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クエリ検索: "人民"
32,222件中 1-20の結果を表示しています
  • 関根 栄一
    フィナンシャル・レビュー
    2023年 153 巻 207-240
    発行日: 2023年
    公開日: 2023/08/24
    ジャーナル フリー

     中国の

    人民
    元国際化は,2008年9月のグローバル金融危機を機に,翌2009年7月から
    人民
    元建て貿易決済の導入という形で始動し,2015年の国際通貨基金(IMF)の特別引出権(SDR)構成通貨採用決定に向け戦略的に進められた。この間,
    人民
    元クリアリング銀行の設置,
    人民
    元建て通貨スワップ協定の締結,
    人民
    元建て適格外国機関投資家(RQFII)の運用枠の配分,越境証券投資に関する香港との相互取引制度(コネクト)といった中国独自のやり方においても,
    人民
    元の国際化が進められた。2015年8月の為替改革後,一時,中国は資本流出に見舞われたが,
    人民
    元国際化の方針そのものに変更はなく,越境証券取引の制度改善も進められている。デジタル
    人民
    元については国内のリテール向けがメインである一方,国際決済に向けた共同研究も進められている。今後の国際通貨制度において,中国としてはIMF等や地域金融協力の枠組みの中で
    人民
    元の存在感を高める戦略であるが,
    人民
    元の国際化を更に進めていくためには,資本移動の規制緩和を含めた国際金融のトリレンマを解決していく必要がある。

  • 福本 智之
    大阪経大論集
    2022年 73 巻 2 号 63-82
    発行日: 2022/07/15
    公開日: 2022/08/01
    ジャーナル フリー
    中国
    人民
    銀行が政府である国務院の一部門であることから,重要な金融政策の最終決定は国務院が行う。そうした中でも,日々の公開市場操作や窓口指導・MPAの運用では相応の裁量が,中国
    人民
    銀行に与えられている。 中国
    人民
    銀行の金融政策の目標は多重的であり,それを実現するため多様な政策手段を駆使している。国際金融のトリレンマの下,資本移動の自由を一定程度制限することによって,不完全ながら他国から独立した金融政策を行っている。近年実態上の資本移動の自由度が高まったため,
    人民
    元レートの柔軟性を向上することで金融政策の他国からの独立性の維持向上を図っている。 中国
    人民
    銀行は近年公開市場操作のウエイトを高めている。短期の政策金利であるリバースレポオペ7日物金利を中心に金利コリドーが設けられているほか,中期の政策金利であるMLF1年物金利は,これを基準に貸出優遇金利LPRが形成されるようになっている。もっとも,現在でも,中国
    人民
    銀行は,金融機関の融資行動等に直接働きかける窓口指導やMPAといったツールを重視している。これは,人為的低金利政策の下信用割当を行うためと,他国の金融政策から影響を受けるために金利政策だけに頼って金融政策を行えないため等によるものである。 政府の一部門として政府の政策目標を実現するため,中国
    人民
    銀行には,中小企業支援,貧困扶助,脱炭素などの政策金融的目標も与えられている。中国
    人民
    銀行は,これに対応するため,構造的金融政策を実施している。
  • ― 「N1のN2の…のN」の形を中心に―
    毛 莉
    日本語教育方法研究会誌
    2015年 22 巻 1 号 28-29
    発行日: 2015/03/28
    公開日: 2017/05/17
    研究報告書・技術報告書 オープンアクセス
    Based on a questionnaire about the learning of auxiliary word 「の」 by Chinese students of Japanese majors, the paper found out that they often make mistakes in such sentence: 田中さんは
    人民
    大学の日本語先生です, whose correct form should be 田中是
    人民
    大学的日語老師. The error underlined indicates that students were influenced by Chinese language and omitted the Japanese auxiliary word 「の」 in Chinese-Japanese translation. Focusing on such language errors taken by Chinese students, this paper will discuss the relationship between the two auxiliary word: 「的」 and 「の」.
