近代オリンピックとその時代

日本が初参加

第5回ストックホルム(1912年)
 陸上短距離の三島弥彦とマラソンの金栗四三が、日本人として初めて五輪に参加した。三島は100、200、400メートルに出場したが、いずれも決勝へは進出できず、国内の選考会で当時の世界最高をマークしていた金栗も日射病のため32キロ地点で無念の棄権となった。
 途中棄権から55年後の1967年、スウェーデン五輪委員会から記念行事への招待を受けた75歳の金栗四三は、ストックホルムのスタジアムでゴールのテープを切った。「日本の金栗、ただいまゴールイン。タイム、54年と8月6日5時間32分20秒3、これをもって第5回ストックホルムオリンピック大会の全日程を終了する」のアナウンスが流れた。これに答えた金栗も「長い道のりでした。この間に孫が5人できました」とのユーモアあふれるスピーチをしている。
 1909年にベルリンで開かれた国際オリンピック委員会(IOC)総会では、東京高等師範(現筑波大)校長だった嘉納治五郎が、アジアでは初のIOC委員に就任している。

 【その時世界は】
 明治天皇がこの年の7月に逝去、元号が大正となった。中国大陸では、清朝の宣統帝(溥儀)が退位を余儀なくされ、数千年にわたる中国の専制王朝体制についに幕が下りた。豪華客船タイタニック号がその処女航海で氷山に激突、沈没したのもこの年。犠牲者は乗員・乗客を合わせておよそ1500人に上った。
〔主要参考資料〕近代オリンピック100年の歩み(ベースボールマガジン社)、最新スポーツ大事典(大修館書店)、オリンピックの事典(三省堂)、国際オリンピック委員会の百年(IOC)、日録20世紀(講談社、JOCホームページ

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