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「右翼」の戦後史 (講談社現代新書) 新書 – 2018/7/19
安田 浩一
(著)
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戦前右翼、反米から親米への転換、政治や暴力組織との融合、新右翼、宗教右派、そしてネット右翼・・・。戦後右翼の変遷をたどる。
- 本の長さ280ページ
- 言語日本語
- 出版社講談社
- 発売日2018/7/19
- 寸法10.6 x 1.2 x 17.4 cm
- ISBN-104062884291
- ISBN-13978-4062884297
商品の説明
著者について
安田 浩一
1964 年生まれ。静岡県出身。「週刊宝石」などを経てフリーライターに。事件・社会問題を主なテーマに執筆活動を続ける。ヘイトスピーチの問題について警鐘を鳴らした『ネットと愛国』(講談社)で2012 年の講談社ノンフィクション賞を受賞。2015 年、「ルポ 外国人『隷属』労働者」(「G2」vol.17)で第46 回大宅壮一ノンフィクション賞雑誌部門受賞。著書に『ルポ 差別と貧困の外国人労働者』(光文社新書)、『ヘイトスピーチ』(文春新書)、『沖縄の新聞は本当に「偏向」しているのか』(朝日新聞出版)、『学校では教えてくれない差別と排除の歴史』(皓星社)など多数。
1964 年生まれ。静岡県出身。「週刊宝石」などを経てフリーライターに。事件・社会問題を主なテーマに執筆活動を続ける。ヘイトスピーチの問題について警鐘を鳴らした『ネットと愛国』(講談社)で2012 年の講談社ノンフィクション賞を受賞。2015 年、「ルポ 外国人『隷属』労働者」(「G2」vol.17)で第46 回大宅壮一ノンフィクション賞雑誌部門受賞。著書に『ルポ 差別と貧困の外国人労働者』(光文社新書)、『ヘイトスピーチ』(文春新書)、『沖縄の新聞は本当に「偏向」しているのか』(朝日新聞出版)、『学校では教えてくれない差別と排除の歴史』(皓星社)など多数。
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上位レビュー、対象国: 日本
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2023年12月19日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
右翼の淵源は水戸学であり、尊皇攘夷や自由民権が養分となった。この自由民権から左翼が生まれ、それに対抗する形で右翼が分岐した、という見立てもあるようだ。福田英子の生涯を見れば、未だ左翼右翼と分岐していない若い季節を窺える。またそれは、頭山満と中江兆民が昵懇だったことからも知られる。
ただ、右翼には国権重視の気質が強く、左翼には民権重視の気分を強く持ったものが凝集したようだ。あるいは国士、志士気取りが右翼に、理想家肌のものが左翼に惹かれたというべきか。日本が弱国である、他のアジア諸国と弱者連合を組み、欧米列強に対抗せねばならない(アジア主義)、国民の生活を良くしなければならないという点で相違はなかった。
児玉誉士夫が述べているー〈日本の右翼は本質的に左翼に対抗して生まれたもの〉〈過去の国家主義者のなかから反米主義者が出現することは断じてないのである。むしろ、かつての国家主義者、すなわち、天皇と国家にあくまで忠実であった者のなかからこそ、真の親米派は生まれ出ることを自分は確信するものである〉(77頁)。先の対米戦争、アジア太平洋戦争、あるいは大東亜戦争というが、あの戦争は真の親米派の生まれ出る苦しみだったのか? 究極の求愛行動だったのか? 特攻隊の無駄死にも、空襲に手も足も出ずなすがままにされたのも、ロッキードの闇金を懐にしたのも、その苦しみの一端だったのか。
