イベントレポートを更新しました
「警視庁創立150年記念コンサート」「ポリスミュージアム(警察博物館)特別展」の際の写真を掲載しました。
警視庁は、令和6年1月15日、
創立150年を迎えました
街とともに 都民の皆様とともに歩んだ 警視庁
未来へと続く「世界一安全安心な街・東京」の実現を目指します
「警視庁創立150年記念コンサート」「ポリスミュージアム(警察博物館)特別展」の際の写真を掲載しました。
先人が築いてきた良き伝統を継承し、歴史の紡ぎ手として次代を切り拓き、いかなる状況下においても首都東京の安全・安心を守り、都民・国民の信頼に応えるという決意を新たにし、日頃の警察業務への協力に対して感謝の意を伝えてまいります。
・都民への感謝
・伝統の継承
・未来への飛躍と発展
警視庁職員から記念ロゴのデザインを募集し、計736点の応募の中から、大島警察署の女性警察官が考案したデザインが記念ロゴに選ばれました。
ひと目で警視庁らしさ、安心感、信頼感を伝えたいと思いました。 伝統の継承を、図案化したエンブレムの桜葉で表現するとともに、「150」の「0」と旭日章を組み合わせることで未来を明るく照らしている様を表現して、警視庁がさらなる発展を遂げられるようにとの願いを込めました。
慶応3年10月14日徳川幕府が崩壊し、天皇親政の明治の世となってから、わが国は政治、経済、文化等あらゆる制度文物を諸外国から吸収し、めざましい発展を遂げ、近代国家建設へと力強い歩みを続けました。
しかし、時代の流れと社会の進展にともない、治安関係も次第に複雑化し、これに対応する警察制度を確立する必要に迫られました。
このため、政府は、明治5年9月8日大警視川路利良等を警察制度研究のため、欧州へ出張を命じました。一年で帰朝した川路大警視等は、わが国の警察制度が欧州各国に比べ、余りにも遅れていることを知り、その不備を指摘して改革の必要を強調しました。特に首府であり、政治、経済、文化の中心地である東京に、独立した首府警察の実現を図るべきであると政府に建議しました。
この建議こそが、東京警視庁の設置を促す動機となり、明治七年一月十五日太政官達第六号をもって、東京府下の警察事務一切を管理する、東京警視庁の創置となりました。
川路利良は初代大警視(現在の警視総監)に任命され、国事犯については全て警視庁の長に執行の権限が与えられたので、明治39年(1906年)警視庁官制の改正まで、その権限は全国に及んでいました。このため、西南の役はもとより佐賀、萩、秋月、神風連などの騒乱に際し、警視庁の警察官が各地に派遣され、騒乱の鎮圧または警戒警備にあたりました。
このような士族の反乱が各地で頻発したことから、政府は全国の警察を一元化して対処する必要に迫られ、警察力を内務省の直轄下(国家警察)に置くことに決まり、明治10年(1877年)1月、東京警視庁は発足からわずか3年を経ずして廃止されました。
内務省警視局に吸収されて「東京警視本署」となりますが、実質的には明治7年(1874年)1月15日の東京警視庁の設置こそが、警視庁の歴史と伝統の第一歩となります。
初代大警視 川路利良
警視庁本部庁舎は、明治7年(1874年)の東京警視庁創立以来、鍛冶橋庁舎、日比谷赤煉瓦(れんが)庁舎、馬場先門内仮設庁舎、旧桜田門庁舎と、時代の変遷とともに移転してきました。庁舎の移り変わりについてご紹介します。
詰襟から背広型へ、軍服的なイメージから市民への威圧感の少ないものへ、そして、機能性・活動性を追求しつつ美的にも優れたものへ。警察官の制服は時代とともに進化してきました。
明治4年(1871年)の邏卒制度発足に伴い、初めての制服が着用され、明治7年(1874年)に服制が定められて、警視庁の警察官すべてが制服を着るようになりました。
第二次大戦後、それまでの詰襟から背広型へとデザインを一新。現在の制服は、機能性・活動性とともに、警察官にふさわしい凜々しさや美しさも兼ね備えた物になっています。
令和6年2月20日、警視庁創立150年記念特別展を開催しました。
150年間を、①「明治・大正」、②「昭和」、③「平成・令和」と三つの時代に分類して、それぞれの時代の警視庁の主な出来事や行事を当時の写真と制服の変遷等を展示しております。
東京オペラシティコンサートホールにて、警視庁創立150年記念コンサートを開催いたしました。
警視庁にゆかりのある作品や、警視庁創立当時に作曲された作品などを演奏しました。
警視庁創立150年記念
パンフレット