“教え子”勝利
『小沢王国』は崩壊をまぬがれたか

9月3日に投票が行われた岩手県知事選挙。

立憲民主党や共産党などが支援した現職の達増拓也が、自民・公明両党が支えた元県議会議員の千葉絢子を破り、5回目の当選を果たした。

事実上の与野党対決となったこの選挙、岩手で隆盛を極めた「小沢王国」の行方を占うものとしても注目された。

おととしの衆議院選挙で、現職議員で最多当選を誇る立憲民主党の小沢一郎が選挙区で敗れたうえ、去年の参議院選挙や市長選挙で小沢の側近議員や関係の深い現職が敗れており、今回の選挙で、小沢の門下生である達増が敗北すれば4連敗となるからだ。

達増の勝利で「小沢王国」は崩壊をまぬがれたのか。
(岩手県知事選挙取材班)

「圧勝」の戦歴も…焦りが

達増拓也。
東京大学法学部を卒業後、外交官、衆議院議員を経て岩手県知事となり、在任期間は県政史上最長だ。

きらびやかな経歴とは裏腹に、朴とつな語り口の達増。
過去4回の選挙のうち、選挙戦となった3回で、いずれも次点候補の倍以上の得票数をたたき出し、圧勝してきた。

達増候補
達増拓也氏


みずからを国政へといざなった小沢一郎を師と仰ぎ、「小沢氏が総理大臣になれば日本の政治がよくなる」と明言する。達増は、その選挙スタイルを踏襲し「野党共闘」の形をつくって幅広く支持を集める戦術で、選挙を戦ってきた。

支持基盤は盤石なはずの達増だが、ことし3月の定例県議会で「私が引き続き先頭に立って県政の諸課題の解決を進めていく」と答弁し、早くも事実上の立候補表明を行った。
任期満了より半年以上前の表明に、達増を支える県議会議員は焦りを感じ取ったという。

「小沢王国」のドミノ倒し

背景には、選挙で無類の強さを誇った小沢や、小沢系議員たちのドミノ倒しのような敗北がある。

政権与党の自民党や民主党で幹事長を務め、当選18回にものぼる小沢一郎がいる岩手県は、2009年の衆議院選挙で、小沢系候補が県内すべての選挙区での勝利を独占するなど「小沢王国」と呼ばれてきた。

だが、政権交代を果たした民主党が分裂し、自民党が再び政権に返り咲くと、小沢の求心力と影響力は低下。それは永田町にとどまらず、みずからの「王国」にも波及した。

おととしの衆議院選挙では、無敗記録にピリオドが打たれ、比例代表で復活する事態に。「政権交代よりも世代交代」を訴えた自民党候補に打ち負かされた。

さらに去年の参議院選挙では、小沢の秘書だった立憲民主党の現職が自民党新人に敗北。政権交代を目指した小沢が自民党を離党して以来、初めて自民党に参議院の議席を奪われた。

そして去年11月に行われた滝沢市長選挙でも、国会で行動をともにしてきた元参議院議員の現職が敗北。

小沢とその教え子たちは「王国」で3連敗となった。

自民「地元アナウンサーで幅広い支持を」

自民党は、余勢を駆って知事の座も奪おうと意気込みつつも、慎重に情勢を分析することも忘れなかった。

「まだまだ小沢王国の地盤は固い上、現職は地力もある。決して甘くはない」

そこで進めたのが、達増と同様の戦略をとることだ。達増が特定の政党の「色」を抑え、結果としていわゆる無党派層の支持を得てきたのを見て、あえて無所属の候補を探すことにしたのだ。


自民党が推したのは県議会議員の千葉絢子。地元のテレビ局で14年間アナウンサーを務めた。政党に属さず県議会では達増に対立する会派に所属していた。

立候補表明する千葉絢子氏
千葉絢子氏

去年12月に立候補を表明した会見では、千葉の横に自民党県連の幹事長が座り、「全力で千葉絢子と戦っていく覚悟だ」と表明。一方の千葉は「県民のために何が1番かであり、自民党のために頑張るのではない」と発言。かみ合っていないようにも見えたが、県連幹部は「勝利のためには、これでいい」と気にするそぶりはなかった。

