電流爆破マッチの「邪道」レスラー
日々、リング上で熱い闘いを見せるプロレスラーたち。 その試合の基盤にあるのはタフな練習、そして “食事” だ。
その鍛えた身体を支えるための日々の食事はもちろん、レスラーを目指していた頃の思い出の味、若手の頃に朝早くから作ったちゃんこ、地方巡業や海外遠征での忘れられない味、仲間のレスラーたちと酌み交わした酒……。
プロレスラーの食事にはどこかロマンがある。そんな食にまつわる話をさまざまなプロレスラーにうかがう連載企画「レスラーめし」。
▲写真提供:株式会社大仁田屋
2019年最初に登場するのは「邪道」「涙のカリスマ」として知られる大仁田厚さん。
プロレスファンならずとも頭に浮かぶ顔とパフォーマンス、その知名度は圧倒的です。
プロレスデビューは1974年。新日本プロレスで初代タイガーマスクが活躍していた時代、全日本では大仁田厚がジュニアの看板を背負っていました。しかし左膝蓋骨粉砕骨折という大けがに遭い、全日本プロレスを引退することに。
その後タレントや女子プロレスコーチを経て、プロレス復帰。
そして1989年、自らの団体・FMWを旗揚げします。
▲写真提供:株式会社大仁田屋
「全財産5万円で始めた」というお金もない団体であり、また毎週テレビで放映される新日本・全日本に比べて一線級の選手もいませんでしたが、大仁田厚の生み出した最大最強のアイデア「ノーロープ有刺鉄線電流爆破デスマッチ」で一躍ブレイク。
ターザン後藤、ミスター・ポーゴを筆頭としたライバルたちと過激な闘いを繰り広げ、それまでプロレスに興味ない人も振り向かせて一躍時代の寵児(ちょうじ)に。
▲写真提供:株式会社大仁田屋
1995年にはFMWビッグマッチの代名詞である川崎球場で2度目の引退。
しかしその後復帰と引退を繰り返すなか、長州力や蝶野正洋、曙、高山善廣といった面々との電流爆破マッチを実現します。
現在は7回目の復帰を果たし、海外では「ハードコア・レジェンド」としてその名声も高く、あらたに戦いの場を広げて活動中。
また2018年4月に佐賀県神埼市市長選に出馬するも落選、その後も自分の故郷である九州を盛り上げるべく同地を本拠地としつつ、日本全国、さらに世界を舞台に闘いを繰り広げています。
ボディスラムで鼻からスパゲティが
インタビューの直前、「この前、天龍さん取材してただろ? 記事、読んできたよ」と笑顔で語りかけてきた大仁田さん。全日本プロレス最初の新弟子だけに、天龍さんよりさらに前、まさに黎明(れいめい)期の全日本プロレスを知る男です。
大仁田:俺の若い頃はさぁ……小林邦昭と俺が「エビスコの二大巨頭」(※エビスコ=プロレス用語で「大食い」。元は相撲用語)と呼ばれてね。小林邦昭が新日本のエビスコなら、全日本プロレスは大仁田厚だって言われてたんだよ! それも、むりやり食わされてたんだけどな。
──新日本も全日本も、昭和の時代はまず食わされることから新弟子スタートですね。
大仁田:入門当時、体重が50何キロだから、早く90キロになれって言われて、とにかく食わされたよね!「90キロにならないとクビだぞ」って言われてたからさ、毎日どんぶり20杯くらい食ってたもん。それに給料と小遣いの全部をめしにつぎ込んだよ! 食うのが俺のレスラーとしての生命線だったね。
──とにかく太らないとクビ! もともと子どもの頃から大食いだったんですか?
