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クエリ検索: "日本国憲法"
4,087件中 1-20の結果を表示しています
  • 蟹江 壽
    日本信頼性学会誌 信頼性
    1996年 18 巻 3 号 253-258
    発行日: 1996/03/10
    公開日: 2018/03/02
    ジャーナル フリー
    日本国憲法
    前文から 「全世界の国民が, 等しく恐怖と欠乏から免れ, 平和のうちに生存する権利を有することを確認する.」
  • 山根 栄次
    経済教育
    2016年 35 巻 35 号 15-18
    発行日: 2016/09/30
    公開日: 2018/08/10
    ジャーナル フリー

    社会科・公民科における経済教育は,経済学教育ではなく,

    日本国憲法
    を基本になされるという点で
    日本国憲法
    が有する価値・倫理を前提としている。また,社会科・公民科における経済教育は,生徒の経済的社会化を促すことを目的にしているので,その点でも,ある種の価値・倫理を前提としている。では,どのような価値や倫理をどのように扱うべきか,本稿ではこのことについて論じる。また,経済における倫理的正当性の根本が,「市場の倫理」にあることを述べる。最後に,社会科・公民科の教科書の記述には隠された経済の価値・倫理があり,そこには「市場の倫理」に反する記述があることを述べる。

  • ベアテ・シロタ・ゴードンによる起草条項を中心として
    中西 央, 小野瀬 裕子, 草野 篤子
    日本家政学会誌
    1998年 49 巻 11 号 1185-1198
    発行日: 1998/11/15
    公開日: 2010/03/10
    ジャーナル フリー
    第3章人権条項のうち「男女平等」と「教育の機会の平等」を中心にベアテが第一次案として起草した条項の生成過程を考察してきた結果を以下にまとめる.
    (1) GHQ内における草案の作成
    第一次案の作成を担当することになったベアテは, 10年に及ぶ在日経験から憲法で女性の権利を明確にしておく必要性を認知していた.具体的には, 以下の内容を起草している.「法の下の平等」「家庭における男女平等」「家制度の廃止」「母性保護」「既婚・未婚の差別禁止」「嫡出子・非嫡出子の差別禁止」「長子相続権の廃止」「教育の機会の平等」「児童への無償医療制度」「学齢期の児童及び青少年の常勤的雇用禁止」「男女雇用機会均等」「男女同一価値労働同一賃金」「社会保障制度 (生活保護) 」「著作・特許権」等である.その後, 簡潔・原則主義のGHQ内での検討・修正によって, 多くの条項が削除・統括される.ただし, 「法の下の平等」「家庭における男女平等」だけはほぼそのままの形で残り, その他「教育の機会の平等」「社会保障」「勤労の条件に関する基準の設置」が残る.しかし, 削除された中には, 後に法制化の課題として残ったものもあり, ベアテの先進性がわかる.
    (2) マッカーサー草案から
    日本国憲法
    に至るまで
    次にGHQと日本政府の折衝の結果, 修正が行われた.「家庭における男女平等」について日本側は抵抗を示したが, 通訳としてよく働き好感をもっていたベアテの起草と聞き, 残すことになる.ここにベアテが同席していたことは重要であった.
    帝国議会では, 「個人の尊厳」に基づく人権意識は希薄で, 議員の多くは戸主権の廃止に危惧感を示した.ベアテが起草していたものと同じ「母性保護」規定を求める提案があったが却下されている.
    (3)
    日本国憲法
    制定に伴う動きと現在
    日本国憲法
    が制定され, その24条が, 個人の尊厳と両性の本質的平等に基づく婚姻を家族の出発点としたことで, 「家」制度を規定していた明治民法, 刑法の規定が改正された.今なお残る課題の中で, 「非嫡出子の差別の禁止」「男女同一価値労働同一賃金の原則」については, ベアテがGHQ第一次案で起草しカットされた条文と重なり, ベアテの先進性がわかる.
    (4) 第3章人権条項の推移
    GHQ第一次案として起草された第3章人権条項が, どのように修正され, 統括され, または削除されて
    日本国憲法
    となったかを系統的に整理し, 図によって提示した (図1).ベアテ起草条項の文言が
    日本国憲法
    になるまでを整理し, 表によって提示した (表 1).
    以上のように
    日本国憲法
    の第一次案の起草にベアテが携わったことで, 第24条, 第26条等が盛り込まれ, 「家族」「両性の本質的平等」「児童」という言葉が使用される等, 民主主義日本の出発にあたって, ベアテの果たした役割の大きい事がわかった.
  • 小林 美恵子
    ことば
    2017年 38 巻 29-45
    発行日: 2017/12/31
    公開日: 2018/01/12
    ジャーナル フリー

