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クエリ検索: "昭和回顧録"
4件中 1-4の結果を表示しています
  • 篠山 浩文
    デジタルアーカイブ学会誌
    2020年 4 巻 2 号 177-180
    発行日: 2020年
    公開日: 2020/04/25
    ジャーナル オープンアクセス

    本研究は、NHK番組アーカイブス学術トライアルにおけるNHK番組の視聴を通じて、塩田法による塩田作業を抽出・解析し、さらに塩田作業の「技・過酷さ」の共有・発信・伝承の可能性を検討したものである。「揚浜式」「入浜式」「流下式」それぞれの塩田作業をNHK番組から抽出し、特に入浜式塩田における入鍬作業を例に「技・過酷さ」の共有を検討した。 技については、文献や写真から伝わる情報とは質的に異なる情報が映像から共有される可能性が示唆された。過酷さについては映像から共有されにくく、経験者の音声や文献情報が加わることにより映像が生かされるものと考えられた。

  • *長谷 憲一郎
    日本映画学会大会報告集
    2018年 14 巻
    発行日: 2018/12/08
    公開日: 2024/03/25
    会議録・要旨集 オープンアクセス
  • 貞方 昇
    地理学評論
    1982年 55 巻 10 号 690-706
    発行日: 1982/10/01
    公開日: 2008/12/24
    ジャーナル フリー
    中国山地においてかつて盛んに行なわれていた鉄穴流しは,各地に大規模な地形改変を引き起こした.本稿では,鉄穴流しが,斐伊川流域の自然環境変遷の中で,どのような役割を果たしたかを明らかにするため,地形的な特徴から鉄穴流し跡地の分布を確定し,その面積および廃砂量について検討した.鉄穴流し跡地はその形態から,稼行当時の状態を残すものと,水田や畑地などに改変されたものとに大別される.前者は,切羽跡の高い崖や,掘削から取り残された鉄穴残丘と呼ばれる高まり,および巨円礫などの存在から容易に識別され,後者も棚田や段々畑の中に残存する特異な急崖や鉄穴残丘の組合せによって,自然崩壊地形やほかの人工改変地形との識別が可能である.鉄穴流し跡地は斐伊川上流域に多く分布する.とくに山麓斜面と山頂緩斜面からなる地域に集中し,それらは花崗閃緑岩ないし閃緑岩の分布地域ともよく一致する.鉄穴流し跡地の総面積は3.5×107rn2に及び,このうち27%が斐伊川本流の上流地域にある.流域の総廃砂量は地形単位別の採掘土厚を手がかりとして, 1.5×108~2.2×108m3と見積られた.これは古文書等の記録から算定された値とも近く,斐伊川流域では近世初頭以来,人為による大規模な地形改変が行なわれたことが明らかとなった.
  • 宇治橋 祐之
    放送研究と調査
    2019年 69 巻 12 号 20-43
    発行日: 2019年
    公開日: 2020/01/20
    研究報告書・技術報告書 フリー
    開局60年を迎えた教育テレビの番組の変遷をグループ分けして網羅的に見ていく「シリーズ 教育テレビ60年」。3回目は「青少年向け番組」「文化・教養番組」「芸術・芸能番組」「産業・経済番組」「科学・健康番組」「高齢者向け・福祉番組」「報道番組・その他の番組」の7グループをみていく。「青少年向け番組」は、「幼児向け番組」とともに、1980年代までは総合テレビでの放送が中心であったが、90年代にゾーン編成が取り入れられた後に 番組数を増やしていった。「文化・教養番組」は、『日曜美術館』や『こころの時間』などの長年続く番組に加えて、「教育教養講座」のシリーズ番組が終了した2010年代以後、多種多様な番組を放送している。「芸術・芸能番組」「産業・経済番組」「科学・健康番組」は開局当初から、総合テレビとは異なるタイプの番組が放送されてきた。そして90年代以後、高齢化社会を迎えるとともに、福祉や多様性が日本社会全体の大きな課題となる中、番組数・放送時間を増やしてきたのが「高齢者向け・福祉番組」である。また教育テレビならではの「報道番組・その他の番組」も時代に対応して放送してきた。それぞれのグループの番組の変遷をみるとともに、シリーズのまとめとして、教育テレビに特徴的な番組と編成、ウェブなどへの展開について整理をして、今後の生涯学習社会に果たす役割を考える。
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