リアリティー番組に潜むリスクと製作者の法的責任 「テラスハウス」事件を二度と起こさないためにできること

知的財産権・エンタメ
國松 崇弁護士 東京リベルテ法律事務所

目次

  1. はじめに - リアリティー番組とは
  2. リアリティー番組の特徴 - 出演者に対する視聴者の目線
  3. リアリティー番組出演のリスク - 現代社会特有の「炎上」現象
  4. 国内外のリアリティー番組で顕在化したリスク - 出演者の損害
  5. 製作者の法的責任 - 出演契約からのアプローチ
    1. 出演契約の法的性質
    2. 委任者としての責任(民法650条3項)
    3. コンテンツ提供者としての責任
    4. その他出演者の誹謗中傷に対応する義務
  6. これらからの課題 - 出演契約書の作成と適切なインフォームドコンセント

はじめに - リアリティー番組とは

 今日、テレビやインターネットで視聴者に提供される映像コンテンツの量は膨大化し、かつ、その制作手法も非常に多様化しています。そのため「リアリティー番組とは何か」と一言で表すことは難しくなっていますが、本稿では、「『特定の出演者が本人として出演していること』、『当該出演者の行動や場面設定に関して、一定の脚本や演出、あるいは事実の創作が存在しないこと(いわゆる「やらせ」ではないこと)』が前提として制作・提供されている番組」と狭義的に定義付け、昨今問題となっているリアリティー番組の出演者への誹謗中傷に関し、主に製作者の立場から、義務や責任の有無、製作にあたって意識したい点などを中心に検討を試みたいと思います。

 なお、過去には、現実の事象を扱っているといいながら、実は出演者が製作者の用意した脚本や演出に沿って行動していたようなケースや、あるいは、出演者自身はそのことを知らないが、番組の中で前提事実とされていることが実は製作者側の捏造であったようなケースが現実に存在しました。こうした番組も、視聴者にはリアルだという前提で提供されている以上は、形式的にはリアリティー番組だともいえなくもありませんが、実際は単なる「作り込み番組」であり、本稿の中ではリアリティー番組とは明確に区別して考えることにします。

リアリティー番組の特徴 - 出演者に対する視聴者の目線

 上記のとおり、リアリティー番組には具体的な脚本や演出がなく、出演者が自らの判断に基づいて行動することを基本としており、それがドラマなどとは違ったリアルな視聴感をもたらし、多くの視聴者を惹きつける魅力となっています。しかし、出演者の行動自体には脚本や演出がなかったとしても、通常、番組は膨大に撮りためた素材の中から一部を切り貼りして制作されているほか、テロップやナレーションなど、様々な装飾が施されています。

 つまり、製作者の意図が入り込む「編集」作業が必ず介在しているということです。これはいかにリアリティー番組とて例外ではありません。そのため、あくまでも「作品」として視聴者に届けられたリアリティー番組内での出演者の言動や印象を、そのまま当該人物の現実社会における人格に投影することは本来適切とはいえず、場合によっては大きな誤解を生むことにも繋がりかねません。

 しかし、こうした番組制作の実態を普段から意識していない視聴者の中では、「リアリティー番組で見た出演者=100%現実の本人」という図式が自然と出来上がってしまうことになります。そして、リアルを謳う製作者も、そのことを歓迎することはあっても、決して否定することはしません。上記のとおり、リアリティー番組はまさに「リアルであること」が視聴者の興味の源泉だからです。

 その結果、リアリティー番組においては、番組を通じて見聞きする出演者の振る舞いが、出演者の真実の姿を置き去りにして、そのまま現実に存在する本人への印象・評価に直結してしまう現象が生まれてしまいます。これが、リアリティー番組の1つの特長であり、かつ出演者にとってはある種の危険を孕む側面だということもできるでしょう。

リアリティー番組出演のリスク - 現代社会特有の「炎上」現象

 出演者にとって、リアリティー番組が上記のような特徴を有していることは何も悪いことばかりではありません。番組のフィルターを通じて好感度が上がれば、(それがたとえ真実の姿ではなかったとしても)現実の自分自身の評価に繋がり、テレビやネットを通じて、多くの支持者を獲得することに繋がります。これから自分を売り出したい人間にとっては、まさに千載一遇のチャンスになる可能性もあります。しかし、一方でひとたび視聴者の反感を買えば、役柄や脚本などを理由にすることは許されず、自分の人格そのものに対する半永久的な悪評に直結することを避けることができません。