大仁田:まあ、めし食うのは好きだったけど、普通10杯20杯は食わないよな(笑)。
──先輩たちからも、さんざんめしを食わされましたか。
大仁田:そうだなあ。忘れもしないのが、東スポの社長と馬場さん(ジャイアント馬場)がいて、もう散々めしを食った後でお腹いっぱいなのに「大仁田、お前スパゲティ食えるか?」って聞いてくるんだよ。そう言われたら「はい、食えます!」って言うしかないじゃない。そしたら、10人前も持ってくるんだよ! ナポリタンを10人前だよ、すげえ量でさあ。しかもその夜、ファン感謝デーの試合なんだよ。
──馬場さんも無茶言いますね(笑)。
大仁田:ホントだよな! それで試合は忘れもしない夜の川崎体育館15分1本勝負。伊藤正男さんと戦ってさあ。ゴングがカーンと鳴った瞬間、ボディスラムをドーン! とやられて。そしたら鼻からスパゲティがビューッ! と出てきてさあ。
──麺が胃から口じゃなくて、鼻から出てきた!
大仁田:わけわかんないけどさあ。食べてる時はケチャップで真っ赤だったけど、鼻から出てきたときは白かったね。あの時は笑ったな、鼻から麺が吹き出すんだもんな!
──ナポリタン10人前も食ってプロレスするとそうなるんですね。
大仁田:だってもう無理して食ってるからさあ。ご飯20杯だって、そうだよ。10杯目くらいから、もううまいとかの世界じゃないんだよ、ただもう流し込んでるだけ。「もうダメだ〜」って思ったら、ヤカンの水を流し込む。そんな食い方だったよね。
こんなうまいものがあるのかよ! 夢物語かよ!
──大仁田さんは、馬場さんが日本プロレスを退団して立ち上げた全日本プロレスの新弟子第一号ですよね。
大仁田:そうだね、第一号だね。それですぐ馬場さんの付き人になったから、馬場さんからはずいぶんかわいがってもらったけど、先輩にはいじめられたよなあ。めしとかにも、だーれも連れて行ってくれなかったもんな。だいたい俺も馬場さんと元子さん(ジャイアント馬場夫人)とずっと一緒にいるんだけどさ。
──馬場さんと一緒なら、けっこうおいしいものを食べられたんじゃないですか? 付き人時代は。
大仁田:それはすごかったよ! だってねえ、馬場さんがハワイに行く前に空港に連れて行ったりするんだけど、そこで食べたビーフストロガノフ! 初めて食べたけど……これがもう、うまくてさあ……(実感を込めて)。「なんだこれは!? こんなうまいものがあるのかよ! 夢物語かよ!」って思ったよな。
──人生初のビーフストロガノフは衝撃でしたか。
大仁田:それでいまキャピトル(ザ・キャピトルホテル東急)になってるけど、元ヒルトンよ! 赤坂の上にあるホテル。あそこで馬場さんがおいそうにアイスティーを飲むわけよ。5杯も6杯も。
──天龍さんも言ってましたが、馬場さん本当にアイスティーが好きだったんですね(笑)。
大仁田:そのうえ、アメリカンバーガーが出てくるわけ。これがアメリカのバーガーなんだあって思って食ったよね。あと出てきたのが排骨麺でさ、「こんなトンカツみたいなのがのってるラーメンがあるんだ!」ってもう、本当に驚いたよ。
──70年代、最高で最新の食事って感じしますね。
大仁田:アメリカのラスベガスに連れて行ってもらった時は、こ~んな!(指でサイズを表現しながら)ブ厚いステーキを食わされてさあ。それまでアメリカの肉って硬いもんだと思ってたから、アメリカの肉もまあまあ柔らかいなー! って思って食ったよね。ただ、それが100ドルくらいするいい肉だったからなんだけどな。その後、遠征で食った田舎のステーキは硬かったもんな(笑)。馬場さんの付き人をした時くらいだよ、そんなうまいものを食べたの。
──入門が16歳ですから、未知の食べ物ばかりだったんじゃないですか。
大仁田:いや、おれけっこう裕福な家庭に育ったんだよ。家が呉服店で。だからほとんどの物は食べてたんだよ。子どもの頃からツバメの巣のスープとか飲んでだからさ。肉っていったらステーキ屋さんで、って決まってたし。
──そうだったんですか! あまりにFMW初期のお金がないイメージが強くて(笑)。
大仁田:地元が長崎だから、中華料理っていうと「四海楼」とかで食べてたよ。
──四海楼と言えば、「ちゃんぽん」「皿うどん」発祥のお店と言われる長崎の名店ですね。じゃあかなり食に関しては……。
大仁田:困ったことなかったね。まったくなかった。
──ちなみに子どもの頃好きだった食べ物というと?
