妻に化けた狐伝説息づく 茨城・龍ケ崎の女化神社

佐藤清孝
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 「女化(おなばけ)」。心を惑わす名前がついた神社がある。「女化神社」。所在地は茨城県龍ケ崎市馴馬町だが、四方を牛久市女化町に囲まれ、龍ケ崎市の飛び地になっている。孤島のような存在に興味をかきたてられた。

 参道に連なる12基の鳥居を抜けると、左右に稲荷神の使いキツネの石像が出迎える。拝殿に向かって左側に親と2匹の子ギツネ、右側に親と1匹の子ギツネが鎮座していた。子が親に甘えてじゃれつく姿に見える。

 「神社の象徴。子ギツネの像をなでていく人もいます」。5代目の宮司・青木紀比古(としひこ)さん(73)が教えてくれた。

 神社によると、創建は1505(永正2)年とされているが、石像は神社にまつわる「女化の狐(きつね)伝説」に基づいている。

 《昔、忠五郎という男が野原を通りかかり、猟師に撃たれかけていたキツネを助けた。そのキツネは恩返しに忠五郎の妻となって3人の子どもまでもうけた。しかし、子どもたちに正体を知られ、野原に消えた》

 この野原一帯が「女化原」と呼ばれ、野原にあった稲荷の祠(ほこら)は「女化稲荷」に。江戸時代に馴馬村(現・龍ケ崎市)の寺「来迎院」が管理していたことから龍ケ崎市の飛び地になり、明治時代に「女化神社」に改称されて今に至るという。

 女化神社への信仰は、遠方に広がった。親子ギツネの石像はその表れだ。1869(明治2)年に東京・深川の関係者2人から寄進された。

 龍ケ崎市歴史民俗資料館にも、信仰のあつさを示す錦絵が保管されている。「常州 女化狐子別之場」。85(同18)年、「狐伝説」を題材に作られた歌舞伎の1場面で、当時人気絶頂の歌舞伎役者・尾上菊五郎が艶(つや)っぽく描かれている。資料館の油原長武(おさむ)さん(55)は「菊五郎が門人らを伴って女化神社に参拝した記述が残っています」。

 初午(はつうま)の大祭は関東一円から万を数える参拝客でにぎわった。「東京から紋付き姿の芸者衆も来た、と祖父から聞きました」。青木さんは往時をしのぶ。

 拝殿の裏から10分ほど歩くと、こんもりした林の中にキツネが身を隠したという「奥の院」がある。通称「お穴さま」。こけむした石碑や小さな赤い鳥居、キツネの置物がずらりと並ぶ。

 神社の縁起によると、キツネは姿を消す際、歌を書き残したという。「みどり子の母はと問はば 女化の原に泣く泣く臥(ふ)すと答えよ」。ふと、林の中から悲しげな表情のキツネが現れそうな気にさせられた。(佐藤清孝)

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 〈女化神社〉 JR龍ケ崎市駅から関東鉄道バス「ニュータウン長山行き」終点で下車。徒歩約15分。車は圏央道牛久阿見インターから約10分。問い合わせは神社社務所(029・872・2237)へ。

 群馬県高崎市の小説家・東雲佑(しののめたすく)さん(33)が、神社を舞台の一つとしてインターネット小説「女化町の現代異類婚姻譚(こんいんたん)」を発表している。

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