児玉誉士夫、戦時中は中国上海に「児玉機関」と呼ばれる特務機関を設立し、物資調達や宣撫工作を受け持った。銅、潤滑油、プラチナなどの軍需物資を集めて海軍に納めていたが、終戦に際しては、これらの物資を密かに日本に持ち帰ったという。これが、のちに児玉が政財界に食い込む際の軍資金となった(152頁)。同時に児玉は暴力団にも接近。戦後の混乱に共産革命の脅威を強調、関東会を結成させた。1960年の安保闘争の際は、アイゼンハワー米大統領訪日に備えた警備体制が弱かったため自民党幹事長川島正次郎を通じて児玉に警備協力を依頼、児玉の働きかけで有力暴力団や右翼総勢四万七千が警備に当たることになった。これは訪問中止で実施されなかったが(137頁)、児玉の立ち位置が国家権力と深く連携しその補完勢力たらんとし、看板は反共親米派であること、その裏で暴力団とも繋がっていること、その結び目に金と暴力があることなど典型的な右翼のイメージだ。
児玉型の右翼ばかりではない。中には反共反米自主独立の路線を掲げる勢力もある。しかし多数派にはなっていない。
さて現在、左翼は壊滅寸前、右翼もまた大きく変容し、名義貸し状態になっているのではないか、と感じさせる。
〈反共・改憲〉、これが右翼の看板だったが、今〈反中嫌韓〉へとシフトしている。こうシフトさせたのは右翼でなく「右翼的な空気」だと筆者は指摘する。
反共改憲への賛否はともかくそれなりの根拠を持っているしビジョンもある。しかし、反中嫌韓のヘイトにそれはない。
例えば2017年、天皇皇后両陛下(現在の上皇御夫妻)が朝鮮半島に由来する高麗神社を訪問した際、嫌韓ムードに押されたか「天皇夫婦は反日」といった書き込みが相次いだという(250頁)。こんな侮辱は、戦前はもちろん戦後の今でも決して感心しない。本当の右翼ならこんな書き込みはしないし、放置もしないだろうに。
また、同年のイオ信用組合事件。65歳の元会社員が店内に押し入って灯油を撒き火をつけた。男は右翼活動歴なし、日頃は大人しく真面目な勤め人だという。ごく普通の庶民が、慰安婦問題で以前から韓国に悪いイメージを抱き、実行したのだという。筆者は指摘する、「イオ信用組合は朝鮮総連系列の金融機関であり、韓国資本ではない。そうした簡単な事実さえ調べることもなく、彼は灯油をブチまけた」のだと(266頁)。
この男よりまだ血盟団事件の小沼正の方が分かり易い。彼らは恐慌で疲弊した日本社会を立て直すには天皇の権力を恣にする君側の奸を排除すれば良い、あたかも天岩戸に隠れた天照の大御神が現れより良い大地になるように、日本も良くなると夢見た。ところがこの男は放火の後に何を夢見たのか? さっぱり分からない。
一種の催眠にかかったのかもしれない。ネットに飛び交う「反中嫌韓」呪文のオーバードーズにより集団催眠状態となり、フラフラと灯油を撒いたのかも。そして今、慰安婦、南京事件、リベラル、護憲などのアイコンに簡単に過剰に反応する日本人が多数派を占めるようになったのではないか、反日、国賊、売国奴、非国民などのヘイトを投げつけたがっている、と筆者は指摘する。カタルシスになっているのか。
随分前に高村薫が、私たちはいつの間にか少数派になっていた、と語った。いつの間にか左翼もリベラルも少数派となり、代わりに右翼が多数派になっていたのだ。簡単に集団催眠されるようになっていたのだ、と気がつく。
とすると、左翼あっての右翼、という児玉の見立ては成り立たない。右翼は左翼という太陽に輝くお月さんではない。もともと右翼は太陽であり左翼に無関係に存在していたのかも。
いや実は、左翼の衰退と共に右翼も事実上消滅しているのかも知れない。ただ時の政府(ありていに言えば安倍政権)の番犬に成り上がった(成り下がった)のかも知れない。マイナカードには賛成しないがマイナポイントはしっかりゲット、そのどこが悪いの、というスタンスのイヌになり、時の政府が投げ与えてくれる「敵」に吠えるだけの【パブロフの犬】になっているだけなのなかも知れない。
右翼が好んで使った呪文で吠え立てるから右翼のように見られるだけなのかも。そんなことを感じた。
右翼もどきが跋扈する、これは右翼の危機だ。
ただ、右翼には国権重視の気質が強く、左翼には民権重視の気分を強く持ったものが凝集したようだ。あるいは国士、志士気取りが右翼に、理想家肌のものが左翼に惹かれたというべきか。日本が弱国である、他のアジア諸国と弱者連合を組み、欧米列強に対抗せねばならない(アジア主義)、国民の生活を良くしなければならないという点で相違はなかった。
