東北の銘茶「宮城の富谷茶」をまちおこしの軸に 若い世代にPR

 かつては東北の銘茶として名高かった「富谷茶」。これを復活させ、まちおこしの軸とし、スイーツの開発などにもつなげていこうとする動きが富谷市で始まっている。この一環として、若い世代にも富谷茶を知ってもらおうと、市内の茶畑で23日、富谷中学校の生徒による茶摘み体験が行われた。 (塔野岡剛)

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 同市は江戸時代、奥州街道の宿場町として発展し、茶の文化が開花。街道を行き来する旅人が一息つき、茶をたしなむ光景があった。

 江戸時代に仙台を起点として奥州街道の宿駅の名を詠い込んだ「奥道中歌」には「国分の町よりここへ 七北田よ 富谷茶飲んで 味は吉岡」(仙台市の国分から泉市の七北田で富谷町のお茶を飲んで味は良い)と歌われるほど。仙台藩主に献上されたほか、京都などにも出荷されていた。大正時代には30軒の農家が茶を栽培していたという。

 しかしその後、現在も茶の名産地として知られる京都や静岡に押されて衰退。昭和45(1970)年に栽培を行っていた旅館「気仙屋」が栽培をやめたことで、富谷茶は事実上絶滅してしまった。

 平成32年に同市が開宿400年を迎えるのを機に「公益社団法人富谷市シルバー人材センター」が復活プロジェクトを立ち上げた。同市内などで販売、富谷茶を使ったスイーツの開発などを目指すという。

 富谷中3年の生徒86人が参加した茶摘みは気仙屋の茶畑で行われた。センターの職員やボランティアが熱心に指導し、茎の芯一本に対して黄緑がかった葉が2枚ついたものを採るように、身ぶり手ぶりで教えていた。同校の渡辺愛さん(14)は「最初は良い葉を見分けるのが難しかったが、慣れてきたら楽しい。いちから自分で採ったお茶を飲んでみたい」と笑顔で話した。

 センターの斎藤王敬さん(48)は「今後は茶畑を耕作して、拡大させてプロジェクトを進めていきたい。より多くの人に富谷の茶を知ってもらいたい」と語った。

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