    日本国憲法
    口語訳の「話しことば」文体について分析・記述する。口語訳には、「国民」を「俺」とし、「お前」の呼びかけを用いること、文末に「命令」「禁止」「依頼」「許可」「勧誘」など訴え型の述語形式が使われ、「よ」「ね」「な」「ぜ」などの終助詞が多用されていることなど、憲法原文にはない特徴が見られる。これらは、20代男性の訳者(話者)の立場から、同年代以下の親しい友人などを相手として想定した「話しことば」文体で書かれていることによる。それは憲法に対する親しみを喚起しているが、同時に口語訳されることによる解釈の制約や限界もある。

  • 日本国憲法第3章人権条項の制定過程 (第2報)
    草野 篤子, 中西 央, 小野瀬 裕子
    日本家政学会誌
    2000年 51 巻 1 号 5-14
    発行日: 2000/01/15
    公開日: 2010/03/10
    ジャーナル フリー
    日本国憲法
    第3章人権条項のうち, 「男女平等」と「教育の機会の平等」を中心としたベアテ草案作成の背景を考察し, ベアテ草案の先進性と限界を見いだした.その結果を以下にまとめる.
    (1) ベアテ草案作成の状況
    ベアテは, 語学力を駆使し, 諸外国憲法を参考に引用しながら, 女性の権利, 教育の平等, 労働者の権利等, 「女性と子どもが幸せになるため」の条文を作成した.
    (2) ベアテの経歴と起草条項の淵源
    ベアテが起草した, 民主的な近代家族の生成に寄与した女性の権利保障と教育の自由が明文化された条文の淵源として, (1) 母親からの影響, (2) 10年問の在日経験, (3) 米国ミルズ大学での教育, (4) 被抑圧民族であるユダヤ人として受けた差別, (5) 被抑圧ジェンダーである女性として受けた差別の5点を見いだせた.ベアテはこの時弱冠22歳であったが, さまざまな社会や文化に対してグローバルな視野を持ち, 博識であった.
    (3) 憲法研究会草案との対比
    日本の民間草案は約12あったが, 国民に目を向けていち早く発表された憲法研究会草案は注目に値する.新たに規定されるべき国民の権利義務として, 「言論学術芸術の自由」「労働の義務」「労働に対する報酬の権利」「休息権」「老年疾病の際の生活保障」「男女平等の権利」「民族人種差別の禁止」をあげている.模範とした諸外国憲法は, 憲法研究会草案を知らないベアテが模範にした憲法と同じであった.ベアテと憲法研究会が参考にした憲法の条文を表1に示した.ベアテ草案と憲法研究会との条文の共通性を表2に示した.憲法研究会草案はGHQ上級職員から高く評価され, その意識の中には取り入れられていたと考えられた.
    (4) ベアテ草案の先進性および限界
    ベアテ草案 (GHQ第一次案) の先進的な部分と限界の双方の指摘を試みた.
    先進的部分として3点あげることができた.第一に, 家庭における男女の平等を規定した第18条, 長子相続の廃止を規定した第20条では, 「家」制度を廃止するだけでなく, 民主的な近代家族の実現を図るために, 家族という私的領域におよんで法的規定を行ったこと.第二に, マッカーサー草案としては最終的に削除されたが, 第19条の母性保護と非嫡出子差別の禁止, 第26条の男女同一価値労働同一賃金は, 後に法制化の課題として残ったこと.第三に, 第21条, 第24条, 第25条で「児童」の権利をとりあげ, この時代に子どもを「保護の客体」ではなく「権利の主体者」としてとらえた起草を行っていることである.
    次にベアテの限界として2点指摘できた.第一に, 第25条に高齢年金の保障を掲げているものの, ベアテ自身も指摘しているように, 老人社会福祉に関する条項がないこと.第二に, 住居の選択はあるものの, 居住権等の居住の権利に関する条項がないことをあげることができた.
  • 日本国憲法第3章人権条項の制定過程 (第3報)
    小野瀬 裕子, 草野 篤子