児玉誉士夫が述べているー〈日本の右翼は本質的に左翼に対抗して生まれたもの〉〈過去の国家主義者のなかから反米主義者が出現することは断じてないのである。むしろ、かつての国家主義者、すなわち、天皇と国家にあくまで忠実であった者のなかからこそ、真の親米派は生まれ出ることを自分は確信するものである〉(77頁)。先の対米戦争、アジア太平洋戦争、あるいは大東亜戦争というが、あの戦争は真の親米派の生まれ出る苦しみだったのか? 究極の求愛行動だったのか? 特攻隊の無駄死にも、空襲に手も足も出ずなすがままにされたのも、ロッキードの闇金を懐にしたのも、その苦しみの一端だったのか。
児玉誉士夫、戦時中は中国上海に「児玉機関」と呼ばれる特務機関を設立し、物資調達や宣撫工作を受け持った。銅、潤滑油、プラチナなどの軍需物資を集めて海軍に納めていたが、終戦に際しては、これらの物資を密かに日本に持ち帰ったという。これが、のちに児玉が政財界に食い込む際の軍資金となった(152頁)。同時に児玉は暴力団にも接近。戦後の混乱に共産革命の脅威を強調、関東会を結成させた。1960年の安保闘争の際は、アイゼンハワー米大統領訪日に備えた警備体制が弱かったため自民党幹事長川島正次郎を通じて児玉に警備協力を依頼、児玉の働きかけで有力暴力団や右翼総勢四万七千が警備に当たることになった。これは訪問中止で実施されなかったが(137頁)、児玉の立ち位置が国家権力と深く連携しその補完勢力たらんとし、看板は反共親米派であること、その裏で暴力団とも繋がっていること、その結び目に金と暴力があることなど典型的な右翼のイメージだ。
児玉型の右翼ばかりではない。中には反共反米自主独立の路線を掲げる勢力もある。しかし多数派にはなっていない。
さて現在、左翼は壊滅寸前、右翼もまた大きく変容し、名義貸し状態になっているのではないか、と感じさせる。
〈反共・改憲〉、これが右翼の看板だったが、今〈反中嫌韓〉へとシフトしている。こうシフトさせたのは右翼でなく「右翼的な空気」だと筆者は指摘する。
反共改憲への賛否はともかくそれなりの根拠を持っているしビジョンもある。しかし、反中嫌韓のヘイトにそれはない。
例えば2017年、天皇皇后両陛下(現在の上皇御夫妻)が朝鮮半島に由来する高麗神社を訪問した際、嫌韓ムードに押されたか「天皇夫婦は反日」といった書き込みが相次いだという(250頁)。こんな侮辱は、戦前はもちろん戦後の今でも決して感心しない。本当の右翼ならこんな書き込みはしないし、放置もしないだろうに。
また、同年のイオ信用組合事件。65歳の元会社員が店内に押し入って灯油を撒き火をつけた。男は右翼活動歴なし、日頃は大人しく真面目な勤め人だという。ごく普通の庶民が、慰安婦問題で以前から韓国に悪いイメージを抱き、実行したのだという。筆者は指摘する、「イオ信用組合は朝鮮総連系列の金融機関であり、韓国資本ではない。そうした簡単な事実さえ調べることもなく、彼は灯油をブチまけた」のだと(266頁)。
この男よりまだ血盟団事件の小沼正の方が分かり易い。彼らは恐慌で疲弊した日本社会を立て直すには天皇の権力を恣にする君側の奸を排除すれば良い、あたかも天岩戸に隠れた天照の大御神が現れより良い大地になるように、日本も良くなると夢見た。ところがこの男は放火の後に何を夢見たのか? さっぱり分からない。
一種の催眠にかかったのかもしれない。ネットに飛び交う「反中嫌韓」呪文のオーバードーズにより集団催眠状態となり、フラフラと灯油を撒いたのかも。そして今、慰安婦、南京事件、リベラル、護憲などのアイコンに簡単に過剰に反応する日本人が多数派を占めるようになったのではないか、反日、国賊、売国奴、非国民などのヘイトを投げつけたがっている、と筆者は指摘する。カタルシスになっているのか。
随分前に高村薫が、私たちはいつの間にか少数派になっていた、と語った。いつの間にか左翼もリベラルも少数派となり、代わりに右翼が多数派になっていたのだ。簡単に集団催眠されるようになっていたのだ、と気がつく。
とすると、左翼あっての右翼、という児玉の見立ては成り立たない。右翼は左翼という太陽に輝くお月さんではない。もともと右翼は太陽であり左翼に無関係に存在していたのかも。
