イラン革命40年 勢力圏拡大に躍起 米戦略と相容れず

 【バンダルアバス(イラン南部)=佐藤貴生】トランプ米政権が昨年、イランとの核合意を破棄して経済制裁を再開した理由の一つが、イスラム教シーア派勢力をてこに周辺国への浸透を図るイランの影響力を食い止めることだった。隣国イラクからシリア、レバノンへと連なる勢力圏は「シーア派の弧」と呼ばれ、イスラエルやサウジアラビアに軸足を置く米国の中東政策とは相いれない。しかし、11日に革命40年を迎えたイランにとっては安全保障の根幹をなす戦略で、維持を図る公算が大きい。

 革命体制のイランと米国の関係はほぼ一貫して低調で、近年で最も関係が好転したのがハタミ政権期(1997~2005年)だった。改革路線の下で欧米との関係改善を目指したが、当時のブッシュ(子)大統領は01年、イランをイラク、北朝鮮と並ぶ「悪の枢軸」と非難。核施設の存在も明らかになり、その後の制裁につながった。

 米国との対話に意欲を示した穏健派のロウハニ現大統領も、経済が低迷し、反米的な強硬派の圧力が強まる中で対米批判に転じた。穏健路線が行き詰まると強硬派が存在感を増し、国際的な孤立が深まるというパターンを繰り返している。

 なかでも大きな影響力を持つのが最高指導者直属の「革命防衛隊」だ。経済分野にも幅広く進出している上、軍備強化や周辺国への介入政策も担う。イランと連携するレバノンのシーア派民兵組織ヒズボラのほかイエメン、イラクなどの民兵組織に根を広げ、シリアではアサド政権を支える。

 米政権が再発動した経済制裁は革命防衛隊が支える現体制を狙ったものだが、エジプトのイラン研究者、アブヌール氏は「革命防衛隊にとり、イランの孤立を深める米の制裁は好都合でさえある。経済や政治、軍事の面で支配強化が進められるからだ」という。

会員限定記事会員サービス詳細