極小団体から、人気団体へ成長し続ける「文化系プロレス」
食えたことも、食えなかったこともレスラーを作る。新弟子時代から現在までの食にまつわる話を、さまざまなプロレスラーにうかがう連載企画「レスラーめし」。
今回お話をうかがったのは、常にプロレス界に新しい風を吹かせ続けるDDTプロレスリングの「大社長」こと高木三四郎選手です。
写真提供:株式会社DDTプロレスリング
1997年、高木選手ら無名選手3人によって旗揚げされたDDTは今年で設立22年を越え、毎年ビッグマッチで両国国技館大会やさいたまスーパーアリーナ大会を開催出来るほどの規模の団体になりました。
お金もレスラーとしてのキャリアもない極小団体でしたが、プロレスラーとしての腕を磨き、「文化系プロレス」と称される昔ながらのプロレス的世界観をぶち破るアイデアと、お客さんを楽しませる姿勢で頭角を表していきました。
写真提供:株式会社DDTプロレスリング
商店街に、本屋、キャンプ場など戦う場を選ばない「路上プロレス」、演劇とプロレスを融合した手法で、あの4人組男性歌謡グループ「純烈」のライブにも起用された「マッスル」、その他にもさまざまな業界とのコラボレーションなど、彼らが生んだ話題はプロレス界だけにとどまりません。
写真提供:株式会社DDTプロレスリング
これまでのプロレスに比べてファンと選手の距離が近いままに、団体名「ドラマティック・ドリーム・チーム(D.D.T)」の名のとおり、ドラマティックな夢を叶え続けてきました。その舵取りをしてきたのが高木大社長です。
写真提供:株式会社DDTプロレスリング
2017年にはサイバーエージェントグループの一員となり、AbemaTVで毎週木曜に深夜番組「DDTの木曜The NIGHT」放送するなど、さらなる発信が止まりません。
またプロレス団体と平行して、「プロレス&スポーツBarドロップキック」「エビスコ酒場 新宿歌舞伎町店」「Bar Lounge SWANDIVE」と3軒の飲食店を経営。
新宿歌舞伎町という激戦区にも関わらずドロップキックは12年、エビスコ酒場は10年と、長らく営業を続けてきています。
写真提供:株式会社DDTプロレスリング
あらためて今回は高木大社長の食の歴史、そしてプロレス団体による飲食店運営についてうかがってみます。
バブルに踊った大学生だった
大阪府豊中市出身の高木大社長。
プロレスラーに憧れた少年時代、身体を大きくすることを考え、高校からは柔道を始めたりと、数々のレスラー志望の少年たちと同じように青春時代を過ごしてきました。
ところが大学進学で上京してから、その生活は一変することに。
──高木大社長の子供のころの思い出の味って何ですか?
高木:ミネストローネをよく食べてましたね。うちは父親がテレビ局で働いていて、母親も仕事と、共働きだったんで、あんまり家族みんなで揃って食事ってことがなかったんですよ。だからひとりで家に帰ってきて、寸胴に作り置いたミネストローネを自分で注いで食べてましたね。1週間くらい毎日、ミネストローネばかり食べてましたよ(笑)。
──毎日! 作り置きはわかるんですけど、1週間はすごいですね。
高木:やっぱりプロレスラーを目指してたんで、当時背を伸ばしたくって、親に「牛乳とかチーズを摂りたい!」って言ってたらしいんですよ。まったく覚えてないんですけど。それでミネストローネって、じゃがいもやたまねぎ、ベーコンにトマト、それにチーズも入ってて栄養素が摂れるっていうんで、作り置きにしていたみたいですね。子供のころは、それに牛乳を1日1リットル飲むってのをノルマにして(笑)。
──早くしてレスラーになるための食生活を。じゃあ子供のころはひとりでご飯食べることが多かったんですか。
高木:そうですね。18時や19時に家族揃って一家団欒なんてことはなかったです。だからご飯で思い出っていうと、大学で東京に来てからなんですよね。
──といって学生だから、そんなにお金があるわけじゃないですよね。
高木:最初の2年は自炊ばっかりだったんですよ。最初は東高円寺って街に住んでたんですけど、これが何もない街で……高円寺はいろいろあるんですけどね。
その後、田舎者の憧れで成城に引っ越したんですけど、ここも高級住宅街なんで大学生で食べられるような店ってないんですよね。それで大学3年生の時に車を買ったんです。それから一気に生活変わりましたね!
