東日本大震災 いぎなり東北産 伊達花彩さんが語る"あの日"

「NHK東北温泉地応援プロジェクト」に参加する東北出身アイドルグループ
「いぎなり東北産」。

今回、いぎなり東北産のメンバーに“あの日”のこと、そして、“あの日”からのことについて、語ってもらいました。

2011年3月11日、伊達花彩さんはどこで何をされていましたか?

(伊達花彩)
幼稚園の年長、5歳で卒園間近だったんですよ。放課後に毎回お菓子を作る企画があって。みんなで最後にお菓子を作っているときに・・・あっ、プリン食べていました。プリンを食べるときに、地震が来ました。めっちゃ揺れたなあと思ったんですけど、蛍光灯がめちゃ落ちてきちゃって。みんなで長机の下に何十人も子どもが入って、先生がそれを見守ってみたいな。何回か教室行ったり、お庭に行ったり、繰り返していました。

幼稚園に母親が迎えに来たあと車で帰宅しようとしましたが、自宅に津波が到達して帰ることは出来なかったといいます。

(伊達花彩)
幼稚園にお母さんたちが迎えに来て、そのあと犬を迎えに行こうとしたら、もうお家のエリアに津波が来ちゃっていて。(途中で)お兄さんが立っていて、「津波が来ちゃっていて、もう戻れない」って言われて。(車から津波を)見ました。感情が全部飛んでちゃっていて、PTSDみたいなやつをお母さんと発症しちゃってから、どう思っていたんだろう。無です。覚えている感情が無ですね。

震災から数日後、伊達さんは母親と自宅のあった場所に向かいました。

(伊達花彩)
すごかったです。トラックが家の中に入っていて・・・。私、あんまり見せられてなくて、親に見せられてなかったんですよ。何回か流された自分の家にも行ったんですけど。「絶対(車から)降りちゃだめ」って言われていて、降りてない。でも、ぐちゃぐちゃだったのは覚えています。
(伊達花彩)
私が絵を描くのすごく好きだったんですけど、絵を描くときに全部真っ黒になっちゃってて。(母が)「これはまずい」という感じになって、めちゃ楽しいことをさせようみたいな、家族でそういうのがあって、いろんな楽しいことをさせてくれて。そのなかではまったのがアイドルのゲームで、歌って踊っているのが楽しそうだっていうのもあって。(その時期に)スカウトしていただいて・・・。

伊達さんはつらい経験をしたからこそ、自分にしか伝えられないことを発信していきたいといいます。

(伊達花彩)
自分が経験したからには、自分しか語れないことだったり思いだったりがあると思うので。私の妹って震災のこと知らないんですよ。だから、知らない子たちにも、そういうことを、今後ないなんて限らないじゃないですか。また同じことがあるかもしれないし。今後にいかせるようなことを発信、自分ができることを発信して、同じことがあっても身の回りの命を守れるようにしたいなって思っています。

伊達花彩さん、貴重なお話をありがとうございました。


NHK仙台放送局のサイト「あの日、何をしていましたか?」では、
みなさんの2011年3月11日について投稿を募集しています。
https://www.nhk.or.jp/sendai/311densho/souieba/