大仁田:うーん、タンシチューかな?
──それは間違いなく金持ちのご実家ですね(笑)。
大仁田:それでも馬場さんに食べさせてもらったもんはすごかったよ! 初めてのものばっかりだったもんな。馬場さんは大食いだとかそういうのじゃなくて、本当にいいもんを食ってたよね。
実は子ども時代は裕福な食生活だったという大仁田さん。しかし、それをさらに超えるメニューが出てきたというから、大スターだった馬場さんの当時の生活のすごさがうかがい知れます。
ジャイアント馬場さん「二度と渕は連れてかないぞ」
大仁田:あと馬場さんというと、こういう話があってさ。札幌で「寿司食いにいくぞー」って言って、あと「渕呼んでこーい」って言うわけよ、馬場さんが。
──ほぼ同期の渕正信選手ですね。
大仁田:それで、お寿司屋さんに行ったのよ。それで「おお、お前ら食え~」って言って。その時、不思議なことにトロが16個並んだんだよな。なんで16個なのかな? って思ったら、「あっ、16文か!」って。
──お寿司屋さんが気を使って16個出すんですね。
大仁田:そうそう。それで、俺は付き人を何年もやっててわかってるから、マグロとかを食べるにしても空気を読んで馬場さんよりワンランク下のものを頼んだりするわけよ。でも渕さんはまったく遠慮せずにイクラだのウニだの大トロだのを注文するわけ!
──そこが付き人とそうじゃない渕さんの差なんですね。
大仁田:そういうタイプなんだよな、どう見ても(笑)。食事の後、馬場さんは、いつもホテルに帰ってからコーヒーを飲むんだよ。それで俺に「おう、大仁田ぁ、渕は二度と(お寿司屋さんには)連れてかないぞ」って。
──好きなもの食え、といっても気を使えと。
大仁田:いくら自由だっていっても、お寿司屋さんではワンランク下のものを頼まないと! 無礼講だっていっても気を使えよっていうね。ホント渕さんは空気を読めなかったね(笑)。
おれは鶴田さんが好きだったよ
──大仁田さんは馬場さんの付き人がほとんどっておっしゃってましたけど、ちゃんこ番をすることもあったんですか?
大仁田:食事の手伝いをやらされて、次第に覚えて作るようになってさ。ただ、ちゃんこ番をやってて一番印象に残ったのは、レスラーって力道山の時代から始まって、相撲の世界を引きずってるんだなと思ったことだね。“タニマチ”ってスポンサーのことだし、いい女のことを“金星”、“エビスコ”は大食い、の意味だしね。そういう相撲言葉を自然と使ってて、ちゃんこだって相撲流なわけじゃん。
──今以上に相撲の作法が強い時代でしょうね。
大仁田:ただ、俺らの頃はジャンボ鶴田さんがいてさ。鶴田さんがいる合宿所に入るわけよ。それで先輩たちも来るんだけど、鶴田さん式ちゃんこになるんだよな。それが意外とチープなんだよ(笑)。相撲出身の人がつくるちゃんこはアンコウ鍋とか、それにさらに刺身がついたりするんだけど、鶴田さんのちゃんこは毎回、鶏の湯豆腐でさあ。鶏が安いからね。
──鶴田式ちゃんこは安い!