──東京で車持ちはすごいですね。あと、いろんなインタビューでも語られてますけど、大学時代はイベントサークルの代表でブイブイ言わせてたとか。
高木:やってましたねえ……。ディスコのイベントとかをやってたんですけど、だいたい土日の昼にやってたんですよ。夜は店の営業時間だから。それでも忙しい時期だと、1日の間に麻布十番のマハラジャ・六本木ベルファーレ・神楽坂ツインスターの3店同時にイベントやったりしてね。見回り兼遊びに行ってはVIPルームでワイワイ喋ってるっていう(笑)。
──完全にバブル大学生ですね(笑)。
高木:それが土日で、夜になると打ち上げ。そんな生活を5年くらい続けてましたね。狂ってましたよ!
──なるほど。その時期はプロレスラーになるっていう子供の頃の夢は?
高木:もうどっかに行っちゃってましたね(笑)。身体のことなんていっさい気にせず、夜中にラーメンを食ったりしてました。でも太りはしなかったんですよね。
バブル大学生が後輩を連れて行った六本木・麻布の名店
──では、そのバブルな大学生時代によく行ってた店を教えてください!
高木:イベントの後の食事はだいたい六本木でしたね。あとは西麻布、渋谷も神泉にクラブが2軒くらいあったんでよく行ってました。あとは芝浦ですね。めしに行くっていっても、イベント後に行ってたんで、夜中にやってる店ばっかりなんですよ。六本木でよく行ってたのは香妃園! そこか、かおたんラーメンでしたね。
──どちらも六本木・麻布方面で夜遊びする人に有名な店ですね(笑)。
高木:香妃園は雰囲気良かったんで、後輩を連れていってはとり煮込みそばを食べさせたりしてね。
かおたんラーメンは六本木からタクシーで行って。あそこは店構えも昔ながらの雰囲気じゃないですか。でも、そういうのがウケるんですよ。あとは焼肉屋さんかな。焼き肉は移り変わりが激しいから、当時行ってた店はだいたいなくなってるんですよね。今もあるのは叙々苑くらいかな。
──ザ・六本木ライフですねえ。
高木:大学は駒沢大学だったんですけど、その近くにあったかっぱっていう煮込み屋さんはよく行ってましたね。
──かっぱは新日本プロレスの道場も近いので、新日の選手の中にも好きな人が多いですね。獣神サンダー・ライガー選手とか。
高木:そうなんですよ。学生時代、行くとたまに天山さん(天山広吉選手)が座って食べてたりして。後ろ髪が特徴的なので、後ろから見ても分かるんですよね(笑)。まだファンの時代だから、見かけるたびに「あっ、天山だ!」なんて思ったりしてましたね。プロになってから会う機会あったときに、かっぱでよく見かけましたよって話をしたら「よく行くんですよ~」って言ってましたね。
──他にレスラーで会ったりした人っています?
高木:あとかっぱで会ったのは大谷晋二郎さん。大谷さんはもう自分がプロレスデビューしてたから、ご挨拶したかな?
