしょ。仕事のなかで学べるなんて最高じゃないですか。でも、苦手なのは三択問題ね。素直だから、ひっかけ問題に本当にひっかかっちゃう。

芝居の公演があるときは、いつもの仕事に加えて芝居の台詞も覚えなきゃならないでしょ。今年の公演は2時間半の長丁場で、15分の休憩以外は喋りっぱなし。ウィットに富んだ台詞なので、全部頭に入れておかないと嘘に聞こえてしまう。だから、芝居をやっている期間はクイズの成績が悪いんです(笑)。

インスタグラムは、福山雅治さんに勧められた3日後に始めたの。この歳でやる人、あんまりいないみたいなんですけどね(笑)。こんなにいっぱいの人から「見てます」と言われたことがなくて、毎日が発見の連続。みなさん、よく見てるのね。

楽屋とか洋服だけじゃなくて、朝ごはんのお皿のブランドやテーブルクロスの柄まで。そして優しい。「わかります」とか「それ私も食べたことあります」とか、共感の言葉をたくさんいただく。コメントは全部読んでいます。テレビでは直接こういう形で視聴者の方とかかわることがなかったので面白くて、毎日更新してます。

インタビューで語っていた、デザイナーを志すネパールの少女シータとの再会を喜ぶ黒柳さん。Photo: ©UNICEF/PPDTokyo/2016/Sasaki (Unicef), 提供: 株式会社パルコ

81年の刊行以来、いまだに記録が破られていない日本最大のベストセラー『窓ぎわのトットちゃん』の著者でもある。日本で累計800万部、中国でも売れ始め、1000万部を超えたこの作品は、児童文学者を「大人なのに子どもの言葉で文章を書ける人」と驚嘆させた。

黒柳さんは印税で「トット基金」を設立し、ろう者の演劇活動を支援。年からはユニセフの親善大使になり、世界中の過酷な環境の国への旅を続けている。

人に言葉をかけるときには、絶対に上から目線にならないようにします。そもそもそういう性格じゃないんだけど、歳をとるとどうしても人に教える態度になってくるでしょう。お説教するのは大嫌い。普通がいいと思っている。よく「誰と話しても変わらないですね」と言われるのはそのせいかも。

エリザベス女王が日本にいらしたときに英国大使館でお会いしたんだけど、そのときも、いつも通り。「どんなお仕事なの?」「女王さまのテレビ中継です」「お仕事うまくいった?」「ええ、女王さまがうまくやってくださったので」みたいなやりとりで、女王さまは大笑いしてティアラと胸もとのダイヤモンドと真珠の飾りが揺れて燦然として、私は「こんなの見たことない、美術館にあるのと同じだ」と思って口を開けて見てたんですけどね。

私みたいにどんどん話しかける人がいなかったので、5分の予定が20分になっちゃって。女王様はたくさんお笑いになりました。

ユニセフの活動は32年続いてますね。親善大使として旅をすると世界観が変わります。あんまりすごいところが多すぎて。さらわれてゲリラの子どもを3人も産まされた女の子とか、銃を渡されて自分の家族を撃てと言われた少年兵とか。

今年は地震で660万戸の家が損壊したネパールに行って、7、8年前にデザイナーになる夢を「がんばりなさい」と応援した女の子に再会して、手作りの服をプレゼントされました。「将来、何になりたい?」と聞いてくれたのはあなただけだった、と言われたの。うれしくて、泣きました。

中身は昔のまんまなんですよ。子どもみたいに驚くし、退屈しない。大人ですから、多少やっちゃいけないこととかはわかってますけど、ほかは変わってない。トットちゃんのまんま、ずっと来ちゃった。今も子どもと同じ目で世の中を見ているんでしょうね。私は子どもにうまく本を読めるお母さんになろうと思ってNHKの試験を受けた人間ですから、結果的に、昔立てた目標の通りになっているのかもしれないわね。

黒柳徹子
東京都乃木坂生まれ。1953年にテレビ女優第一号としてNHKよりデビュー。司会者、タレント、ユニセフ親善大使、舞台女優、エッセイストとして活躍。著書『窓ぎわのトットちゃん』は日本一のベストセラー記録をいまだ保持している。最近スタートしたインスタグラムのフォロワー数はすでに25万人を超える。

Photos: Kazuyoshi Shimomura Text: Izumi Matsuura Stylist: Michiko Ohno Hair: Koichi Matsuda at Mahalo Makeup: Mahiro  Editor: Yaka Matsumoto