――「ロードランナー」の大ヒットが、ファミコンを「ただのおもちゃ」ではなくしたわけですね。
それまでのハドソンの年間売り上げを、この「ロードランナー」1本だけで超えてしまったほどです。実はこの大ヒットの裏に、ある重大な問題を抱えていました。それは「ロードランナー」で「はしごに右手をかけて止まっているときにロボットがすり抜ける」というバグが見つかったことです。
これがパソコンソフトであれば、「ここをこう直して下さい」ってやれば修正できたのですが、ファミコンはROMカートリッジなので修正が効きません。バグを直すにはソフトを回収して作り直したソフトと交換するしかないわけです。
――さすがに現実的な対応策ではなさそうですね。
「ロードランナー」は既に100万本出荷していましたから、これをやったらハドソンは確実に倒産してしまいます。さて、どうしたらいいかと小学館の雑誌「コロコロコミック」さんなどとみんなでいろいろ考えました。そこで出たのが「これ表じゃなくて、裏の面白い技としてむしろこっちから紹介したらいいんじゃないか」という結論でした。こうして表ではない裏の技、「裏技(うらわざ)」という言葉が誕生したわけです。プログラムのミスから生まれたものではあるんですが、プログラムのミスじゃないよと堂々とシラを切り通した形ですね。
ただその後、メーカーによってはゲームが進行不可能になる明らかなバグも「裏技」と言い張ったケースもありました。さすがにそれは違うだろうとは思いましたけどね。そういう背景もあり、「裏技がある=バグが出た」と同じことなので、メーカーとしては当時、裏技という言葉を使いづらかったこともあります。
――こうして宣伝マンとしてのキャリアを歩んだわけですが、どのように「名人」になったのでしょうか。
きっかけは85年の3月下旬に銀座・松坂屋で開かれた「コロコロまんがまつり」でした。当時「ロードランナー」の続編である「チャンピオンシップロードランナー」の発売を控えていたのですが、このデモプレイのステージに私が立つことになったのです。
この予告記事がコロコロに載ったのですが、そこにはなんと「ファミコンの名人来たる!」と書かれていました。これが「名人」の始まりになります。この「コロコロまんがまつり」は大成功で、同じようなことを全国でやろう、という企画になります。これが、85年から97年の毎年夏に行われた「ハドソン全国キャラバン」です。
誰が実際にステージの上で新作ゲームをプレイするんだ、という話になったのですが、「コロコロまんがまつり」の盛況もあり、私しかいないような感じでした。こうして私は「高橋名人」として、ステージの上に立ってゲームの紹介をしていくことになります。
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