 そして、こうした悪評は、インターネットとSNSの普及により一億総評論家の時代ともいわれる現代においては、「炎上」という名のもとに、圧倒的なパワーとなって出演者に襲い掛かります。しかも、仮にこれが編集作業による発言や行動の繋ぎ方、あるいはテロップやナレーションなどの付加的要素による誤解に基づくものだったとしたらどうでしょうか。まさに出演者は二重の苦しみを味わうことになってしまいます。これはリアリティー番組の出演者にとっては、現代になって新たに生じた大きなリスクだと位置づけることができるように思います。

国内外のリアリティー番組で顕在化したリスク - 出演者の損害

 本年5月、大手動画配信サービスのNetflixで定期的に配信され、フジテレビでも放送していた「テラスハウスTOKYO 2019-2020」(特定の場所における集団生活を追いかけたリアリティー番組)の出演者(木村花さん)が、自ら命を絶つ事件が発生してしまいました。なぜ自殺したのか、という真の理由を本人の口から聞くことはもう叶いませんが、一部報道では、番組での言動(他の出演者を非難したこと)がきっかけで、主にインターネット上で木村さんに対する猛烈な誹謗中傷が繰り返され、これが原因の1つではないかといわれています。仮にそうだとすれば、木村さんの精神的苦痛・損害は計り知れないものといえ、まさに上記したリスクが顕在化した顕著な例だということができます。

 実は、こうした背景を持つ事件は、過去に海外でも報告されています。
 イギリスで人気のリアリティー番組「Love Island(ラブ・アイランド)」(若者らが無人島で共同生活を送りながらカップル成立を目指す番組)では、2018年に、放送後インターネット上で誹謗中傷を浴びた出演者の一人が自殺し、さらに番組内で当該人物とカップルになった恋人も、その後自殺するという悲惨な事件が発生しました。この番組では他にも2019年に、番組を通して語られる自分の姿と、本来の自分とのギャップに苦しんだ出演者が、そのことについて苦しい胸の内を語ったのちに自殺するという事件も発生しています。

 また、フランスで放送された無人島でのサバイバル生活を追ったリアリティー番組「Koh-Lanta(コー・ランタ)」では、2013年に、一人の出演者の事故死をめぐって、同行していた医師(番組にも登場していました)に対する誹謗中傷が繰り返され、それを苦にこの医師が自殺するという事件が起きてしまいました。いずれの事件も近年になって発生しており、これらが現在のSNS文化の発達と無関係とはいえないでしょう。

製作者の法的責任 - 出演契約からのアプローチ

 我が国でも「テラスハウス」事件を契機として、こうしたリアリティー番組をめぐる様々な意見が飛び交い、議論を呼んでいます。その中で、当該誹謗中傷を行った人物とは別に、番組の製作者側にも何らかの法的責任が生じないのだろうか、という議論が一部で行われています。そこで、ここでは出演契約を切り口にして、リアリティー番組を制作する側の法的責任の有無や、今後こうした番組を制作するうえで、業界が全体として目指すべき一定の方向性などについて、筆者が考えるところを述べていきたいと思います。

出演契約の法的性質

 番組の出演者は、口頭であれ書面であれ、自分自身あるいはマネジメント事務所を通して、製作者と出演契約を結んでいることになります。この出演契約の法的性質については所論あるところ、土屋アンナさんが出演予定の舞台講演の出演をキャンセルしたことをめぐり紛争となった最近の事例において、裁判所は下記の判断を示しました(東京地裁平成28年1月25日判決・判タ 1427号205頁、下線筆者)。

 「主演女優の所属事務所にとって、本件契約は、主演女優を稽古に参加させ舞台公演に出演させなければならない点において請負契約の側面を有するが、ただ単に決められた舞台公演に出演させればよいというものではなく、制作会社がその主演女優に主役を委託した目的である興行収入の最大化等のために、その主演女優の顧客吸引力をもって集客させるとともに、その主演女優の演技力によって観客を魅了しなければならないことからすれば、仕事の完成度(民法632条)と捉えることのできない側面があり、準委任契約の性質をも有するものと解するのが相当である」

 特にエンターテインメント系のコンテンツへの出演者には、契約上単に当該コンテンツに出演するだけにとどまらず、たとえばプロモーションに協力することや、リハーサルや事前打合せにも参加することなど、様々な関連業務への協力を求められることがほとんどです。また実際の出演時にも、機械的に作業をこなせばよいというものではなく、自らの立ち振る舞いによって視聴者の興味を惹きつける役割が与えられています。判決が、こうした契約上求められる出演者の役割などに着目し、「出演」は準委任たる性質をも有すると評価したのは、実態に沿った適切な判断であるように思います。

委任者としての責任(民法650条3項)

