旧石器時代の沖縄

ページ番号1009720  更新日 2024年1月11日

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旧石器時代の出土資料

沖縄の旧石器時代で最古の遺跡は、那覇市の山下町第一洞穴遺跡で、その年代は3万2千年前です。当時は氷河期であったため、今よりも低い気温でした(財団法人沖縄県文化振興会公文書管理部史料編集室1999)。

沖縄では旧石器時代の人骨の多くは、石灰岩の洞穴から見つかっています。石垣市の白保竿根田原洞穴遺跡は、遺体を埋めずに安置して、自然風化させる墓であったとされています。遺跡からは人骨とともに、リュウキュウジカ、イノシシなどの骨や貝殻などが一緒に見つかることから、これらを食糧としていた可能性があります。

写真:港川人1号人骨のレプリカ
写真1 港川人1号人骨の頭骨(レプリカ)
写真:白保竿根田原洞穴遺跡
写真2 白保竿根田原洞穴遺跡の外観

沖縄の旧石器

動物を捕まえたり、料理したりするには、道具を使っていたと考えられますが、これらの道具については出土数が少ないためよくわかっていません。山下町第一洞穴遺跡では、拳大ほどの砂岩が見つかっており、たたき石と呼ばれる石器だとされています(小田 2003)。南城市にあるサキタリ洞遺跡の1万6千年~1万9千年前の地層からは、二枚貝を扇形に加工した利器や、ツノガイを加工したビーズと考えられているものが発見されています。(沖縄県立博物館・美術館2014)。鹿児島県の奄美大島や徳之島にある旧石器時代の遺跡からは、不定形剥片石器と呼ばれる、石でたたき割ったときにできる破片を利用した石器が見つかっていることから、沖縄県内でも同じような石器が見つかる可能性があります。

港川人骨

八重瀬町の港川フィッシャー遺跡からは、1万8千年前の非常に残りがよい人骨が見つかっています。この港川人の骨を調査した結果、大人の身長はおよそ150~156センチメートルで、現代人と比べると小柄であることがわかりました。また下半身はがっしりして上半身は細身であるという特徴があることから、歩き回って獲物を捕る生活を送っていたことが考えられます。ただしハリス線と呼ばれる、成長期の栄養不足や病気が原因の横線が骨に見られ、また歯がすり減っているので、当時の食料事情は良くなく、生活は決して楽ではなかったことがうかがえます。(沖縄県立博物館2002)

沖縄旧石器人の起源

港川人などの沖縄の旧石器人はどこからやってきたのでしょうか。港川人の頭骨には、インドネシアで発見されたワジャク人の骨とよく似た特徴があります(沖縄県立博物館2002)。また白保竿根田原洞穴遺跡で発見された2万年~2万4千年前の人骨は、南方に起源をもつことがDNA分析でわかっています(沖縄県立埋蔵文化財センター2013)。

旧石器時代の沖縄に人が住んでいたことは確実ですが、彼らが使っていた道具がさらに多く発見されれば、当時の様子がより詳しくわかります。また東アジア地域で旧石器時代の人骨がさらに見つかれば、港川人のルーツが解明されるはずです。

もっと詳しく知るために

  • 沖縄県立博物館 2002.8 『沖縄県立博物館復帰30周年記念特別編 港川人展 元祖ウチナーンチュ』
  • 沖縄県立博物館・美術館 2007.11 『沖縄県立博物館新館開館記念展 人類の旅 港川人の来た道』
  • 沖縄県立博物館・美術館 2014.2 『サキタリ洞遺跡発掘調査速報展 図録』
  • 沖縄県立埋蔵文化財センター 2013.3 『白保竿根田原洞穴遺跡 新石垣空港建設工事に伴う緊急発掘調査報告書』
  • 小田静夫 2003年「山下町第一洞穴遺跡」『南島考古』No.22 沖縄考古学会
  • 財団法人沖縄県文化振興会公文書管理部史料編集室 1999.3 『沖縄県史ビジュアル版 考古(1)港川人と旧石器時代の沖縄』 沖縄県教育委員会
  • 財団法人沖縄県文化振興会公文書管理部史料編集室 2003.12 『沖縄県史 各論篇第二巻 考古』 沖縄県教育委員会

※年代は全て放射性炭素年代で統一しました。

(2015年 羽方誠)

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