いや実は、左翼の衰退と共に右翼も事実上消滅しているのかも知れない。ただ時の政府(ありていに言えば安倍政権)の番犬に成り上がった(成り下がった)のかも知れない。マイナカードには賛成しないがマイナポイントはしっかりゲット、そのどこが悪いの、というスタンスのイヌになり、時の政府が投げ与えてくれる「敵」に吠えるだけの【パブロフの犬】になっているだけなのなかも知れない。
右翼が好んで使った呪文で吠え立てるから右翼のように見られるだけなのかも。そんなことを感じた。
右翼もどきが跋扈する、これは右翼の危機だ。
2021年2月10日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
昔の右翼と今の右翼の様相の差異について疑問のある人は多いのではないでしょうか。
時代を追って知っていく事で、その概要がわかりました。
登場人物が多く、圧倒されそうになりますが、それこそが実像なのでしょう。
この本をもとに、一人一人を調べていけば有意義であるだろうと思います。
個人的には、なぜ右翼が米国による緩やかにして強固な支配を許すのかについて、その一端を知れたのは収穫でした。
時代を追って知っていく事で、その概要がわかりました。
登場人物が多く、圧倒されそうになりますが、それこそが実像なのでしょう。
この本をもとに、一人一人を調べていけば有意義であるだろうと思います。
個人的には、なぜ右翼が米国による緩やかにして強固な支配を許すのかについて、その一端を知れたのは収穫でした。
2022年3月31日に日本でレビュー済み
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右翼の戦前からの思想史的な記述がほしかった。
2018年7月24日に日本でレビュー済み
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右翼関係の本に興味があり、様々な関係書を読破したが、この作品はそのなかでも近年希にみる名著かも知れない。
案の定、日本会議やヘイトスビーチ、在特会にも触れられているが、老舗の主な右翼団体や活動家にも触れられている。
赤尾敏や影山正治、福田素顕といった右翼史上、著名な活動家についてまで。
しかも、他の右翼ライターが書いていなかった点についても述べられている。
日本会議の椛島氏が長崎大学時代に民族派活動をしていた話は広く知られるようになったが、著者は当時、彼らと対立していた左翼学生出身者たちにも取材して
反対側の意見も載せている。
この点は興味深い。
また、著者の視点は比較的に中立だ。
ただし、ただ弱いものイジメだけしているようなヘイトスビーチの連中には手厳しい。
私はこの意見に同感。
今はなき民族派の教祖とも言われた野村秋介の差別を嫌った意見についても触れている。野村氏もいくらか浮かばれよう。
著者はいい意味で右翼的心情の持ち主なのであろう。
安田氏の取材力、その気骨に拍手を送りたい。
案の定、日本会議やヘイトスビーチ、在特会にも触れられているが、老舗の主な右翼団体や活動家にも触れられている。
赤尾敏や影山正治、福田素顕といった右翼史上、著名な活動家についてまで。
しかも、他の右翼ライターが書いていなかった点についても述べられている。
日本会議の椛島氏が長崎大学時代に民族派活動をしていた話は広く知られるようになったが、著者は当時、彼らと対立していた左翼学生出身者たちにも取材して
反対側の意見も載せている。
この点は興味深い。
また、著者の視点は比較的に中立だ。
ただし、ただ弱いものイジメだけしているようなヘイトスビーチの連中には手厳しい。
私はこの意見に同感。
今はなき民族派の教祖とも言われた野村秋介の差別を嫌った意見についても触れている。野村氏もいくらか浮かばれよう。
著者はいい意味で右翼的心情の持ち主なのであろう。
安田氏の取材力、その気骨に拍手を送りたい。
2018年12月29日に日本でレビュー済み
戦後右翼史から右翼を考える。
右翼と言っても一言では片づけられず、様々な流れがある。戦後は反共親米という愛国的な要素とは一見矛盾するような流れが本流になるなど、その姿は本当に複雑で多様だ。
