江戸時代後期に梅の名所として名を知られた奈良県添上郡の月瀬梅林について, 明治期の有様を, 当時の新聞広告により考察した。その結果, 鉄道客の増加をはかる手段として月瀬が利用されたこと, したがつて, 誘致圏は鉄道網の拡大とパラレルな関係にあること, 鉄道と
人力車
の利用により, 月瀬は「容易に時間をかけずに行くことの出来る日帰りの行楽の場」だと考えられるようになること, 誘致圏の広がりと共に, 大和の月瀬が日本-の梅の名所へと名をかえていくこと, 車道や橋の建設が梅林の趣を変化させたことが明かとなり, また, 自転車, ビヤホール, 団体客といった新しい風俗が加わったことを認めた。
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