    日本家政学会誌
    2001年 52 巻 2 号 123-133
    発行日: 2001/02/15
    公開日: 2010/03/10
    ジャーナル フリー
    本研究ではアメリカ合衆国が主導権を握っていたGHQの憲法草案作成の背景を整理した.日本と同じ第二次世界大戦で敗戦国となったドイツとイタリアの新憲法では, ベアテ草案の「男女平等」と「教育の機会の平等」はどの様に条文化されているか比較して考察を加えることで, ベアテ草案の特徴を明確にした.その結果を以下にまとめる.
    (1) GHQ草案の作成に至る経緯
    GHQ最高司令官のマッカーサー元帥 (アメリカ合衆国) は, 憲法改正について当初は日本側が自主的に検討すべき問題であると捉えていたが, 日本政府の草案が保守的で, 大日本帝国憲法の表面的変更にとどまるものであることを知り, また, 極東委員会が対日管理を1946年2月26日からFECに移行することを決定したことから, GHQはこれに先立って憲法を改正するためにモデル憲法を準備し提供することが効果的だと考えた.
    (2) 第二次世界大戦敗戦国の新憲法との対比
    戦後のドイツとイタリアの新憲法には, ベアテが起草しGHQによって削除された「母性保護」「非嫡出子差別禁止」「労働における男女平等」と同様の条文を見いだすことができた.
    ベアテ草案にあり, 3力国の憲法にはない内容として「家庭における男女平等」のなかに「個人の尊厳」という言葉がはいっていたことをあげることができた.ベアテが戦前の日本の家制度を否定し, その意味を明確にするために入れた注目すべき言葉であったといえる.
    (3) アメリカ合衆国憲法における家族の扱いと男女平等の実現のための憲法修正に対する動向
    日本はGHQ占領下において, 最高司令官マッカーサーによりアメリカ合衆国を介して間接統治されていた.アメリカ合衆国憲法では, 「家族」に関しては, プライヴァシーの範疇であると考え, 憲法に条文として規定することはなかったこと, 詳細な社会権の規定は憲法の下位規範である法律に委ねられていたこと, アメリカ本土で当時, 女性組織が女性保護法と対立するものと考えて男女平等のための憲法修正に反対していた事実がある.一方, ベアテ草案第6条「性別における差別の禁止」, ベアテ草案第18条「家庭における男女平等」は
    日本国憲法
    に残った条文であるが, アメリカ合衆国憲法にはなく, 本土よりも1歩進んだ条文であったということができる.
    (4) ベアテ草案削除に関して
    ベアテ草案の「家族における男女平等」は残ったものの, その他の「家族」に関する条文や「労働における男女平等」などの条文の多くがGHQによって削除された理由として, 日本の歴史的背景が大きく関係していると考えられる.また, GHQの主導権を握っていたアメリカ合衆国憲法での状況として, 「男女平等」や「家族」に関するベアテ起草と同じ内容の社会権が, 憲法に条文として導入されることはなかった事実があることがわかった.
  • 宮入 興一
    日本の科学者
    2018年 53 巻 3 号 28-33
    発行日: 2018年
    公開日: 2023/12/29
    ジャーナル フリー
  • ―統治論を中心に―
    吉田 直哉
    敬心・研究ジャーナル
    2019年 3 巻 2 号 9-17
    発行日: 2019年
    公開日: 2020/01/24
    ジャーナル フリー

    本ノートは、保育職を目指す学生が、その専門的知識を支える市民的教養として身につけておくべき

    日本国憲法
    に関する知識のうち、統治論に関する基礎知識を概説するものである。その際、国民主権、近代選挙の基本原則、参政権、選挙制度、平和主義、三権分立、地方自治、違憲審査制、憲法改正等を主要なトピックとして取り上げ、重点的に解説を加えた。

