安保改定の真実

(8完)岸信介の退陣 佐藤栄作との兄弟酒「ここで二人で死のう」 吉田茂と密かに決めた人事とは… 

【安保改定の真実(8)完】岸信介の退陣 佐藤栄作との兄弟酒「ここで二人で死のう」 吉田茂と密かに決めた人事とは… 
【安保改定の真実(8)完】岸信介の退陣 佐藤栄作との兄弟酒「ここで二人で死のう」 吉田茂と密かに決めた人事とは… 
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昭和35(1960)年6月に入ると、社会党や全学連に扇動された群衆は連日のように国会と首相官邸を幾重にも囲み、革命前夜の様相を帯びた。安保条約の自然承認は6月19日午前0時。それまでに国会や首相官邸に群衆が雪崩れ込み、赤旗を掲げるのだけは防がねばならない。

当時の警察官数は警視庁で約2万5千人(現在約4万3千人)、全国で約12万7千人(現在約25万8千人)しかおらず、装備も貧弱だった。警視総監の小倉謙は「国会内への進入を防ぐ『内張り』だけで手いっぱいです」と音を上げた。

通産相の池田勇人(第58~60代首相)と蔵相の佐藤栄作(第61~63代首相)はしきりに自衛隊出動を唱えた。自民党幹事長の川島正次郎も防衛庁長官の赤城宗徳を訪ね、「何とか自衛隊を使うことはできないか」と直談判した。

困った赤城は長官室に防衛庁幹部を集め、治安出動の可否を問うと、旧内務省出身の事務次官、今井久が厳しい口調でこう言った。

「将来は立派な日本の軍隊にしようと、やっとここまで自衛隊を育ててきたんです。もしここで出動させれば、すべておしまいですよ。絶対にダメです!」

赤城は「そうだよな。まあ、おれが断ればいいよ」とうなずいた。それでも自衛隊の最高指揮官である首相が防衛庁長官を罷免して出動を命じたら断れない。防衛庁は万一に備え、第1師団司令部がある東京・練馬駐屯地にひそかに治安出動部隊を集結させた。

× × ×

6月15日、恐れていた事態が起きた。全学連主流派が率いる学生デモ隊が国会敷地内に突入して警察部隊と衝突、東大文学部4年の樺(かんば)美智子=当時(22)=が死亡したのだ。

樺の死を知った岸は悄然とした。反対派は殺気立つに違いない。そんな中、第34代米大統領のドワイト・アイゼンハワー(アイク)訪日を決行すれば、空港で出迎える昭和天皇に危害が及ぶ恐れさえある。

岸はアイク招聘を断念、退陣の意を固めた。だが、公にはせず、腹心で農相の福田赳夫(第67代首相)をひそかに呼び出した。

「福田君、すまんが内閣総辞職声明の原案を書いてくれ…」

「こんなに頑張ってこられたのに総辞職ですか?」

福田は翻意を促したが、岸の決意は固かった。

6月16日未明、岸は東京・渋谷の私邸に赤城を呼んだ。

岸「赤城君、自衛隊を出動させることはできないのかね」

赤城「出せません。自衛隊を出動させれば、何が起きてもおかしくない。同胞同士で殺し合いになる可能性もあります。それが革命の導火線に利用されかねません」

岸「武器を持たせず出動させるわけにはいかないのか?」

赤城「武器なしの自衛隊では治安維持の点で警察より数段劣ります」

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