望月元環境相死去 清水を愛した庶民派、県の発展に尽力

 19日に72歳で亡くなった自民党衆院議員の望月義夫氏は清水生まれの清水育ち。政治家然としていない気さくな人柄と温厚な笑顔に加え、強い清水愛を備え、地元有権者からは「先生」ではなく「よっちゃん」と呼ばれて親しまれてきた。

 旧清水市(静岡市清水区)市議に27歳で初当選。44歳で県議に転身し、平成8年の衆院選で初出馬して初当選を果たした。国会議員となってからも清水に根を下ろし、祭りやイベントで地域と積極的に交流するなど庶民派を貫いた。

 18年に国土交通副大臣に就任すると、清水港の振興や静岡、山梨両県民の悲願である中部横断道の早期開通に尽力。26年に環境相・原子力防災担当相として初入閣し、東日本大震災の被災地復興や原発安全対策、富士山の噴火対策などに努めた。28年には自民党幹事長代理、29年からは衆院災害対策特別委員長を務めた。

 川勝平太知事は「防災や港湾、道路のエキスパートで最も頼りにした国会議員だった」と沈痛な面持ち。「リニア中央新幹線工事に関わる水問題など、今、県が直面している問題に最も力のある人だった。あまりに急で残念。喪失感は非常に大きい」と故人をしのんだ。自民党県連の竹内良訓幹事長は「地方議会にもご理解が深く、頼りにしていた。残念でなりません」とコメントを出した。

 また、静岡市の田辺信宏市長は「該博な知識と豊かな経験により、市を強く牽引(けんいん)された」と感謝。「市の宝」と評し、亡くなられたことは「残念でなりません」と悼んだ。清水区選出の市議会議長の遠藤裕孝氏も突然の訃報に驚き「大変悔やまれます」とし「心からご冥福をお祈り致します」とコメントした。

 望月氏の死去に伴い、来年4月に衆院静岡4区で補選が行われる見込み。4区では立憲民主、国民民主両党がまだ立候補予定者を決めておらず、自民党を含めて今後早急に候補者調整が行われるとみられる。

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