西城秀樹さんの通夜の原稿を書き終えた午後8時。スマホのメール着信音が鳴りました。1時間前まで参列していた和田アキ子さんからのメールでした。

 「さっきはありがとう。まだ(青山葬儀所に)いる? よかったら●●に来ない?」

 一杯飲もうという誘いでした。

 酒豪で知られるアッコさんだが、実は毎週金曜と土曜の夜は絶対に深酒をしません。翌朝の土曜はラジオ「アッコのいいかげんに1000回」が、日曜はTBS「アッコにおまかせ!」の生放送を控えるからです。

 ただし、この夜は例外だった。約束の店に行くと、「今夜だけは秀樹に献杯せな」と、マネジャーと静かに祈りをささげる瞬間に、立ち合わせてもらいました。

 すでに通夜直後の取材やテレビやラジオでも明かされていますが、西城さんのことを、アッコさんはずっと、ただの後輩と思っていました。「だって、レコード会社(ビクター)が一緒だから、デビューの時から知っていたし、当たり前のように会う仲だったから」。

 通夜・告別式の司会を務めた徳光和夫(77)は、西城さんから聞いた若手時代のアッコさんとのエピソードを、こう明かしてくれました。「ある番組で、僕が収録現場に遅刻して、アッコさんとはち合わすと怒られたんです。でも、あの時に怒ってくれなかったら、僕はそのまま勘違いをして、間違った方向に行ってしまっていた」と。

 アッコさんは、その秘話について「あの遅刻は本人のせいじゃなくて、スタッフが時間を間違えたからだったのに、秀樹はそうやって戒めに捉えてくれていた。今思えば、あれも彼の人間性のすばらしさだったよね…」と、しんみりと振り返られた。

 週に何度も音楽番組で共演していた70年代。まさに、お2人は姉弟のような先輩と後輩でした。

 そして、身近だったからこそ、いくら女性ファンにキャーキャー言われても、「YOUNG MAN」で一大ブームを巻き起こしても、日本人ソロ歌手として初の日本武道館コンサートや、史上初のスタジアムコンサートや海外公演を実現させても、「かわいい後輩」に変わりはなかったようです。

 「でもね、訃報のニュースで、秀樹の偉業の数々があらためて紹介されているのを見てね、失礼だけど、こんなに偉大な人だったんだと。今になって気づかされたの。本当に45年以上も知っていたのに、いまさらね…」。

 遺影の前では「お前、すごいヤツだったんだな」と語りかけたそうです。その偉大さは、最近のリハビリに励む姿、病と障がいを抱えながらも歌い続けた姿からも、再認識したとも言いました。

 スポーツ選手などとは違い、生涯現役であることの多い知名度の高い芸能人は、生き様そのものが、人に与える影響がとても大きいといえます。そう考えると、西城秀樹という歌手は、とてつもなく偉大だったと、あらためてかみしめる夜となりました。

 いつもとは違い、思い出話の合間に、のどを潤す程度にちびちびと飲むアッコさんは、「おおやけにすることはない、秀樹と2人だけでしていた」という話も、特別にさわりだけ教えてくれました。

 それも聞くと、つくづくアッコさんには存在するのが当たり前の後輩(弟)だったのだと、思い知らされました。どれだけ悲しんでいるかも、理解することができました。

 ただ、歌手は、歌が、歌声が残り続けます。アッコさんは、これまでも男性歌手の歌をたくさんカバーしてきた実績があります。いつか、西城さんの名曲を歌ってくれることもあるのでしょうか。この夜には、ショックも深く、その答えはもらえませんでしたが、落ち着いた時、あらためて尋ねてみようと思います。