大仁田:ただ、チープな鶴田さんの鶏鍋が俺たち新弟子にとっては一番うまかったよ。他の相撲取りあがりが作ったちゃんこだと、全部いいもんから食われていくんだよ。アンコウ鍋とか出ても、俺たちが食べる頃にはあん肝なんて残ってない。身が残ってないから、若手は野菜しか食えないの。だけど鶏鍋だと、安いぶん肉がいっぱいあるから、俺たちでも食えるわけよ。鶴田さんのいいところは「食べるのは平等だ」って言うわけ。俺たちも最初から箸をつけていいんだよ。
──なるほど! 意識がそれまでの相撲流とは違ってたんですね。
大仁田:あの頃は鶴田さんがいたことで、プロレスが新しい波に乗っていく感じはあったよね。だからおれは鶴田さんが好きだったよ。
──鶴田さん、先輩の選手たちからやっかまれたという話もありました。
大仁田:まあ、やっかむでしょう。やっぱりずば抜けたスタミナがあったしね。長州さん(長州力)と戦っても、試合後に控室でスクワットしてたって話あるじゃない。そういうところは素晴らしかったな、俺から見ても。
地方のファミレスで27万8千円
さて全日本プロレス時代に続いて、一念発起して旗揚げしたFMW時代の話をうかがいます。けがをして辞めた選手や誰も知らない新人、怪しい外国人選手ばかりだった黎明(れいめい)期。
テレビ局などの大手スポンサーもない弱小プロレス団体・FMWが成功するとは誰も思ってはいませんでした。
──FMWは「5万円で立ち上げた」というエピソードが有名ですが、最初の頃はめし代にも困ったんじゃないですか。
大仁田:もう、貧乏なんてもんじゃないよ! 亡くなった(FMWの)荒井社長とめし食いに行って、居酒屋さんに入って「2,000円しかないから、これで何か作ってください」って、そんなのばっかりだったね。あと国道15号だっけ、あの辺の商店街の中華料理屋さんに入って、そこの豚の生姜焼きがうまくてさあ。それをひとつだけ注文して、荒井とふたりで半分に分けて食べたりしてたね。
──子どもの頃からけっこういいもの食べていたのから考えると、途端にお金がない時期でしょうね。
大仁田:そうだね。貝汁をご飯にかけて食うのが一番幸せだったりしたよな。
──ただ、そのFMWも徐々に成功していって、おいしいご飯を食べられるようになったんじゃないですか。
大仁田:いやあ、覚えてることっていうと、そういう話よりも金がかかった話だよな(笑)。地方での試合とかになると、終わってリングを片付けたら、もう遅い時間だからさ。ファミレスくらいしか開いてないんだよ。そこに若手に外国人、もうみんなで移動するわけ。で、特に外国人の選手なんだけど、あいつらって不思議なもんで、とにかくめしに金をかけないんだよ。みんな金を貯めるためなのか、ごはんにしょうゆかけただけみたいなもんしか食わないんだよな。
──FMW初期、怪しかったり豪快な外国人レスラーが多かったですけど、裏は質素だったんですね。
大仁田:なあ! そのころの付き人は田中(田中将人)だったかな。「田中、しょうがねえから、今日は全部俺が払うようにみんなに言え」って言ったら、みんなダーッて我先にとオーダーするんだよ(笑)。地方のファミレスで27万8千円払ったことあるよ! 全部で30人くらいじゃなかったかな。
