付属池田小事件経験の男性、こども食堂で地域に恩返し
母と運営「今度は私が見守る」
児童8人が犠牲となった大阪教育大付属池田小(大阪府池田市)の校内児童殺傷事件を小学1年で経験した男性が、同市内で母と「こども食堂」を切り盛りしている。地域の大人と顔の見える関係を築き、子供の安全や成長を見守りたいと子供たち一人ひとりと丁寧に向き合う。事件から間もなく16年。「多くの人に支えられてきた。今度は自分が子供を見守る番」との思いを込める。
大きな炊飯器や鍋、子供用の茶わんが所狭しと並ぶマンションの一室。玄関先には「池田こども食堂さくら」の看板が掲げられている。伊藤政貴さん(23)が皿を片付けながら、母の睦美さん(54)に語りかける。「今日は子供たちどうだった?」。今春、新社会人になった政貴さんはこの日、仕事を終えてから食堂を訪れ、日中の子供たちの様子を熱心に尋ねた。
食堂は、誰でも自由に立ち寄り食事できる場所をつくろうと、大学生だった政貴さんが睦美さんと一緒に昨年8月に開設した。毎月4回、木曜か土日祝日に開き、参加費は子供100円、大人300円。食堂として使う部屋の賃料や食材費は、睦美さんがおにぎりを売るなどして賄っている。
毎回20~30人の子供に加え、保護者や地域の大学生、手伝いの大人が顔を出す。当初は初対面の人ばかりだったが、今では近所の学校の先生や警察官も食堂の存在を知る。気軽に立ち寄り、子供について情報交換するのが日常風景になった。
政貴さんは、食堂に集まる子供一人ひとりの名前を呼び、表情を確認するよう心掛けている。急に泣き出したり、抱きついてくる子供もいる。一人ぼっちでご飯を食べている子がいれば、必ず一緒に座る。「顔を見れば嫌なことがあったかすぐに分かる」と声かけを大切にする。
子供たちが楽しみにするのは政貴さんが食後に食堂内で開く柔道の時間だ。事件後、護身になればと小学3年から柔道を始め、「子供たちが体と心を鍛え、相手への思いやりの心も育てるのに役立ちたい」と大学時代に指導者の資格も取った。受け身や頭の守り方など柔道の基礎を教える。
事件が起きた2001年当時、政貴さんは同小の1年生だった。隣のクラスの男児(当時6)は学年で唯一犠牲になった。運動場に避難した政貴さんは救急車やパトカーを目の当たりにし、帰宅後も唇を真っ青にして体を震わせていた。その後もサイレン音におびえ、施錠に神経質になり鍵を掛けたかを大人に何度も尋ねるようになった。
学校側の配慮などから亡くなった男児の学籍は残り、同じクラスになったこともある。教室の座席に遺影があり、遠足にも遺影と一緒に出かけた。卒業式の夜には思いがこみ上げたためか、心因性の過呼吸になり入院した。
事件で平穏だった学校生活は一変した。休校が続き、仮設校舎の授業が再開したのは約3カ月後。スポーツ選手など国内外の人が励ましに訪れ、地域の住民が登下校など熱心に見守り活動をしてくれたことは「子供ながらにとてもありがたく思っていた」と振り返る。
政貴さんは毎年6月8日に母校を訪れ、手を合わせる。同級生や恩師に会い、亡くなった8人に近況報告する。「大人になった自分なりの恩返し」。8日夜に開く食堂にも、仕事を終えて駆け付ける予定だ。
▼大阪教育大付属池田小事件 2001年6月8日午前10時すぎ、包丁を持った宅間守元死刑囚=04年9月執行=が校舎に侵入。1、2年の児童8人を刺殺し、児童13人と教員2人に重軽傷を負わせた。国と学校は安全管理の不備を認めて遺族らに賠償。事件は全国の学校が校門の施錠などの安全対策を強化するきっかけとなった。