  • 柿崎 正樹
    日本中東学会年報
    2003年 19 巻 1 号 175-205
    発行日: 2003/09/30
    公開日: 2018/03/30
    ジャーナル フリー
    本稿では、トルコ共和国における共和
    人民
    党の社会民主主義政党への変容とそれに伴う党理念の変遷を、第三代党首ビュレント・エヂェヴイットの著作や発言を中心に分析することを試みる。共和
    人民
    党は共和国初代大統領ムスタファ・ケマル・アタテュルクによって1923年に結党され、一党支配体制の下、共和国の近代化を進めるべく様々な改革を断行した。1931年には「六本の矢」として知られるケマル主義六原則を党大会で採択し、共和主義・世俗主義・民族主義・
    人民
    主義・国家資本主義・革命主義を党の行動理念とした。37年にはこれらは共和国憲法にも取り入れられ国是となる。トルコは第二次世界大戦後、その政治体制を一党支配体制から複数政党制へと移行させる。1950年総選挙では、共和
    人民
    党の非民主的かつ官僚主義的な政権運営に反対し、より自由主義的経済政策を追求する民主党が圧勝した。一方、共和
    人民
    党は1960年クーデターで軍部が民主党政権を崩壊に追い込むまでの10年間野党の座に甘んじ、選挙での敗北を重ねていく。しかし、この野党時代、特に民主党政権が独裁的傾向を強めていく50年代後半、共和
    人民
    党には改革志向の強い若手党員が加わり、新たな党のアイデンティティーの模索が始められる。その中から党首イスメット・イノニュの支持を背景に頭角を現し、共和
    人民
    党の「左回旋」の中心的人物となったのがビュレント・エデェヴィットであった。1965年にイノニュが共和
    人民
    党は「中道左派」であると宣言したが、エヂェヴィットはそれをアタテュルク革命の延長線上にあり、アタテュルク革命を補完する行動理念と位置づけた。さらに、イノニュに代わって第三代党首となったエデェヴイットは、「中道左派」を「民主左派」に改め、党綱領を一新する。そこではケマル主義と共に民主左派主義が併記され、エヂェヴィットの下で共和
    人民
    党が社会民主主義政党にむけてケマル主義の大幅な再解釈を行ったことが伺える。結論を先取りして言えば、共和
    人民
    党の社会民主主義政党化の狙いは、それまで大衆から隔絶された中央エリートの政党というイメージを払拭し、大衆利益を代表する政党への転換であった。そのために、共和
    人民
    党は大衆に対する従来の否定的な見解を肯定的なものへと逆転させ、さらに大衆を「経済的に搾取され、政治的に抑圧された人々」とした。そしてその大衆は労働者と農民からなる集団であるとしたのである。こうして共和
    人民
    党は労働者と農民の支持を取り付け、彼らの政治的経済的権益の拡大を求めて、「
    人民
    セクター」・「農業組合」・「農村都市計画」などの政策を掲げた。70年代にはその多分にケマル主義の要素を含んだ社会民主主義は、トルコの主要な政治潮流の一つとなっていったのである。
  • 菅沼 正久
    土地制度史学
    1963年 5 巻 3 号 1-21
    発行日: 1963/04/20
    公開日: 2017/09/30
    ジャーナル フリー
    1958年の下半年に成立した
    人民
    公社は,国の工業化がたちおくれた,しかも農業生産力水準が低い,そのような社会主義国家での集団所有制の組織である.そうしたある意味では特異な条件のもとでの農業組織として,
    人民
    公社が成立してからのちは,中国農業研究の主題は,
    人民
    公社そのものの研究とともに,
    人民
    公社の成立にいたる過程で,国民経済の後進的諸条件が,社会主義農業組織の展開にたいして,どのような特異性をもたらすかの分析を正面におしだすことになった.小論は,そのような問題意識にたって,
    人民
    公社の成立にいたる過程を,農業金融の側面から実証的に研究することを試みたものである.したがって,農業金融をふくめて,金融研究がその研究対象のゆえに,具体的な経済現象を,抽象な指標において捉えざるをえないにもかかわらず,小論においては,貨幣流通の展開されるメカニズムそのものに,重点をおくことになった.しかし,中国農村における社会主義金融の展開にかんする研究は,当然のことながら,農業の再生産過程における貨幣の流通,金利体系と金利の経済学的研究をふくまなくてはならないが,この研究の部分は他日にゆずる.