──ファミレスでひとり1万円近く(笑)。
大仁田:あと焼肉屋さんが一軒しかなくて、また同じように「俺が払う!」って言ったら2階で外国人がワーッてなってて、どうなったんだ? と思ったら、払う時に58万円って言われたこともあったな。でも、気分的には焼肉屋さんよりファミレスのときの方が痛かったね(笑)。
──トップになって金を払う方の大変さを知ったんですね。
大仁田:だから、ひたすらグッズにサインしてたよな。選手のめし代を稼がなきゃいけないって。
──特に初期は大仁田さんが食わせないと、て感じでしょうね。
大仁田:そう。だから埼玉の川越かどこかに寮を借りて選手には住ませてたんだけど、ちゃんことか、あいつらがどういうのを食ってたのか知らないんだよな。自分は東京で、お金のことやパブリシティーとかをしなきゃいけないしさ。
──川越まで行く時間も惜しい。
大仁田:ただ、「オイ、それは止めてくれよ!」ってことがあって。営業部長の高橋が、ご飯と納豆だけ買ってきて納豆ご飯にして食ってたんだよ。それが皆にはやっちゃってさあ。「俺らは納豆ご飯の生活から脱却しなきゃいけないんだよ! 普段リッチなやつがたまに納豆ご飯食べてるんならいいけど、まだ下っ端のうちに毎日食ってんじゃねえよ!」って思ったよな。
──アハハ! もっとハングリー精神を持て、ってことですね。
大仁田:納豆ご飯ばかりの生活をもっとみじめに感じてくれないと、俺たちは終わりだぞ! って本当に思ったよね、あの時は。
うな重を食べたら、傷跡からうなぎの骨が
──ちなみにデスマッチの後とか、血まみれになるわけじゃないですか。そういう試合明けの時って普通にご飯を食べてたんですか?
大仁田:普通に食べてたよ。病院に行ってもめしは食べる。ただ、食べられなかったのが鹿児島での試合後に急性扁桃炎で倒れた時の話でさあ。しばらく喉を切開してチューブの管を入れて、そこからバナナの腐ったやつみたいな流動食を入れさせられたね。それでやっと普通のめしを食べていいって言われて、うな重を食べたんだよな。
──とにかく病気が悪化していて、先生から「70%の確率で死んでた」って言われたそうですね。そんな状態で試合していた。
大仁田:試合に穴開けるわけいかなかったからね。ただ、やっと治ったって言われて、それで早速うな重を注文して病室で食べたんだよ。出前だから肝吸いじゃなくて味噌汁だったんだけどさ。そしたらその翌日、まだ喉についてる管からなんか出てくるんだよ。それで触ったらネギが出てきてさ。
──ええ!?
大仁田:看護師さんに「(喉を指差して)ここからネギ出てきたんだけど」って言ったら、「そんなところから出てくるわけないですよ」って言われて、また触ったら今度はうなぎの骨が出てきた(笑)。
──ええええ!?
大仁田:本当にあったんだって! 管から前の日のうな重が出てるっていうんで、それでまた緊急手術になってさ。何時間もかけて洗浄してもらって。たぶん傷がふさがってなかったんだろうな。でもお医者さんが食べていいって言うからさあ!
──そりゃ食べますよね(笑)。ちなみに傷だらけの闘いを繰り広げてきた大仁田さんの経験上、一番傷を治す食べ物ってなんですか?
大仁田:傷にいい食べ物……やっぱり肉だよなあ。野菜メインじゃ治らねえよな!