  • 慶野 義雄
    憲法論叢
    1995年 2 巻 65-74
    発行日: 1995/10/16
    公開日: 2018/01/10
    ジャーナル オープンアクセス
    Even though she has a written constitution, every nation has her own unwritten laws, i. e. Kokutai in my word, which make the foundations of a nation. Whenever we proclaim a written constitution, we should pay a deep regard to Kokutai.
  • 柳瀬 昇
    公共選択
    2013年 2013 巻 59 号 26-47
    発行日: 2013年
    公開日: 2020/05/03
    ジャーナル オープンアクセス
    The purpose of this paper is to summarize Japanese constitutional scholars' arguments on the theory of democracy. This paper illustrates how mainstream constitutional scholars talk democracy - especially, national sovereignty and popular sovereignty, constitutional democracy and majoritarian democracy, or direct democracy and indirect democracy. On the standpoint of deliberative democracy, holding public referendum about public policy is never desirable. Even though it has no legal binding force, public vote without any parliamentary discussion inhibits representatives' self-directive deliberation.
  • 日本文学
    2006年 55 巻 8 号 App3-
    発行日: 2006/08/10
    公開日: 2017/08/01
    ジャーナル フリー
  • 矢川 徳光
    日本教育学会大會研究発表要項
    1962年 21 巻 213-214
    発行日: 1962/05/03
    公開日: 2018/04/20
    研究報告書・技術報告書 フリー
  • 内田 博文
    九州法学会会報
    2001年 2000 巻
    発行日: 2001年
    公開日: 2017/08/10
    会議録・要旨集 フリー
  • 堀田 英夫
    HISPANICA / HISPÁNICA
    2013年 2013 巻 57 号 49-67
    発行日: 2013年
    公開日: 2016/05/05
    ジャーナル フリー
    憲法条文上の立法、行政、司法に関する主要な数語について、日本の公的機関公開の
    日本国憲法
    スペイン語訳とスペイン語圏諸国21か国(プエルトリコも国として数える)の現行憲法とを比較した。
    日本国憲法
    の「国会」および「参議院」のスペイン語訳語は、英語版からの訳であり、これらの英語およびスペイン語の語の歴史を見ることによって、歴史的意味合いが込められていることを示した。だがこれらの語はスペイン語圏のどの国の憲法でも使われていない。他に21か国と日本の憲法スペイン語訳にある用語が相互にどの程度共通しているかなどを示した。
  • 高橋謙一
    水資源・環境研究
    2023年 36 巻 1 号 35-39
    発行日: 2023年
    公開日: 2023/08/04
    ジャーナル 認証あり
    長崎県川棚町で進められている石木ダム建設事業は、利水、治水どちらの点でも全く必要性のない事業である。しかも巨額の税金等の支出が嵩んでいる。一方、事業計画地内には、今なお13世帯約60名の『居住者』が現に生活を営んでおり、居住地を離れることを拒んでいる。また、同意なくして工事を強行しないという『覚書』もある。
このような状況下であるのだから、起業者は『居住者』らと「この事業が、今の時点で、本当に必要な事業である」かどうかについて真摯に協議・意見交換をしなければならない。それが
    日本国憲法
    、民主主義の当然の定めである。 しかるに起業者は、そのような真摯な対応をすることなく、事業を力ずくで強行しようとしている。かかる公権力の横暴に対し、『居住者』らが自己の権利擁護のために抵抗するのはやむを得ないことであり、
    日本国憲法
    及び民主主義の根幹を守るためにも、国民はその支援をしていく必要がある。
  • ASD 当事者の「生き方」と特別支援教育を素材として
    中山 眞人, 初塚 眞喜子, 東條 吉邦
    自閉症スペクトラム研究
    2013年 10 巻 1 号 53-63
    発行日: 2013/03/28
    公開日: 2019/04/25
    ジャーナル フリー

    本稿では,

    日本国憲法
    の人権規定の解釈論を手がかりとして,ASD 当事者への支援のあり方について考察した。具体的には,まず,(1)最近のASD 研究の動向と近年有力化している憲法13 条の解釈論をあわせて考慮すると,ASD 当事者が障害の克服や治療を強いられることなく,ありのままの存在として 生きていけるように「社会を変えていくという形での支援」が重要であると指摘し,その観点から発達障 害者支援法の問題点について検討した。その上で,(2)ASD 当事者への特別支援教育においても,従来から行われてきた「社会適応の努力を求める方向での支援」,「ASD 当事者が変わるための支援」に加えて,「ASD 当事者が安全・安心感をもって学校生活を送ることができるように環境整備を行うという形での支援」をも充実させることが重要であると論じ,ASD 当事者側がどのような支援を受けるかを自己決定に よって選択できるようにすることが望ましいことを指摘した。