  • ――『人民文庫』試論――
    邱 政芃
    日本近代文学
    2019年 101 巻 203-218
    発行日: 2019/11/15
    公開日: 2020/11/15
    ジャーナル フリー

    本稿は、「戦時下抵抗」として評価されてきた雑誌『

    人民
    文庫』が打ち出すスローガンの一つである「リアリズム」に注目し、その歴史的な意味合いを一九二八年時点に遡って検証した。一九二八年頃に成立した客観性を中心とするリアリズム論は、一九三三年頃には論壇全体を巻き込んだ「主体論的回転」を遂げる。その中で、『
    人民
    文庫』の武田麟太郎は、のちの論敵となる保田與重郎と共に近い場所で「リアリズム」を擁護したものの、やがて「民衆」の定義をめぐって対立する。『
    人民
    文庫』がこの一連の流れを汲み、最終的に「民衆的リアリズム」と呼ばれる立場に至る。この一連の過程の考察によって、『
    人民
    文庫』における〈抵抗/翼賛〉の二項対立に収まらない余剰を歴史的に示した。

  • 弘中 満雄
    印度學佛教學研究
    2005年 53 巻 2 号 646-648
    発行日: 2005/03/20
    公開日: 2010/03/09
    ジャーナル フリー
  • 高橋 勇治
    法哲学年報
    1953年 1953PartII 巻 213-261
    発行日: 1953/10/30
    公開日: 2009/02/12
    ジャーナル フリー
  • 市民による立法のためのシステム設計
    浅香 吉幹
    法社会学
    2009年 2009 巻 71 号 23-39
    発行日: 2009年
    公開日: 2017/01/31
    ジャーナル オープンアクセス
  • 玉山 昌顕
    MACRO REVIEW
    1992年 5 巻 1 号 35-39
    発行日: 1992/07/01
    公開日: 2009/08/07
    ジャーナル フリー
    中国の石炭産業は活況を呈している。年産10.8億トンをべースにして年間増産分だけでも4千万トンを目標にしている。これはわが国の年間消費量の40%弱である。2000年には年産14億トンに達する予定である。各種情報源によれば増産のタスクを背負った最近の炭鉱は最新の機械化採炭技術を採用し,露天掘りが主流になっている。したがって事故死亡率が低下している。新炭鉱は内陸部に存在しているので鉄道建設も平行して進行しているが諸産業の発展に追いつかないので炭鉱近くで発電する坑口発電所の建設も盛んである。中国の主要炭田は華北に存在する。中国産炭量の約97%は国内で消費されている。浙江省泰山原子力発電所の稼働開始,四川,湖北両省にまたがる長江三峡ダム建設のゴーサインにみられるように徐々にエネルギー供給形態は変化し,石炭の消費割合も変化するが内外における中国石炭の重要性は変わらない。
  • ――労務管理制度を中心として――
    林 新生
    組織科学
    1991年 24 巻 2 号 37-46
    発行日: 1991年
    公開日: 2022/07/15
    ジャーナル フリー
     日本的経営を中国企業に適用することは大いに可能性がある,というよりはむしろ,中国企業が自ずと日本的経営に近似していく必然性がある.経済改革以前の中国企業は,社会主義理念と伝統的秩序の合体ともいうべき‘企業共同体’であった.最盛期の日本的経営に代表される半ば解体された擬似共同体こそ,最小限の混乱と最大限の生産力効果をもって推転可能な,中国企業発展の次の段階である.
