【ダンプ松本の壮絶人生「極悪と呼ばれて」:連載1】女子プロレス史上最大の悪役として一時代を築いたダンプ松本(59)は2020年、デビュー40周年と還暦の記念イヤーを迎える。女子プロレスラーが還暦で現役を続けるのは史上初の快挙。1980年代の女子プロレス黄金時代にに蛮行悪行の限りを尽くし、史上最大のカリスマ・長与千種(55)と一大抗争を展開して日本中の怒りと憎しみを一身に集めた希代のヒールの素顔とは――波乱に満ちた生涯の真相を赤裸々に明かします。

 明るい家庭の思い出なんてひとつもない。埼玉・熊谷市の本当に貧乏な家に生まれた。父(五郎さん=享年87)は定職にもつかず、遊び回って家にいなかった。母(里子さん=86)が布団の綿を詰める内職で細々と家計を支えていた。父の実家は東松山市で農家を営んでおり、プロポーズの際は牛一頭を母の家に連れて行き「結婚してくれ」と求愛したらしい。

 もっともその牛も「息子が勝手に持っていった」と実家に激怒され、連れ戻されたって聞いたけどな。スタートからその調子だった。

 四畳半一間のアパートに親子4人(妹・広美さん=56)で暮らしていた。お風呂なんてもちろんない。水道も井戸水だ。父は酒、バクチ、女と遊びの限りを尽くした。トラックの運転手をしていた時期に助手席に乗せてもらった記憶はあるものの、それも長続きしなかった。外に女をつくっていたのか、たまに家に帰ってきた時は酔っ払っては母に当たる。お金は一銭も家に入れない。いなくなればいいのに。幼心で常に父を憎み続けていた。

 夏休みにどこかに遊びに連れて行ってもらった記憶もない。おかずはコロッケ1個とか、家で栽培したにんじんのてんぷらとかとてもつつましいものだった。それでも太っていたのは他人の分も横取りして食べていたからだろうか。

 6歳の時だ。母が知り合いから「父と愛人が川崎に住んでいる」と知らされたらしい。私と3歳の妹を連れて「別宅」まで直談判に行った時の記憶はハッキリと覚えている。妹が粗末なアパートの一室をノックすると、父が「あれ、広美一人で来たのか?」なんてノンキなことを言っている。3歳児が熊谷から川崎まで一人で来れるわけねえだろう。家には女の人と赤ん坊だ。思えば腹違いの妹だったのだろう。しかも私と同じ「香」って名前までつけていたからふざけんなって思った。母と父と女性が話し込んでいる間、私と妹は赤ん坊をあやしていた。この光景だけは、一枚の絵画のように今でも胸から決して消えることはない。

 いつしか父は家に戻りまた母に苦労をかける。ある日、父は母を殴ろうとしてガラス窓を叩き割ってしまった。畳は血の海だ。私は「お母さん、このまま放っておけば死んじゃうから、救急車呼ばなくていいよ」と泣いてすがった。結果的に近所の人が騒ぎを聞きつけて119番したので助かったのだけど。

 大好きな母を苦しめるこの男をどうにかしてやりたい。そのためには強くなるしかない。その後にプロレスラーを志す私には、大きな理由があった。

 父を殺したかったのだ。

☆だんぷ・まつもと=本名・松本香。1960年11月11日、埼玉・熊谷市出身。1980年8月8日、全日本女子プロレス・田園コロシアムの新国純子戦でデビュー。84年にヒール軍団・極悪同盟を結成してダンプ松本に改名。長与千種、ライオネス飛鳥のクラッシュギャルズとの抗争で全国に女子プロ大ブームを巻き起こす。85年と86年に長与と行った髪切りマッチはあまりに有名。86年には米国WWF(現WWE)参戦。88年に現役引退。タレント活動を経て03年に現役復帰。現在は自主興行「極悪祭り」を開催。163センチ、96キロ。

(構成・平塚雅人)