──かっぱって、基本的にメニューは「煮込みとご飯! 以上!」って店ですよね。
高木:学生時代から通ってて、当時は80歳くらいのおじいちゃんが店長で、寡黙な方だったんですよ。「俺の煮込みを黙って食え!」って感じで、いぶし銀タイプなんですね。それが10年くらい前に息子さんに代がわりしたんですよ。
──親子2代に渡って高木さんは通ってるんですね。
高木:それでその頃、ディアナ(井上京子選手率いる女子プロレス団体)の道場がかっぱの近所に出来たんですよ。そんな時にかっぱに行って、いつものように注文したら、ボソッと若店主が「そういえばご近所さんがご挨拶にいらっしゃったんです。女子プロレスの団体で……」って話しかけてきて。
「ああ、ディアナさんですよね。よく知ってますよ」って普通に答えちゃったんですけど、よくよく考えると「あれ? 若店主はオレのことレスラーって知ってたんだ!」てのが驚きでもあり、嬉しくもあり。
──無言の関係だったのが、実はあっちは大社長のことをレスラーだと気づいてたんですね。
高木:そのあとも3〜4ヵ月ごとにかっぱに行くんですけど、その会話以来、一切プロレスの話してないですね(笑)。
──ただ寡黙に煮込みだけを楽しむ店に戻ったと。
高木:今も通ってますけど、かっぱは僕の中で青春の中心でしたね~。学生時代も、クラブで仲良くなった子なんかはかっぱに連れていくんです(笑)。「すごいシブい店があってさ~、オシャレなところもいいけど、こういうところもいいよ」って言って。
──かおたんラーメンと同じ枠なんですね(笑)。
高木:特に女の子なんて、こういう店に行くことないから、まず喜ぶんですよ。それに、味はもう間違いないじゃないですか。肉が嫌いじゃなければみんな「美味しい!」ってなるし、「キメのスポット」でしたね(笑)。1軒目に汚いところに行って、2軒目おしゃれなところ行く! そのバリエーションで攻めてました。
試合のギャラが「焼肉」から「うどん」へ急降下したことも
ディスコのイベントサークル代表というと軽いようですが、関東の100サークルくらいをまとめて大規模なイベントをやったりと「イベサー界の織田信長」のような存在だったという当時の高木大社長。その行動力は今も変わらないものがあります。
すごい人脈や経験を掴んでいたのに、あらためて子供のころの「レスラーになりたい!」という夢を思い返した高木大社長は、ついにインディー団体からプロレスデビューを果たします。
──最初に試合をしていたのは横浜の「屋台村プロレス」。まさに「ど」がつくインディー団体ですよね。
高木:屋台村はすごかったですよ。屋台村っていうだけあって、めし屋に囲まれて試合してるわけです。最初はヨンドンって焼肉屋さんが中心で、それに何店舗かが集まって興行をしてたんですね。
ぼくらはヨンドンさんに雇われてる形だったんで、試合終わったらヨンドンさんでご飯を食べてたんです。それもオーナーも「どんどん食べろ!」っていってくれて、高野さん(高野拳磁)がいた頃は毎晩焼き肉でしたよ。
──「どインディー」ではあるけれども、ご飯だけは保証されてると。
高木:ちゃんとギャラも出てましたしね。それが途中で高野さんがいなくなって、屋台村が土日営業だったのが、ちょっとお客さんが入るようになってきたからって、金土日の営業になったんですよ。そしたらその3日間でお客さんが分散してしまったのか、どの日もそんなにお客さんが入らなくなってきちゃったんです。そうなると、わかりやすくめしのグレードが下がってきて(笑)。
──焼き肉のグレードが下がってきた。
高木:肉の質が下がるくらいならよかったけど、だんだん肉がなくなってきちゃうんですよ。ご飯と八宝菜とかになっちゃって、「あれ?」って感じですよね。
──そのグレードの下がり方はガッカリですね。
高木:そうこうしてたら、試合後のめしを提供してくれる店が、週がわりで変わっていくようになるんですよ。その中にはうどんだけだったりとか。
──でも身体は作らなきゃいけない。
高木:そのうち金曜はお客さんが入らなさすぎるという理由で、ギャラが食事だけになったんですよ。そうなると「金曜に出たい」って選手が減ってきちゃって。僕はまだ他の仕事があったんで、金がなくても試合経験が出来るならいいやって思って出場してたんですけど。
──横浜まで来て試合のギャラがうどんだけ、ってさすがに力が入らないですね。
高木:追い打ちをかけるように土日もギャラが食事だけになってきて(笑)。さすがにこれじゃ食えないって思って、鶴見さん(鶴見五郎)のところに移籍したんです。
お金がなくても、レスラーは肉を食べたい
そして1997年にDDTプロレスリングを旗揚げ。
メジャー団体と違って道場もなく、個別練習がほとんどでした。
身体を鍛えるのも、身体に良いものを食べるのもすべては自分次第。そして、それ以前に選手たちはとにかくお金がありませんでした。
高木:ぼくらは道場もなかったし、練習も個別だったんで食事はそれぞれって感じでしたね。NOSAWA(NOSAWA論外選手。DDT旗揚げメンバー)とは、そこら辺のラーメン屋さんによく行ってましたけどね。今に比べて、昔の方が選手とめしを一緒に食ってましたよ。今はもう忙しくて行けないですもん。
──当時行っていた店で覚えてるところはありますか?