  • 山口 弘江
    印度學佛教學研究
    2008年 56 巻 2 号 703-706
    発行日: 2008/03/20
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    天台智顗は当時の仏教界の中心的存在であった地論師の説に批判を加え独自の教学を形成した。一方、その教学形成において地論師の思想が影響していることも諸先学の研究に指摘されるところのものである。本稿ではその一つである四宗義批判について取り上げる。特に智顗の最晩年に成立した文献である『維摩経玄疏』の記述に着目し、智顗が強調する地論師四宗の問題点が奈辺にあるかを考察する。その上で智顗がこのような批判を展開する背景についても検討を加えたい。
  • 張 文良
    印度學佛教學研究
    2007年 55 巻 2 号 572-578,1240
    発行日: 2007/03/20
    公開日: 2010/07/01
    ジャーナル フリー
    According to his biography, Chengguan (澄観) studied Nanshan (南山) Vinaya mostly under Tanyi (〓一). According to Tanyi's biography, however, the Vinaya school ideas inherited by him are not confined to Nanshan Vinaya alone; they are related to that of the Xiangbu (相部) and Dongtai (〓塔) Vinayas as well. Thus, the lineage of such inheritance suggests that Chengguan's Vinaya thought must have received their influence at the same time from all three branches of Chinese Vinaya School, namely Xiangbu, Dongtai and Nanshan. Moreover, as Chengguan studied the Avatamsaka sutra under Faxian (法銑) during that period of time, he must have also received influence from the Brahmajala-sutra. While denying the two theories which explain the essence of sila in terms of a rupa-dharma and in terms of neither citta nor rupa respectively, Chengguan held the theory of prakrti-sila (i. e. sila in terms of nature or prakrti). This theory is further divided into two kinds, namely “purity of arising” and “purity of essence”. They refer to obtaining the nature of Suchness (bhuta-tathata), sila-carya, and bodhi phala. As far as the Hinayana and Mahayana Vinayas are concerned, Chengguan did not deny the Hinayana Vinaya, but he explained it according to Mahayana perspectives. For instance, he thought that although the two yanas can also observe sila, they may become attached to the characteristics/forms of sila, as they have not realized the emptiness of sila. Mahayana bodhisattva-s are on the other hand considered to be those who observe sila completely/truly, as they have realized the emptiness of sila and they are not attached to the characteristics/forms of sila. As far as classification of the Teaching and sila are concerned, receiving ordination and observing sila which refer to the anulaksana of sila (戒之随相) pertain to both Mahayana and Hinayana. Realization of the emptiness of characteristics/forms of sila which refers to the vilaksana of sila (戒之〓相) pertains to Mahayana only. The sila with form (anulaksana) and without form (vilaksana) are not two different things; the nonduality of the two sila is called sila of the real teaching; while the activity of sila being endowed with all Buddha-dharmas is called brahma-carya of the perfect Huayan teachings.
  • 夏 順仁
    BME
    2001年 15 巻 1 号 35-39
    発行日: 2001/01/10
    公開日: 2011/09/21
    ジャーナル フリー
    2000年9月に, IEEE生体医工学ソサイエティによるアジア太平洋地域での初めての国際会議(IEEE-EMBS Asia-Pacific Conference on Biomedical Engineering:生体医工学に関するアジア太平洋国際会議)が杭州(中華
    人民
    共和国)で開催された. その会議の経緯と, 中華
    人民
    共和国で進められている大学組織の統合, さらに生体医工学がその中でどの様にとらえられているかを, この会議のConference Secretariatであった浙江大学 夏順仁 教授にレポートして頂いた.
