箕島との「最高試合」に登板 元星稜エースが最後の審判

編集委員・安藤嘉浩
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 19年間にわたって審判委員として全国高校野球選手権大会を支えた堅田外司昭さん(59)が、今夏の第103回大会を最後に勇退する。自身も「甲子園史上最高の試合」と語り継がれる延長十八回を投げ抜いた元球児。最後は智弁和歌山智弁学園(奈良)の決勝で、一塁塁審を務める。

 堅田さんは星稜(石川)のエースとして、1979年に春夏連続で甲子園に出場。夏の第61回大会は3回戦で優勝候補の箕島(和歌山)と対戦し、石井毅さん(60)=現姓名・木村竹志=と投手戦を演じた。引き分け再試合になる寸前の延長十八回にサヨナラ安打を浴びて3―4で敗れたが、今も歴史に残る名勝負として語り継がれる。

 試合後に引き揚げる際、球審を務めた永野元玄さん(85)から試合で使用したボールを手渡された。「一生の宝物です。ボールを見るたび、あの試合に恥じない生き方をしようと思った」とのちに語っている。

 卒業後は社会人野球の松下電器(現パナソニック)で選手、マネジャーをした後、「野球界に恩返しをしたい」と審判になった。春夏の甲子園大会には2003年夏の第85回記念大会から参加。「球児たちには、それぞれの『最高試合』をしてもらいたい。思いやりのあるジャッジで、そのお手伝いがしたい」という思いでグラウンドに立ち続けてきた。

 高校野球生誕100年を記念して王貞治さん(81)が始球式をした第97回大会(15年)の開幕試合や、第100回記念大会(18年)の決勝で球審を務めた。この大会で企画された「レジェンド始球式」に箕島の石井さんが登場した際には、球審としてエスコート。かつて投げ合ったマウンド上で握手を交わし、高校野球ファンを喜ばせた。(編集委員・安藤嘉浩)

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 山下智茂・元星稜監督の話 堅田はぼくにとって誇りです。延長十八回を投げ抜いてくれ、球審の永野さんにボールをもらい、自らも高校野球に恩返しがしたいと審判になって、長年尽くしてくれました。ありがとう。お疲れさまでしたとお礼を言いたいです。

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