高木:昔から新宿でご飯を食べることが多かったんですよ。思い出横丁にあるつるかめ食堂の「ソイ丼」とかね。当時から400円くらいで安かったんですよ、肉と豆をご飯にのせたメニューで。あと、やっぱり肉はよく食べていましたね! 覚えてるのは全女の道場の近くにあったステーキハウスB.Mとか、あと橋本友彦(選手)が立石に住んでたので牛坊(焼肉牛坊)とか。
──お金がないなりに、やっぱりレスラーは肉なんですね。
高木:昔はほんとにお金がなかったんですけど、金村キンタローさんとかはすごく豪快な人だったんで、「お前らには一銭も払わせんのや!」ってめしに連れてってもらったりしてましたね。金村さん、年齢では僕より1歳下なんで「申し訳ないんで、払います」って言って強引に半分払ったりしたんですけど、金村さんはほんと剛気な方でしたね。
──若くて可能性しかない団体を、いろんな方が応援してくれたんでしょうね。
高木:あとは、かまだ家っていう僕らを応援してくれてた群馬の釜飯屋さんがあったんです。もともと仮面シューター・スーパーライダーさん(現スーパーライダー選手)のつながりで紹介していただいて、そこの女将さんが応援してくれてたんですよ。毎週、群馬練習ってのをやってて、その帰りにかまだ家さんに寄ってご飯食べさせてもらって。初期DDTは、ほんといろんな人に支えてもらっていましたね。
新人選手も続々加わり、後楽園大会も定期開催されるようになり、成長していったDDT。現在ガンバレ☆プロレスや東京女子プロレスなどの別ブランドの活性化もあって、高木大社長も経営に専念し、試合から一線引いても良さそうに思えます。
しかし、まだまだ選手としても活躍中の高木大社長。本格的に食生活やトレーニングを見直す「肉体改造」を行い、その後もアラフィフとは思えない体型をキープしています。
──高木大社長はずいぶん後になって肉体改造されたじゃないですか。その頃から意識してレスラーとしての身体を作っていった感じですか?
高木:そうですね。僕はプロテインで身体を作るのが嫌で、ちゃんとした食事で作るんだっていうんで和田良覚さん(レフェリー)に教わったんですけど、和田さんは「炭水化物の量は基本減らして、あとは肉とかで体作りなさい」って人なんで、好きなものを食べていましたね。
そんなに節制はしなかったです。炭水化物の量は考えて、夕方以降は摂らないみたいな感じですね。今も炭水化物は朝か昼だけにして、夜以降は摂らないようにしてます。
──今も食事は変えてないんですね。
高木:あと今は、麦食に変えたんですよ。家では押し麦しか食べてないです。ただ、家族の中でも自分しか食べないんですよね。炊飯器で炊くと匂いがついちゃって、家族に嫌がられるんで。
麦はいいですよ! 食物繊維の量が白米の何倍もあるし、炭水化物も抑えられるし、お腹も膨れるから腹いっぱいになるし、値段も安い。味も僕は好きですね。
あの店がなかったらDDTは潰れていた
さてDDTの経営する飲食店について大社長に聞いていきましょう。
現在「プロレス&スポーツBarドロップキック」「エビスコ酒場 新宿歌舞伎町店」「Bar Lounge SWANDIVE」の3店をいずれも新宿で運営するDDT。
団体選手がスタッフとして働くことで、ファンとしては試合の日以外も選手に会うことが出来ます。
また選手としては、試合外での収入を得ることが出来るというメリットもあります。
プロレスを引退した選手が飲食店を経営するパターンは多いですが、3店舗もの飲食店を団体自ら展開したのは初めてです。
──団体として最初に経営するようになったのは2012年オープンの「プロレス&スポーツBarドロップキック」ですよね。レスラーが飲食店を経営するのはよくあると思うのですが、団体が経営するというパターンはあんまりないと思うんですよね。なぜDDTで飲食店を始めたんですか?
高木:影響を受けた店はいくつかあるんですけど、井上京子さんの店(あかゆ)の存在はけっこう大きいですね。プロレスラーのセカンドキャリア問題というか、初期から出てくれた選手とかこのままプロレス続けて身体壊すかもしれないし、これは団体としてちゃんと取り組まなきゃダメだなって。
それでMIKAMI(ドロップキック初代店長)と話して「店長やったら?」ってことになったんです。
──最初にバーのドロップキックを開店して、次に居酒屋のエビスコ酒場というのは高木さんの好みですか?