  • ―中医学文献より検討―
    王 彩霊, 大野 ゆう子, 王 霊芝
    日本未病システム学会雑誌
    2007年 13 巻 1 号 92-95
    発行日: 2007/07/20
    公開日: 2010/09/09
    ジャーナル フリー
  • ―中医学文献に基づく検討―
    王 霊芝, 大野 ゆう子, 王 彩霊
    日本未病システム学会雑誌
    2007年 13 巻 1 号 89-91
    発行日: 2007/07/20
    公開日: 2010/09/09
    ジャーナル フリー
  • *段 玉山, 于 雷
    日本科学教育学会年会論文集
    2021年 45 巻 1
    発行日: 2021年
    公開日: 2021/12/20
    会議録・要旨集 フリー

    中国における地理科カリキュラム改革は,20年近くの時を経て,理論・実践の面でともに多くの成果をあげてきた.カリキュラムの理念が広く伝わり,授業実践にも大きな変化をもたらすとともに,多くの教員と生徒の肯定と支持を得て,広い社会的影響を生み出した.本稿では,20年にわたる中国での地理科カリキュラム改革で得た成果を整理することで,カリキュラム改革の成果を確固たるものとし,今後の改革動向を明らかにするとともに,地理教育の持続的発展を促すことを目的とする.

  • 馬 茲辰, 三宅 諭
    都市計画論文集
    2018年 53 巻 3 号 690-696
    発行日: 2018/10/25
    公開日: 2018/10/25
    ジャーナル オープンアクセス
    中国では近代的開発とともに歴史的環境が失われており、陝西省の西安市はその代表である。西安市は長い歴史を持つ都市であり、西安市の歴史的環境保全は中国の文化財保護制度の中でも極めて重要な課題である。更に、古城区は西安市名城制度の中心であり、最も重要な部分である。本研究は歴史的街区の現状を把握する事と歴史的環境に関する法律及び政策の整理から、現在の中国の歴史的環境の保護政策は曖昧なところが多く、改善の必要があることが分かった。また、古城区には高さ制限が定められているが、歴史文化街区内には違法建築だけでなく、既存不適格建築物も数多く存在する。これからの歴史的環境保全では既存不適格建築物に対する具体的な方策が必要である。現在、陝西省と西安市では法律の見直しが求められている。その際に、歴史文化街区の定義、具体的な保護施策、責任機関を明確にすることが重要である。更に、法規に基いた実行可能な保護計画とその遂行が求められる。
  • 胡 飛躍, 丸井 英二
    民族衛生
    2000年 66 巻 5 号 216-223
    発行日: 2000/09/30
    公開日: 2011/02/25
    ジャーナル フリー
    In China, in recent two decades, under the introduction of reform-opening policy, market economy principle was deeply rooted and rapid economic development was achieved. But the economic development also widened the gap between urban and rural areas. How does such change in the society affect the field of health care? This article tried to examine the present situation and challenge ahead from the three points of view: First, the incidence state of main diseases in china. Second, available health services. Third, health insurance system, and the establishment of the policy and systematic frame in distribution of government budget. As a result, the challenges are proposed under the following: (1) The early detection and treatment of non-infectious diseases such as cerebral vascular diseases, heart diseases and malignant tumor; the control of infectious diseases including sexually transmitted disease (STD) such as gonorrhea, syphilis and HIV/AIDS; the prevention of diseases and decrease of mortality especially in rural area in reproductive health. (2) The narrowing of the gap in health facilities, human resources and utilization ratio of available health service between urban and rural area. (3) Providing basic health services to all the inhabitants in health insurance system, and promoting a correction of unbalance in distribution of resources between prevention and treatment in governmental budget financing.
  • ―中医学古典文献に基づく検討―
    王 霊芝, 大野 ゆう子, 王 彩霊
    日本未病システム学会雑誌
    2006年 12 巻 1 号 98-100
    発行日: 2006/07/31
    公開日: 2010/09/09
    ジャーナル フリー
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