 上記のような裁判所の判断がリアリティー番組の出演に関しても当てはまるとすれば、まずは受任者の損害補填を規定した民法650条3項の適用が考えられるところです。

 本条では「受任者は、委任事務を処理するため自己に過失なく損害を受けたときは、委任者に対し、その賠償を請求することができる」とされています。このような書きぶりからすると、受任者たる出演者が委任業務の履行として番組に出演し、まさに出演者として取った行動により誹謗中傷を浴びたのだとすれば、その言動に「自己の過失」がない限り、委任者たる製作者に対し、その賠償(精神的苦痛に対する慰謝料、ストレス治療や炎上対策に要した費用など)を請求することも可能なように思われます(民法650条3項)。なお、この賠償責任は無過失責任だと解されており、製作者に落ち度があることは求められていない点に特徴があります。

 ここでのポイントは「自己の過失」の有無、簡単にいえば出演者側に落ち度はなかったかということになりますが、たとえば製作者側が出演者に依頼して、誹謗中傷の対象となった出演者の言動を作出したようなケースや、当該言動の前提となったシチュエーションを製作者が作出し、当該言動を行うよう出演者を誘導していたようなケース(つまり「作り込み番組」だった場合)では、出演者に誹謗中傷を呼び込む過失があったとは評価されにくいように思います。

 さらに、仮に前提事実の作出もなく、出演者の行動自体は任意であった場合でも、製作者が、演出・編集の名のもとに、出演者の言動を切り貼りしたり、テロップ、ナレーション、そのほか当該言動の解説・批評などを番組の構成に盛り込むなどして、実際の出演者の言動を、それとは異なる形で視聴者に提供したような場合も、出演者に過失はないと考えることが十分に可能なように思います。したがって、これらのケースでは、番組での言動をきっかけとする出演者の誹謗中傷に関し、製作者は本条に基づく損害賠償責任を負う余地があると思います。

 一方でその逆、つまり現実に発生したシチュエーション下において、出演者自身が自ら判断して取った言動であり、かつ、これが編集作業などによっても特に変容などしていない場合には、これに視聴者の批判が向けられたとしても、それは出演者が予見すべき領域の出来事であり、ある程度はやむを得ない側面があります。したがって、この場合は出演者に過失があることを理由に、本条に基づく製作者の責任を問うのは難しいだろうと思います。

コンテンツ提供者としての責任

 誹謗中傷を受けたこと自体に対する製作者の責任というテーマからはやや外れますが、リアリティー番組が、生身の人物による現実の出来事であるという前提で視聴者に提供される以上、最終的な番組上の表現によって出演者の外部的名誉が棄損されたのであれば、それは別途名誉棄損による損害賠償責任を検討する余地があるだろうと思います。先に述べたとおり、製作者は編集作業によって、出演者の言動を実際とは異なる形で視聴者に印象付けることが可能であるため、特にこうした編集が加わった場合には、よりその素地があるといえるでしょう。

 過去に、報道番組で取り上げられた企業に対する名誉棄損が争われた事件で、最高裁は、次々と一方的に情報が提供される映像メディアの特殊性に着目し、番組が公に伝えた事実(摘示事実)がどのようなものであったかという点については、「全体的な構成、これに登場した者の発言の内容や、画面に表示されたフリップやテロップ等の文字情報の内容を重視すべきことはもとより、映像の内容、効果音、ナレーション等の映像及び音声に係る情報の内容並びに放送内容全体から受ける印象等を総合的に考慮して、判断すべきである」としました(最高裁平成15年10月16日判決・民集 57巻9号1075頁)。

 このような最高裁の判断をもとにすれば、たとえ収録時には出演者による自由な発言がされていても、製作者が後に編集作業等を加えた結果、当該出演者の言動が番組全体の印象からみて変容したように見えるのであれば、その変容後の表現が番組により摘示された当該出演者に関する事実ということになります。

 そうすると、論理必然的にそのような摘示事実は真実とは異なるはずですし、かつ、製作者自身の編集の結果である以上は、いわゆる「真実だと信ずるに足る相当な理由」もないでしょう。実際に当該編集済の事実の摘示によって出演者の名誉が著しく棄損されたような場合には、いかに契約上の処理をしていたとしても、それをも甘受する合意があるとまではいえず、名誉棄損が成立する可能性は十分にあるように思います。

その他出演者の誹謗中傷に対応する義務

 上記のほか、番組への出演という行為の性質上、製作者には番組内での言動によって出演者に対する誹謗中傷が行われないよう注意すべき義務、あるいは、誹謗中傷を受けた出演者を精神的にケアする義務があるのではないか、という意見も一部でみられます。