自民党は、千葉に対して推薦や支持といった機関決定をせず「全面的な支援」という形をとった。組織票と無党派層からの支持の両方を狙う戦略を描いたのだ。

連勝支えた「どぶ板戦術」

知事としての公務を抱え、活動が制約される達増を横目に、千葉は、北海道に次ぐ広さを誇る岩手をくまなく回り始めた。県内33の全市町村を、自民党県議とともに訪れ、8月の告示までに4周した。


こうした活動を指揮したのは、小沢の元門下生、平野達男だ。

平野達男氏
平野達男氏

参議院議員として小沢と行動をともにしたが、2人の関係に亀裂が生じたのは民主党の菅直人政権の時だ。
菅は平野に復興大臣への就任を打診したが、政権運営をめぐって菅と対立していた小沢は、平野に打診を断るよう要求。これに対し平野は「権力闘争よりも被災地の復興に力を注ぐべきだ」として復興大臣の就任を受け入れたが、これをきっかけに小沢と連絡を取ることができなくなったという。
その後、平野は、無所属で参議院選挙に立候補しようと民主党に離党届を出して除籍され、自民党で活動している。

平野は、小沢が選挙区で敗れた前回の衆議院選挙、そして30年ぶりに「非小沢」の自民党新人が勝った参議院選挙で、いずれも自民党候補の選対本部長を務めた。かつての「師」に弓を引き、打ち倒すことに心血を注いできた。

「小沢にとっては、政治的な影響力を保つために、みずからを師と仰ぐ達増に知事でいてもらわなければならない。達増の選挙だが小沢の政治生命がかかった戦いなんだ」
平野は今回の選挙が始まってから取材に対してこう語り、闘志をあらわにした。

人口の少ない地域も含めて、ひたすら、くりかえし各地をまわり、一人一人に支持を訴える「どぶ板戦術」。かつて小沢からたたき込まれた「とにかく歩け」という叱咤を、今度は自分が千葉に言い続けて徹底させ、勝利を目指した。

千葉候補の選挙活動
支持を訴える千葉氏

「小沢王国」なのに「脱・小沢色」

「小沢は関係ない。これはあくまで『達増の選挙』だ」

対する達増陣営も小沢の「色」を抑えることで、幅広い支持を得ようとしていた。
先の衆議院選挙で選挙区で敗れた小沢を見て、有権者の間に静かに広がる「小沢離れ」を感じ取ったからだ。

達増陣営は、選挙期間中に一度も、達増と小沢を並べて支持を訴えさせることはなかった。陣営幹部は「これまでの知事選挙で、小沢が隣に立たなかったのは、初めてのことではないか」とその異例さを語る。

代わりに達増とともに立ったのは、立憲民主党幹事長の岡田克也、共産党書記局長の小池晃、さらに沖縄県知事の玉城デニーに、元・明石市長の泉房穂。

自民・公明両党と対じする「野党」の色は出しながらも、政党幹部に地方の政治家と、バラエティー豊かな応援弁士を呼ぶことで、幅広い層の支持を目指した。

玉城デニー沖縄県知事
達増氏を応援する玉城沖縄県知事


なかでも、思わぬ援軍だったのは泉だ。手厚い子育て支援策と歯に衣着せぬ発言で全国的に耳目を集めた泉は、旧民主党の衆議院議員。永田町では、かつて達増と事務所が隣り合わせだったという。

2度にわたり応援に駆けつけた泉。特に決起集会では、集まった1200人あまりを前に、泉が震災復興やコロナ対策での達増の手腕をたたえ聴衆に熱弁を振るうと、呼応するかのようにふだんは物静かな達増も拳を振り回して聴衆に支持を訴えた。その興奮具合は「達増らしくない」と周囲からたしなめられるほどだった。

達増氏を応援する泉房穂 元明石市長
達増氏を応援する泉 元兵庫・明石市長

達増の選対本部長は「泉さんの子ども政策に関心がある人を『達増ファン』に引き込めたらと思っていたが、泉さんが、あそこまで熱量を持って達増を応援してくれるのはいい意味で想定外だった」と効果に手応えを感じていた。

