元横綱・栃ノ海が死去 82歳 誤嚥性肺炎で

[ 2021年1月29日 12:10 ]

土俵入りする元栃ノ海の花田茂広さん(1965年撮影)
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 大相撲の元横綱・栃ノ海の花田茂広(はなだ・しげびろ)さんが29日未明に誤嚥(ごえん)性肺炎で死去した。日本相撲協会が発表した。82歳。青森県出身。存命の横綱経験者では最年長だった。

 1938年3月13日に青森県田舎館村のリンゴ農家に生まれ、幼い頃に両親を相次いで亡くしたが、兄弟で協力し園を守ったという。弘前商高(現弘前実)では相撲のほかに野球や柔道でも活躍。高2のときに足を運んだ弘前巡業で春日野部屋入りしていた同級生と出会って大相撲の世界に憧れ、角界入りを決断した。

 1955年秋場所で初土俵。59年初場所で新十両。60年春場所で新入幕を果たし、関脇だった62年夏場所では、13日目に大鵬を渡し込みで破るなど14勝1敗で初優勝。場所後に同部屋の栃光と大関昇進を果たした。

 63年九州場所では2度目の優勝。翌場所も優勝こそならなかったが13勝2敗を挙げ横綱に昇進した。横綱としては63年夏に3度目の優勝を果たしたが、椎間板ヘルニアや足のケガなどに悩まされ、66年九州場所限りで引退。28歳で土俵人生に別れを告げ、横綱在位は17場所と短命だった。

 1メートル77、110キロと体格には恵まれていなかったが、「津軽のじょっぱり」と言われる闘志あふれる取り口と抜群の運動神経で大鵬、柏戸ら大型力士相手に渡り合った技巧派。得意は左四つからの出し投げや足技、もろ差しから速攻で、立ち合いから食い下がりやもろ差しなど有利な体勢に持ち込んで、間髪入れずに技を繰り出す相撲で館内を沸かせた。

 引退後は「中立」を襲名し、春日野部屋の部屋付きとして後進を指導。90年1月に元横綱・栃錦の春日野親方の死去伴って部屋を継承し、03年に相撲協会を定年退職した。

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2021年1月29日のニュース