「国破れても漁港あり」
これは水産庁の大物OBの言葉である。中国の高名な詩家、杜甫の詩になぞって、「例え国がなくなっても漁港は残るべき」とする主張は「漁港利権」というものを理解するうえで、とても分かりやすい。 (夕刊フジ)
わが国の水産業のピークは生産量で1282万トン(1984年)、生産額で2兆9772億円(82年)だったが、90年ごろから衰退しはじめ、現在は生産量で479万トン、生産額で1兆5057億円だ。漁民1人当たりの所得も、84年の229万円から2014年には199万円と落ち込み傾向にある。
はっきり言って、このままでは漁業で飯を食っていけず、成長も期待できないのである。
そうした漁民の生活を陰で助けているのは漁港予算である。漁港で工事するとなると、漁港を作る建築業者にお金が落ちるだけでなく、併せて「漁業補償」「監視船委託」などの名目で漁民にも所得が落ちるのだ。わが国の水産予算は1900億円弱であるが、そのうち3分の1の700億円が漁港など施設整備に充てられている。
全国の漁港工事を取り仕切る全日本漁港建設協会の会長も、水産庁の別の大物OBである。
日本の水産業の病巣は一言で言うならば「乱獲」だ。資源量も成長状態も無視した乱獲を続けた結果、ニシン、ウナギ、ホッケといった魚種は、絶滅か絶滅寸前まで追い込まれている。