高木:ドロップキックの次にミツボシカレーってカレー屋さんを中野に出したんですよ。そこでいろいろ勉強したんですよね。福岡にあったフランス料理店・パロマグリルさんの〆に出てたカレーがめちゃくちゃ美味くて、これでカレー屋をやりたいなと思って、猪熊(猪熊裕介)を修行に出したりして店を始めたんです。
でも、原価率を考えていなかったんです……これがけっこう高くて。味は問題なくてピカイチだったんですけど、300円とか400円代でカレーが食べられる中野で、680円のカレーというのは難しかったですね。それでやっぱり商売として考えたら酒と食べ物だな、と居酒屋をやることにしたんです。
──やはり採算は大事ですね……。
高木:しかも、歌舞伎町でちょうどいい物件が見つかって、それが今のエビスコ酒場だったんですけど、内装はほぼ前の店のまんまなんですよ。それがこの店で、10年持ってるからいい買い物したな、と思いますね。
──新宿そのものの利便性に加え、いずれもプロレス・格闘技会場の新宿FACEから近いというのもあって、DDTファン以外にも広く知られていますよね。店によっては選手のイベントなども開催されていますが、とんでもない騒動も過去にあったとか……。10年以上飲食店を営業してきて、大変なことはありましたか?
高木:大変なことは当然ありますよね……。いちばんキツかったのは、エビスコの初代店長に250万円持ち逃げされたことですね。
──えー!! 初代店長って選手ですか?
高木:違うんです。店立ち上げの時に店長やってくれる人を探してて、ある選手にその彼を紹介してもらったんですけど、「気をつけてくださいね」とは言われてたんですよ。ただ本当に人がいなくて、背に腹は代えられないっていうんで雇ってみて、最初はちゃんとしてたから大丈夫だと思ったら……。
──まんまと……。ちなみにお金は返ってきたんですか?
高木:いやあ、刑事で訴えても返ってこないし、民事で訴えても支払い能力がなかったら一緒なんですよね。もう高い勉強代だと思って諦めました。それであらためて自分のところの選手を使った方がいいや、と思ったんですね。それでKUDOを店長にして、そこから仕切り直し。正解でしたね。
──では逆に飲食をやってよかった、ということは?
高木:本当に救われたなってことがあって、ドロップキックのオープンが2007年で、翌年にリーマンショックがあって、団体の売上がぐんと下がったんです。そこで助けてくれたのがドロップキックですよ! あの店がなければDDTは潰れていました。
──え、そんなに売上があったって意味ですか?
高木:当時、飲食店は銀行からお金を借りやすかったんですよ。それが大きかったです。当時、プロレス団体として苦しいながらにプラスはプラスで運転資金はどうにかなってたんですけど、大きな会場を借りる場合など、先にお金がかかる際に必要な300万円を、どこも貸してくれなかったんです。
プロレス団体でも無理すれば借りれないことはなかったんですけど、利子も高かったし条件も悪かった。でも、飲食店だと条件も良く借りられたんで、そこで首の皮一枚繋がりましたね。
エビスコ酒場のメニューはぼくが通い詰めた店のメニューばかり
3店の中でも、特にエビスコ酒場は店名や店の入り口にあまりプロレス感がなかった。
そのため、最初はプロレスに興味がなかったお客さんも多く、お店の常連になっていくうちに徐々にプロレスを見るようになってくれたというケースも少なくないのだとか。
ちなみに「エビスコ」とは相撲やプロレス界で「大食い」という意味で、しっかりプロレス好きに響く店名。
そんな一般のお客さんの胃袋を掴む理由は、もちろん料理が美味しいから。
──エビスコ酒場は料理も凝ってますよね。肉がメインなんだけど、単純な焼き肉や焼き鳥と違って、ひと味もふた味も違うものばかりで。
高木:エビスコのメニューは、ぼくが通い詰めた店のメニューからとったものが多いんですよ。いろいろな店からインスピレーションを得て創意工夫を加えてるから、似ても似つかない料理になってたりしますけど。
たとえばガーリックソテーは新宿御苑の赤ちょうちんって店の牛を使ったメニューを、うちでは豚にして作ってみたんです。あと茹でタンも元は四谷三丁目(※現在は四ツ谷)にあったたん焼き 忍って店のメニューで。ここは一時期毎日のように通っていたんですよ。ここが18時とか19時に行くと行列になるから、17時のオープン直後に行かなきゃいけないような店で。
──高木さんが足で調べた店の味を「エビスコ流」にしたと。
高木:初期のメニューは、ぼくの幼稚園のパパ友だった方に相談して考えてもらったんですよ。もともと飯倉のCHIANTIってイタリアンの名店で20年くらい料理人やってた人で、最後は料理長にもなった方で、今は独立して「成城の食卓」ってケータリング専門の店をやられてる方なんですけど。
──元CHIANTIの人って、めちゃくちゃ本気の方じゃないですか!