──じゃあ普段からやっぱり肉はよく食べますか。
大仁田:ビッグマッチの前はよくモスバーガーを食べてたね。ゲンがいいとかじゃないけど、好きなんだよな。というかハンバーガーで育ってきたようなもんだもん、俺たちの世代は。マクドナルドとかモスバーガーとかが出てきた頃に育って、アメリカに行ったらずっと車を運転してるから片手で食えるもんがいいっていうんで、ハンバーガー。試合終わって行くところもハンバーガーか手作りのサンドイッチか。それしかないんだもん。もうクセになっちゃったよな。
「紳士」だったアンドレ・ザ・ジャイアント
先に書いたとおり「全日本のエビスコ代表」だった大仁田さん。
そんな彼から見て、さらなる「エビスコ」はいたのでしょうか? と聞くと「世界の大巨人」の名前が出てきました。
大仁田:やっぱアンドレ(アンドレ・ザ・ジャイアント)だろうね! 俺がフロリダのツアーに行った時にいたんだよ。試合が終わるとみんなでセスナに乗って、タンパまで帰るんだよ。俺もいくらか払って乗せてもらったんだよな。その時一緒に乗ったのがアンドレでさ。
──飛行機の同乗者がアンドレって、人生に二度とない体験ですね。
大仁田:飛行機が飛ぶ前に皆でめしを買いに行くんだけど、そうするとアンドレはチキンだけで30ピースくらい買って、あと卵20個、それに缶ビールを6本入りのパックを5つ買ったから30本か。それだけの量を持って、乗ってくるんだよ。そもそも、ひと口の大きさが違う。俺らは卵とか2口くらいで食うけど、アンドレはひと口で3個くらい入れるんだもん。
──まさに怪物、ですね。
大仁田:チキンも2つくらい一緒に口に入れて、骨ごとバキバキ食っちゃう。俺もセントピーターズバーグ(米フロリダ州)で戦ったんだけど、トイレに行ったら、ケツが目の前の高さにあるんだから。とにかくデカかったし、プロレスも上手かった。プロレスに関してはある種の天才だったね。
──デカいだけじゃなかったんですね。
大仁田:モンスター・ロシモフの名前で国際プロレスに来たことで大成したよね。それにものすごい紳士だったね。日本流の厳しさを国際プロレスで学んだからか、日本人に対してぜんぜん無礼に接することがなかった。外国人でも二通りいるじゃん? 日本人に対して上からくるやつと、そうじゃないやつ。おれも昔は大変だったけどね。今では言われなくなったけどさ。向こうじゃ「ハードコア・レジェンド」って呼んでくれるから。
次の夢は「ナイトマーケットで電流爆破マッチ」
──最近になって大仁田さん、海外での試合も増えてますよね。
大仁田:そうなんだよ。今度ニューヨークに行くんだけど、その後イギリスに行って、オーストラリアとメキシコから試合のオファーもあるんだよ。日本だと「大仁田~、本当にお前レスラーかぁ~?」って絡んでくるオヤジとかいるけどさ、あっちはちゃんとリスペクトしてくれるよね。
──まさにプロレス界のレジェンドは海外にもいっぱいいますが、デスマッチにおけるレジェンドはそういないですからね。
大仁田:今、海外を飛び回ってんだよ。プロレスもだけど、4月に佐賀県内にナイトマーケットを作る予定なんで、しょっちゅうタイとか台湾とかに行ってるんだ。この前はフィラデルフィアからデトロイトを回って、その足でタイに行ってきたりしてな。プロレスやって、ナイトマーケットを見に行って。ナイトマーケットはアジアではやってて、バンコクのナイトマーケットがシンガポールに進出したり、盛り上がっているよ。
──ナイトマーケット! アジアの各国に夜市ありますけど、それを佐賀でやるんですね。
大仁田:選挙に落ちて、今は町おこしを一所懸命やりたくてさ。田舎は土地があるじゃない? いっぱいお店を出して、そこで花火やったり電流爆破やったりしたら、面白いじゃない。
──そこで電流爆破を出せるのは大仁田さんだけです(笑)。
大仁田:といってもナイトマーケットも金かかるからさ、商工会に話通して、スポンサー探して、50店舗分の灯りをつけて、オブジェはどうする……とかを仲間と話してさ。俺は、「人が集まる観光地がなければ作ればいい」って考えてる。本当、一所懸命やってるから、4月になったら見に来てよ!
──大仁田さんが作るナイトマーケット、むちゃくちゃ気になります!
7度に渡って引退と復帰を繰り返したのもあり、まっすぐなプロレスファンからはあれこれ言われがちな大仁田さん。
しかし還暦を過ぎてからもプロレスや政界、さらにナイトマーケットの立ち上げ……と、まだまだその野望は止まらないようです。
大仁田さんからあふれ出るバイタリティーには、プロレスラーとして以上に、人間としてのすごみを感じずにはいられません。
撮影:渡邊浩行
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