 しかし、筆者は、出演契約に共通する一般的な製作者の義務として、上記のような対応を位置づけることは慎重であるべきだと考えます。番組の製作体制、演出・編集等の有無・程度、出演者の役割、属性など(あるいはその組み合わせ)は番組ごとに千差万別であり、一言に出演者といっても、製作者と出演者の関係性は、個別の番組によってかなり違いがみられるところです。

 したがって、両者の関係値を固定化したうえで、上記のような義務を定型的・一般的なものとして観念することは適切ではなく、ケースによっては製作者側に過度な負担を強いることになりかねません。結局のところ、製作者に上記のような対応義務があるといえるためには、具体的な契約の定め方によるほかは、個別具体的な番組制作の態様に照らし、番組ごとに個別に判断するほかないように思います。

 この点、本稿におけるリアリティー番組の定義からは外れますが、個別の制作手法に着目し、①視聴者に対してはリアルを謳いつつ、②実は、出演者は製作者が用意した脚本や演出に従うことが求められており(冒頭述べた「作り込み番組」である場合)、かつ③当該脚本や演出が視聴者の批判を招くと予見すべきものだといえるような場合は、こういった内容含みで出演を依頼する以上、当該出演契約には、信義則上、上記のような製作者の対応義務が生じるといってもよいのではないでしょうか。この問題については過去の裁判例などもなく、まさに今回のテラスハウス事件などをきっかけにして、議論が深まることを期待したいです。

これらからの課題 - 出演契約書の作成と適切なインフォームドコンセント

 上記のような問題を製作者・出演者間でクリアにするためには、何よりもまず出演契約書に必要事項をしっかりと定めておくことが大切だろうと思います。上記の「委任者の損害賠償責任(民法650条3項)」は任意規定といわれており、契約による排除が可能ですし、また、名誉棄損の問題についても、たとえば出演者との契約において「番組の編集権は製作者にあり、製作者によって編集された内容について異議を述べない」といった条件を盛り込んでおくことで、製作者は自らの責任範囲を明確にすることができ、また、出演者側もリスクを理解したうえで出演を判断する材料にすることができるため、トラブルの大部分は回避が可能なように思います。

 しかし、一定の改善傾向がみられるものの、制作実務の世界では、契約書をきっちり作成しておく文化がまだ完全に根付いているとはいえません。あまねくすべての出演に契約書が必要だとは思いませんが、少なくともリアリティー番組のような、当事者に高いリスクが伴う類型の番組については、可能な限り、上記のような問題点の解消につながる内容を盛り込んだ契約書を作成しておくことが望ましいでしょう。

 さらに、出演契約書作成の実務に関していえば、契約書の文面が、いわゆる出演料や番組の二次利用展開の範囲など、主にビジネス面に重きを置いた内容となっていることや、こうしたビジネス面の交渉が長引くなどの事情により、その作成が出演後になってしまうことなどが少なくありません。また、製作者が事務所と契約を交わす場合では、筆者の知る範囲でも、当該契約書の内容を出演者自身がほとんど把握していないケースもみられます。

 リアリティー番組出演による誹謗中傷のリスクは、まさに出演者自身が負っているものである以上、当該リスクの存在や程度、あるいはリスクが顕在化したときに取り得る手段の有無などに関しては、本来、出演者本人が最も理解しておかなければならないはずです。しかし、こうした業界の文化が、結果として、出演するかどうかを判断するうえで必要な情報が肝心の出演者まで行き届かず、彼らの最終的なリスクテイクの判断を誤らせる一因になっていることは否定できないのではないでしょうか。

 たとえば投資や医療の世界では、当事者に対する適切なリスクの説明は当たり前のこととされており、実際にリスクが顕在化した場面では、必要な説明を欠いたことによる説明義務違反を問われることもあります。

 これまで述べたように、リアリティー番組への出演が、現代では非常に大きなリスクを伴うことを考えれば、少なくともこうした番組については、今後は投資や医療と同じように、出演によるリスクの説明が尽くされていたか(説明義務違反の有無)、という観点から、出演契約を規律する場面があってもよいように思います。

 もちろん、社会全体の課題として、誹謗中傷自体を防ぐ取り組みも重要であることは言うまでもありませんが、業界内の取り組みとしても、番組に出演するかどうか、また、番組でどういった立ち振る舞いをするかといった点について、出演者自身が必要な情報に触れたうえで、出演者の意向に従って判断する、という枠組みをできるだけ確保していく必要があるように思います。それが引いては、出演者・製作者がともに安心して番組制作に没頭できる環境を築くことに繋がるのではないでしょうか。

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