高木:他の店で気になったメニューも改良してもらったり、タレとかも考えてくれたり、あと焼き方なんかもレクチャーしてもらいましたね。
──そういう人に出会っちゃうのがすごいですね。それに高木さんはツイッターを見ても昔からグルメですよね。正直、これまでレスラー取材してきて自分で店を調べて食べに行くタイプの人ってあんまりいなかったんですけど、高木大社長は別格です。
高木:うちはグルメが多いですからね。マッスル坂井とか『dancyu』を読んで行きたい店を普段からチェックしてますから。ぼくは直感とネットの口コミ派ですね。行く店を決めても、入る前に10分くらい店の前で口コミ情報を検索してますから! お金を払ってハズレは引きたくないじゃないですか。
▲炭火焼つくねハンバーグ(680円)
──店の前でも10分リサーチするとは、入念ですね!
高木:ただ、確実に美味いからといって高級店に行きたいわけではないんですよね。ご飯にひとり1万円以上かけていいのは寿司だけだと思ってるんですよ。焼き肉でひとり1万円出したら「そんなの美味いに決まってんだろ!」って思っちゃうんです。飲み物は別にして、4,000〜5,000円くらい出して美味いと思えるのがいい焼肉屋!
──ちなみに最近のお気に入りの食事というと?
高木:ぼくは一度ハマったら通い詰めちゃうんですよ。本当に毎日、飽きるまで食べるんですよね。最近通っていたのは新宿御苑の切麦や 甚六ってうどん屋さんですね。麦食うくらい身体に気をつけているのに、うどんは太るのがわかっていても通ってしまう(笑)。
──やはり炭水化物の魔力が(笑)。
高木:かっぱとか牛坊とかにも、昔はおかしいくらい毎日のように行ってましたから。1週間か2週間は同じ店に通い詰めないと気がすまないんです。それを店のメニューに出来たりするから、無駄にはなってないですよね。そこも飲食店をやってよかったところかな(笑)。
・・・
最後に高木大社長に飲食の運営とプロレスの運営の共通点を聞いたところ、即答で「それはもう顧客満足度の充実ですよね!」と返ってきました。
ちょっとしたことでSNSで美味しかった・まずかった・楽しかった・つまらなかったと発信される時代。ひとつひとつプラスの満足度を積み重ねていくことは、たしかに今、もっとも大事なことでしょう。
ただ、他の団体では採らないような個性的な新人を抜擢し伸ばしていったプロレス団体のトップとしての顔と、自分で店に足を運び、いろいろな人との出会いから魅力的なメニューを作っていく飲食運営としての顔。
一般的な満足だけでなく「こういうのもどう?」と提案してくるような、個性が見えるプロレス、個性が見える飲食店というところに確かな高木大社長らしさ、そしてDDTイズムがうかがえる気がしました。
撮影:齊藤泉
「DDT」試合情報
大会名:東京・両国国技館「Ultimate Party 2019 ~DDTグループ大集合!~」
日時:2019年11月3日(日) 開場13:30 開始15:00
場所:東京・両国国技館
Ultimate Party 2019 ~DDTグループ大集合!~
店舗情報
エビスコ酒場 新宿歌舞伎町店
住所:東京都新宿区歌舞伎町1‐14‐6 第21東京ビルB1F
電話:03-5155-0821
営業時間:火曜日~土曜日15:00~翌0:00 (料理L.O. 23:00 ドリンクL.O. 23:30)、日曜日・祝日: 16:00~23:00 (料理L.O. 22:00 ドリンクL.O. 22:30)、祝前日15:00~翌0:00 (料理L.O. 23:00 ドリンクL.O. 23:00)
定休日:月曜日