カネやんは本当は88歳だった!?

[ 2019年10月10日 13:29 ]

金田正一さん
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 【大西純一の真相・深層】プロ野球の名投手、金田正一さんが10月6日、86歳で亡くなった。2度目のロッテ監督に就任した1990年に担当記者として取材したが、「プロ選手とは」ということをいろいろと教えられた。プロ野球に限らず、サッカーや他の競技にも通じるものだった。

 自分に厳しく、野球のためなら妥協はしなかった。体にも投資を惜しまなかった。監督時代に選手を走らせたが、「練習はきょうのためにするんじゃない。来年、再来年のためにやるんだ」というのが持論。「長嶋や王があの年までできたのはワシのお陰や」というのを何度も聞いたが、現役時代は本当によく練習したという。国鉄から巨人に移籍したカネやんの野球に取り組む姿勢を見た巨人の選手たちがそれをまねて、一生懸命練習したことがV9につながった。

 「よく練習し、うまいものを食べ、よく寝て、クソして」がモットーだった。「寝るときは長袖を着ろ」も持論だった。「投手が肩やひじを冷やしてはいけない」というだけでなく、「寝ていて風邪をひいたらどうするんだ」というプロの心構えだった。

 ある時、試合前にベンチ前でカネやんに「おい、キャッチボールをしよう」と言われたことがあった。400勝投手とキャッチボールをするなど光栄な限りだが、何球か直球を投げた後、カーブを投げてきた。現役時代は「二階から落ちてくる」といわれたほどだが、鋭く曲がって落ちた。「いいカーブですね」と言うと、「お前に捕られるようになったら、終わりや」と返されてしまった。こんな時でもプライドをのぞかせた。

 けっこうさみしがり屋で、担当記者に囲まれているのが大好きだった。博多には行きつけの屋台があり、試合後「担当記者は集合しろ。きょうはワシのおごりや」と、号令がかかった。仙台にもなじみの店があり、「きょうはみんなでカツオを食おう」と、集合がかかった。鹿児島キャンプ中に「きょうはワシはふぐを食う。みんな来い」と言われたことがあった。レストランに行くとテーブルにふぐが一人前だけあり、カネやんがひとりで「やっぱりふぐはうまいな」と、いいながら食べていた。担当記者は何のために呼ばれたのか…、それでも憎めなかった。

 カネやんは86歳で亡くなったが、本当は88歳だったのかもしれない。担当していたとき、「じつはワシ、日本国籍を取ったときに、2歳サバ読んでいるんだ」と話しだした。両親は今の韓国出身で、愛知県に生まれたカネやんは終戦の頃に日本国籍を取得したという。その手続きをする際、書類に2歳若く書いて提出し、それが通ってしまったというのだ。理由はわからないが、終戦直後の混乱期だっただけにありそうな話。たしかに享栄商業高校1年に転入したときは14歳で、就学年齢になっていなかったが、カネやんの話が本当なら16歳で就学年齢に達している。高校3年の夏に中退して17歳で国鉄に入団して1年目から活躍したが、本当は19歳だったことになる。詳細は聞き損ねたが、もはや確認のしようがない。

 審判を蹴って出場停止になったり、何かと話題を振りまいた。担当していた毎日が刺激的で、抱腹絶倒の1年間だった。取材してこれほど楽しかった人はいない。偉大なアスリートであり、エンターテイナーだった。

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