言論統制下も執筆続ける 乱歩ら、海軍関連の会報で
戦時下の言論統制で作品の発表の場を奪われた江戸川乱歩ら探偵小説作家たちが、海軍省の外郭団体の会報に随筆を寄稿し、戦時中も執筆を続けていたことが、立教大の石川巧教授(日本近代文学)の調査で分かった。会報は当局の事前検閲の対象外だったとみられ、作家が一定の自由を得て執筆していたことがうかがえる貴重な資料だ。
26日に東京都内で開かれる日本近代文学会春季大会で発表する。
乱歩らが寄稿したのは、「海軍精神の昂揚(こうよう)と海防思想の普及をはかる」ため1941年に結成された海軍省の外郭団体「くろがね会」の会報「くろがね」。乱歩の蔵書や遺品を管理する立教大や、神奈川近代文学館が所蔵していたが、詳細な研究は行われてこなかった。
筆を折ったとされている戦時中の乱歩や、別の小説分野に転じた探偵作家らの詳しい動向が分かり、石川教授は「戦時下の言論統制を多角的に捉えるためにも注目すべき資料だ」と話す。
会報は、時局に即したスパイ小説や海洋冒険小説の紹介記事を載せる一方で、検閲を課された当時の一般的な出版物には掲載されなさそうな原稿が散見される。
例えば、「敵性」国である英国の娯楽雑誌に触れる論評や「直立不動の姿勢で挙手の礼をやられると、倅(せがれ)ながらちとこわくなる」と軍国少年の息子への違和感をつづる作家の原稿も掲載された。
乱歩は海軍兵学校の訪問記「江田島記」を42年12月の会報に発表。卒業生と下級生の別れを「肩を抱かれた下級生の少年達の紅顔は見る●●(くの字点上、くの字点下)歪(ゆが)んで……」と描写している。耽美(たんび)でデカダン(退廃的)な作品が「反時局的」で「不健全」とみなされた乱歩だが、「くろがね」では自分の好みをストレートに表せたようだ。
くろがね会は作家の菊池寛らが理事を務め、乱歩や小栗虫太郎、大下宇陀児ら探偵小説作家も会員となっていた。読者は会員と一部の将校に限られていたようで、一般の読者に会の刊行物を流出させないよう注意喚起する文書も残されていた。
石川教授は「国民に言論統制を敷きながら、海軍中枢の一部に自由な表現が許される場が維持されていた」と指摘した。
〔共同〕