「機動戦士ガンダム」「装甲騎兵ボトムズ」の大河原邦男
「超時空世紀オーガス」「聖戦士ダンバイン」の宮武一貴。

「機甲界ガリアン」「機動警察パトレイバー」の出渕裕。
12月15日、東京都の稲城市立iプラザホールに、世界的にも有名な3人のメカデザイナーが集結。初めての「メカデザイナーズサミット」(主催:稲城市)が開催されました。

ホストを務めるのは、1972年から放送された、タツノコプロ制作の「科学忍者隊ガッチャマン」で“世界初のメカ専門デザイナー”としてデビューし、今年40周年を迎える大河原氏。
当時、アニメに登場するロボットや兵器などのメカは、キャラクターデザイナーか、美術監督がデザイン担当を兼任していました。ロボットなどはキャラクターデザイナーに、基地、戦艦などは美術監督に任されることが多かったそう。
例えば、タツノコプロで大河原氏の上司だった中村光毅は、美術監督でありながら「マッハGoGoGo」の主役メカ・マッハ号など、時代を越えて評価されるメカのデザインも手がけています。
新入社員だった大河原氏は、中村美術監督から「ガッチャマンのメカをやらないか?」と声をかけられ、敵側ギャラクターのメカなどを担当。エンディングで「メカニックデザイン」とクレジットされました。それが、アニメ界で初めてメカ専門のデザイナーが生まれた瞬間です。

宮武氏も、大河原氏とほぼ同時期から第一線で活躍してきたメカデザイナー界の重鎮。「宇宙戦艦ヤマト」「超時空要塞マクロス」など、数々のSFアニメの企画、設定、デザインなどに関わってきたスタジオぬえの創設者の一人でもあります。

この二人の前では、1979年の「闘将ダイモス」でデビュー以来、アニメ、特撮など幅広い分野で才能を発揮し、現在は「宇宙戦艦ヤマト2199」で総監督を務めている出渕氏も、自称「ぺーぺーの小僧」。トークショーの中では、先輩二人から、答えに窮するきわどい質問をされて焦る場面もありました。

出渕「危険な球を投げてきますね、先輩!」
宮武「いや~。そのことを大河原さんが聞いてくれるとは思わなかったな(笑)」
大河原「さっき、梨ワインを飲んだからね」
出渕「ちょっとしか飲んでなかったじゃないですか!(笑)」

先日、放送されたスカパー!の特番でも対談し、楽屋での昔話も大いに盛り上がったという3人。メカデザイナーたちが「デザインについて熱く語り合う」という趣旨で開かれたこのサミットの中でも、今だから言える数々の裏話が披露されました。その中から、特に印象に残ったエピソードを紹介しましょう。


<ガンプラブームがロボットのデザインに与えた影響>

1980年に、大河原氏の代表作「機動戦士ガンダム」のプラモデルがバンダイから発売開始。すると、全国的に品切れが続出。社会現象にまでなりました。ちなみに、1974年生まれの筆者が、「予約」という言葉を覚えたのもガンプラブームのときです。
ガンプラブーム以前までは、ロボットアニメの立体物商品といえば、“超合金”などのダイキャスト(金属製)モデル。そのため、STマーク(玩具安全基準)を通過するための条件がかなり厳しく、デザインの段階から「尖っている部分は全部省かなくてはいけないし、強度的にも、子供が落としたときのことまで考えなきゃいけない」(大河原)という状況でした。
しかし、ガンプラブーム以降、ロボットアニメのメイン商品がプラモデルへと移行したことで、その制約が取り払われ、メカデザイナーの表現の幅はかなり広がったそうです。
宮武氏も、「バンダイさんと大河原さんがMSV(ガンプラを中心とした新モビルスーツの企画)をやってくれたおかげで、私はマクロスをできたんですよ」とコメント。
また、敵側のロボットが数多く商品化されるようになったのも、ガンプラブーム以降の傾向として挙げられていました。

