2m、160kg近い体躯を生かし、横綱・双羽黒としても活躍した北尾光司を覚えているだろうか?といっても、横綱在位はわずか8場所。度重なるトラブルの末、最終的には親方と大ゲンカした際に仲裁に入ったおかみさんを突き飛ばしたとされ、角界追放同然に廃業になった問題児だ。

タチが悪いのは、その後プロレスラーになってからも多くのトラブルを起こしていること。相撲界とプロレス界、双方に大ダメージを与えた稀代の大ヒールなのである。

優勝がないままに横綱になった北尾、親方とケンカしてあっさり廃業


北尾は優勝経験がないままに1986年の秋場所で横綱に昇進したのだが、それは千代の富士の「一人横綱」を解消するため。「仮免横綱」とも揶揄されたが、全盛期を迎えた千代の富士と互角に渡りあえるライバルとして期待が持たれていた。
しかし精神面のもろさが弱点であり、前述のようにあっさりと廃業となる。
これ以降、横綱昇進の条件には2場所連続優勝が課せられることとなった。現在、日本人横綱がなかなか誕生しない背景には、北尾の問題行動があったことは間違いない。


現在は親方側にも非があったとされているが、当時は北尾の暴言ばかりがクローズアップされていた。ケンカの要因として、「ちゃんこがマズかった」「ファミコンのデータをおかみさんに消された」などなど、子供じみた理由が数多く報道されたが、「あの北尾なら……」という空気が占めていたのも事実。実際、プロレス転向後も多くの問題を起こしていく。

ド派手なプロレスデビューを果たすも5ヶ月でクビに


「スポーツ冒険家」という謎の肩書きのタレント活動を続けていた北尾はプロレスに転向。
“鉄人”ルー・テーズの元でトレーニングを積んだ上で、'90年2月10日の新日本プロレス東京ドーム大会で華々しくデビューを飾っている。

デーモン小暮(現デーモン閣下)作曲のド派手な入場テーマに乗って現れたのは、横綱時代のイメージを一新する北尾の勇姿。角刈り頭にメッシュ、サングラス、ギラギラに鋲が打たれた丈の短い革ジャン、まぶしいイエローのコスチューム……。
ド肝を抜くダサさであった。
切れ目の付いたタンクトップを破ってのデモンストレーションは“スーパースター”ハルク・ホーガンのオマージュだったが、出てきたのはポヨンポヨンのぽっちゃりボディ。なのに、ドヤ顔を決めまくる北尾。客席との温度差にまったく気付いていないのが痛い。

相手のクラッシャー・バンバン・ビガロはプロレスの名人。ド素人の北尾の良さを引き出そうと必死だったが、基本のブレンバスターさえも満足な受け身が取れない始末。
ファイティングポーズもキックも様にならないまま、北尾のギロチン・ドロップで唐突に試合は終了するが、勝ち名乗りを上げる北尾に飛んだのは盛大なブーイングと「帰れコール」であった。

以降も一向に試合運びが上達しない北尾は、ケガを機に練習サボるようになる。試合の欠場も多くなり、現場責任者の長州力を激怒させる形で、約5ヶ月で新日本プロレスと契約解除となってしまった。

北尾光司、禁断の「八百長発言」でプロレス界追放へ


次いで北尾はメガネスーパーの大資本を受けた新団体「SWS」に入団する。
事件が起きたのは、'91年4月の神戸大会。元幕下の琴天山ことアースクエイク・ジョン・テンタとの対戦時だ。

前哨戦をテンタが勝利した上での2戦目での出来事だった。テンタも196cm、205kgと北尾に負けない超巨漢。相撲での番付は圧倒的に上でも、アマレスの実績を誇りプロレス界でもトップに位置するテンタにまったく歯が立たない北尾。いら立つ北尾は場外から本部席の机を投げる、ケガのリスクが高い正面からの膝を狙った蹴りを放つ、目潰しを仕掛けるポーズを取るなどケンカ腰のファイトで挑発して試合を壊した挙句に反則負けとなった。

問題はそこから。マイクを握った北尾は「この八百長野郎!八百長ばっかりやりやがって!」と絶叫。
さらに客に向かって「こんなもの(八百長試合)見ておもしろいのか!?」とわめき散らしたのだ。一般週刊誌も取り上げる大スキャンダルとなり、北尾はプロレス界追放の形で解雇となるのであった。

その後、「空拳道」という謎の武道を支持した北尾は格闘家に転身して、なし崩し的にプロレス界に復帰。高田延彦にハイキックを食らって壮絶なKO負けを喫したこと(記事は こちら )が禊となったか、しぶとくプロレス・格闘技を続けることとなる。
引退セレモニーは'98年10月の『PRIDE4』にて。舞台は盛大にコケたデビューと同じく東京ドームだった。

高田vsヒクソン・グレイシーの再戦目当てで、静岡から観戦に行っていた筆者。唐突に行われた北尾の引退式が予想以上に長引いたために、最終の新幹線に間に合わず、高田連敗ショックを引きずりながら東京駅前を右往左往したのが昨日のことのように思い出される。北尾、どこまでも迷惑な男である……。
(バーグマン田形)

※イメージ画像はamazonより週刊プロレス (1989年6月20日号 北尾光司氏プロレス転向, 321)