  • 中村 美帆
    インターカルチュラル
    2018年 16 巻 174-175
    発行日: 2018年
    公開日: 2023/11/01
    ジャーナル オープンアクセス
  • 海野 敦史
    情報通信学会誌
    2021年 38 巻 4 号 106-113
    発行日: 2021年
    公開日: 2021/05/12
    ジャーナル フリー
    憲法13 条は、その前段で客観的法規範としての個人の尊重の原理を規定し、個人としての尊厳と人格的自律の確保を求める一方、その後段で公権力による制約を原則として受けないことを確保するに足りる内容を備える権利としての幸福追求権の「最大の尊重」と「公共の福祉」とのバランスの確保を公権力に要請している。各人のプライバシーとの関わりにおけるこれらの要請の具体的な内実として、「私生活領域に対する不当な介入の統制」及び「私的情報の不当な取扱いの統制」が挙げられる。それらの裏返しとして、各人においては、「私生活領域にみだりに介入されないことに対する権利」及び「私的情報がみだりに取り扱われないことに対する権利」が主観的権利として保障され得る。しかし、これらは、「自己情報」の収集・取得、利用・分析、開示・提供といった取扱いの各過程に当人の「コントロール」が及ぶことを想定した自己情報コントロール権を承認するものではない。かかるコントロールが物理的にほぼ不可能であり、憲法上保護される「自己情報」の射程を的確に画定することが困難となりつつある今日において、自己情報コントロール権を憲法13条に基づく基本権とは位置づけがたい。もっとも、憲法13条に基づく幸福追求権は、個別的基本権に対して補充的に適用されるため、個別的基本権の解釈論的分析なしに、前述の主観的権利を「プライバシーの権利」と位置づけることは早計である。
  • 前田 朗
    日本の科学者
    2018年 53 巻 9 号 02
    発行日: 2018年
    公開日: 2023/12/28
    ジャーナル フリー
  • 安念 潤司
    公共政策
    2000年 2000 巻 2000-1-010-
    発行日: 2000年
    公開日: 2023/01/17
    ジャーナル フリー

    日本においては,内閣総理大臣が政治的リーダーシップを発揮する機会が少なく,そのために内閣全体の求心力が欠け,有効な政治指導がなし得ないと指摘されることが多い。法律家として関心をもつのは,こうした欠陥がかりにあるとして,それがいかなる意味で法制度,特に憲法の規定に由来しているか,という問題である。

    明治憲法においては,内閣の連帯性と国務各大臣の単独輔弼主義とが,いずれも他を圧倒することなく綯い交ぜになって運営されたため,事実としての閣内の全員一致が達成されない場合には,しばしば閣内不一致を理由とする内閣総辞職が行われた。また,国務大臣が原則として各省大臣としての地位を併有したため,閣内の割拠性が増幅された。内閣総理大臣に各省大臣に対する指揮監督権を認めようとする試みが繰り返されたが,国務大臣の平等性の原則が障害となって,目立った成果は上げられなかった。

    これに対して,

    日本国憲法
    においては,閣内の全員一致の原則は,内閣の連帯責任制を根拠として維持されたが,内閣総理大臣には国務大臣の罷免権が与えられたほか,解釈や実例によって,閣内の一致を調達しあるいは擬制する装置が整えられた。また,国務大臣の大部分は依然として各省大臣の地位を併有したが,内閣総理大臣の行政各部に対する指揮監督権が憲法上認められ,しかもこの権限は単独で行使し得ると解釈される余地があるために,内閣総理大臣の閣内統制権は,際だって強化された。

    今日では,議院内閣制の枠組みを維持する限り,内閣総理大臣のリーダーシップは,法制度的には,これ以上強化しようのない段階にまで至った。それでもなお,内閣総理大臣の権限を強化しようとしても,問題の解決にはつながらないであろう。むしろ,内閣総理大臣のリーダーシップの欠如自体が,一種の仮象問題にすぎないのではないだろうか。

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