<苦労させられたガンダムと、自由に描けたザク>

「機甲界ガリアン」(1984年~)では、主役ロボのガリアンを大河原氏、その他のロボットやメカを出淵氏がデザインしています。本来は、大河原氏がメインで担当する予定の企画でしたが、家族の病気により降板。出渕氏らがその役割を引き継ぐ形になりました。


大河原「でも、(スポンサーの)タカラさんから、主役になるロボットがいないので、主役を作ってくれと言われて。ガリアンはあっという間に作ったんですよ」
宮武「それは、頭の中に大量のストックがなかったらできない芸当ですよね。あっという間に描いたというと驚く人もいるかもしれませんが、ロボットやメカのデザインなどは、最初の一晩で描いたものが、そのまま成長していくことが多いんですよ」
大河原「多いですよね。ザクなんかもそうですね」
宮武「デザインを拝見させて頂いても、これは頭の中に形があったんだろうなって感じます。たとえ(形が)見えて無くてても、指先から自然に出て来たものだと思うんですよ。メカデザイナーにとっては、そのストックを満たすための土壌をいかに作るか、いかに大量の種をまいておくかが大切になるんです」
出渕「(田畑の)土は耕しておかないと、死んじゃうって話に近いのかも。
僕も、たしかにパッと描けたものの方がうまくいくんですよね」
大河原「ガンダムのときは、主役の3機(ガンダム、ガンキャノン、ガンタンク)に苦労させられたんですよ。スポンサーの意向もあって。でも、その当時、敵メカは商品化されないので(自由にできるから)、主役を食うようなものを作ろうと思ったんです。そうしてできたザクは、ガンダムに並ぶキャラクターに育ててもらった。(監督の)富野さんの扱いもすごく良かったから」
宮武「1話のイントロダクションのザクの動きが無かったら、ガンダムはとても今のような状況にはなってなかったですよね」
大河原「あれは、安彦(良和)さんの力ですよね。あと、やられメカじゃなく、兵器として扱ってもらえたのも大きかった」

「機動戦士ガンダム」でキャラクターデザインと作画監督を兼任した安彦氏については、3人全員が、その才能を絶賛していました。

<宇宙戦艦ヤマトの波動砲の秘密>

宮武氏は、「宇宙戦艦ヤマト」のデザインに関する、意外なエピソードも披露。
1974年に放送された「宇宙戦艦ヤマト」では、松本零士監督がメカデザインも担当。松本監督の描いた原稿を、スタジオぬえの宮武氏らがクリーンナップする形で設定制作が進められました。しかし、後にこの作品の著作者人格権に関して法廷闘争を繰り広げることになる、西崎義展プロデューサーと松本監督の間で、ヤマトのデザインに関して意見が対立。争点は、実在した戦艦大和の艦首にあった、菊の御紋でした。

宮武「西崎さんは、菊の御紋が無いとヤマトではない。絶対に必要だと。でも、松本零士さんは反戦的なところがあるので、絶対につけない。じゃあ、菊の御紋に見えれば良いんですよねってことで、(艦首の)菊の御紋をそのまま引っ込めた。それが、波動砲なんですよ」

たしかに、宇宙戦艦ヤマトの艦首に装備された波動砲を正面から見ると、内部のモールドが菊の花びらに見える!
「宇宙戦艦ヤマト2199」を制作中の出淵氏も、スカパー!特番の控え室でこの話を初めて聞き、驚いたそう。

出淵「宮武さんからは、ヤマトネタをかなり掘り出しているつもりだったんですけど。知らないネタが出てきて、久しぶりにドキドキしました。まだ、もうちょっとあるかもしれないから、掘ってみようかなって思います(笑)」

この3つのエピソードの他にも、「新世紀エヴァンゲリオン」の庵野秀明監督と親交のある出淵氏が、企画の初期段階で庵野監督に頼まれて、「スマートで鬼みたいな顔をしたゲッターロボ」のようなデザイン案を描いたことなど、興味深い話ばかりの約1時間50分でした。
ホストの大河原氏は、次回開催に向けて前向きな様子。
ぜひ次回の「メカデザイナーズサミット」では、今回のトーク中も何度か名前が挙がっていた、河森正治氏らの登壇も期待したいところです!
(丸本大輔)