呼ばれずとも排除されず

達増陣営が「色」を薄めようとしていた小沢だが、自身は地元で達増への支援を呼びかけていた。

知事選の告示後、2日間にわたって地元入り。炎天下、スーツにネクタイで身を固める一方、歩き回りやすいようにスニーカーを履いた81歳の小沢は、今やみずからを追い落とそうとする平野に教え込んだ「どぶ板戦術」を取った。

田園風景が広がり、民家もまばらな路上で人も集めずマイクを握る。「厳しい選挙だがなんとしても達増を」と呼びかけ、すぐに次の場所に移る。次の衆議院選挙も見越してか、みずからの選挙区内でひたすらまわり「教え子」の名を連呼した。

選挙戦終盤には再度岩手に入り、選挙区ではない盛岡市でも街頭演説をしたが、ともに立ったのは、かつて同じ政党にいたれいわ新選組の山本太郎。

山本太郎と小沢一郎
小沢氏と山本太郎氏


小沢が盛岡市にいたとき、達増はおよそ80キロ離れた釜石市にいた。

一方で、達増陣営に取材すると、告示前から小沢に対して明確に「地元での支持者への動きは好きにしてもらっていいが、そのほかはこちらでやらせてもらう」と伝えていたという。

陣営の幹部は「衆議院選挙で、選挙区で敗れたイメージが、達増について回ることを気にしたのか『自分が出しゃばるとかえって迷惑になる』と理解を示した様子だった。ここまで教え子の選挙に消極的な小沢の姿勢は見たことがない」と振り返った。

「牙城」は残った

そして投開票日。

33万6502票対23万2115票で、達増が圧勝した。

達増氏の当確を伝えるスーパー
開票終了直後の達増氏当確を伝えるNHKニュース速報

NHKが投票日に行った出口調査を見ると、達増は、千葉を支援した自民党支持層の30%台後半から支持を得ていた。さらに特定の政党を支持しない、いわゆる無党派層では、およそ60%が達増に票を投じたと回答した。

5回目の当選を果たした達増は「『オール岩手』の県民党のような広がりの中で選挙戦を進めることができ、選挙戦を進めれば進めるほど仲間が増えていくような選挙だった」と振り返った。

取材に答える達増氏
当選した達増氏


千葉からすれば、政党色を薄めることで得ようとした無党派層は崩せず、自民党支持層の一部も達増に流れてしまった。二兎を追う作戦は功を奏さなかった。


一方の達増は、高い知名度を生かして無党派層からの支持を固め、さらにこれまでより危機感を持つことで、野党各党やみずからの後援会の組織票をしぼりだした。千葉と戦略こそ同じだが、経験と実績がものを言った形だ。


「小沢」の2文字が浮かんでは消えた選挙戦

知事選では、長く小沢を慕ってきた達増が強さを見せつけたが、今回の勝利は「小沢色」を薄めることで勝ち得たと感じている。小沢自身にしても、教え子が勝ったとは言えこれまでの勝利と実感は異なるかもしれない。

自民党の連勝こそ止まったものの、これで「王国の崩壊」が食い止められたと即断は出来ない。王国が終焉を迎えるのか、再生するのか。趨勢は次の衆議院選挙でこそ明らかになる。

(文中敬称略)

盛岡局渡邊記者
盛岡局記者
渡邊 貴大
2013年入局。初任地福島局。鳥取局、広島局を経て2022年8月から盛岡局で県政取材を担当。知事選と同日に行われた県議選で議会勢力がどのように変わるかにも注目している。
盛岡局梅澤記者
盛岡局記者
梅澤 美紀
2020年入局。盛岡が初任地。海がない保守王国・群馬県に生まれ、知事選挙後に釜石支局に異動して念願の沿岸暮らしをするのを楽しみにしている。
盛岡局仲沢記者
盛岡局記者
仲沢 啓
2011年入局。東日本大震災直後に福島局に配属され、その後は福岡局、経済部を経て8月から盛岡局に。復興関連の取材をライフワークにしている。