活動的な人ほど、左だろうと活動的な人間を評価している点は面白い。近年はその一部がネトウヨ的な排他主義に傾いている傾向もある。というか一般に溶けているとも言えるのかもしれない。
右翼の歴史を学ぶ意義は大きい。
右翼と言っても一言では片づけられず、様々な流れがある。戦後は反共親米という愛国的な要素とは一見矛盾するような流れが本流になるなど、その姿は本当に複雑で多様だ。
活動的な人ほど、左だろうと活動的な人間を評価している点は面白い。近年はその一部がネトウヨ的な排他主義に傾いている傾向もある。というか一般に溶けているとも言えるのかもしれない。
右翼の歴史を学ぶ意義は大きい。
2018年12月25日に日本でレビュー済み
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ある意味旬な話題だけど、実は知らなかったし、知りたくもなかった人達の歴史。こういう歴史を一人のジャーナリストの取材から時に情景的に、そして調べられた資料をもとに書かれていたのは読み応えがありました。右翼と言っても一言で語り尽くせないくらい性格や動機、活動方法が多様なのだということに驚きました。「みんな同じだろ。」と思い、否定する右翼思想家を「はいはい、」と心では軽蔑していましたが、この本を読んで、自分がある「属性」で敬遠し、決めつけていた部分があったのかなと反省。どのような思想を持っていても、堂々とたった一人メガホンを使って大きな存在に主張をする姿は、確かに最近のこの国では見られないのかもしれない。ヘイトを繰り返す大学生のノリの延長戦のような人達とは確かに違う。歴史を知り、彼らを一冊からでも知ると見方が全然変わってくることを読後に感じました。
時系列的に書かれているので、個人的な体験として、大学生の時に何で知り合いが急にヘイト的な言動を何の躊躇もなしに言うようになったのかスッキリ。ただ、登場人物がやたら多いのは目が回ってしまいました。
あまり学校でも戦後思想史をやらなかったので、右翼から見た戦後とはどのようなものだったのか、気になる方は読んでも損はしません。
時系列的に書かれているので、個人的な体験として、大学生の時に何で知り合いが急にヘイト的な言動を何の躊躇もなしに言うようになったのかスッキリ。ただ、登場人物がやたら多いのは目が回ってしまいました。
あまり学校でも戦後思想史をやらなかったので、右翼から見た戦後とはどのようなものだったのか、気になる方は読んでも損はしません。
2019年2月3日に日本でレビュー済み
いろいろな面で扱いにくく難しいテーマに果敢に取り組んだ作品であり、高く評価したい。右翼運動の歴史に関するわかりやすく、かつ入手可能な解説書は少ないので、そういう意味でたいへん価値のある一冊だと思う。
この問題に関しては、まったくの素人ではあるが、本書を読んで自分なりに理解した日本の右翼運動の変遷とは以下のとおりである。
日本の右翼運動は、戦前の反欧米・反財閥から、戦後は反共・親米へと主流を変えるが、一貫して暴力をも辞さない言動を特徴としていた。だが、ベルリンの壁崩壊(1989年)とソ連邦解体(1991年)にともなう世界的な左翼運動の退潮により、日本の右翼運動もその性格を変えて、過激な言動はなりをひそめ「改憲」を軸とする大衆運動へと変容しつつある(その運動の結実が現在の「日本会議」となる)。他方、右翼運動の主流がより穏健な大衆運動へと軸を移したことに対し、それに満足できない過激な排外主義的分子が「ネット右翼」として台頭してきた。
右翼運動は伝統的価値への回帰や復古主義を特徴のひとつとするが、これはある意味で時代や社会の変化に対する反作用といえるだろう。社会の変化は、たとえそれが豊かさや便利さをもたらすものであっても、伝統的な生活スタイルや価値観にとっては危機をもたらすものであるから、それに対する反作用が生じる場合が多い。グローバル化の波がイスラム世界にも押し寄せる中で、イスラム原理主義運動が盛り上がりをみせているのも、そうした反作用のひとつと考えられる。そう考えると「日本会議」を中心とする右翼大衆運動やネット右翼も日本のグローバリゼーションの産物と言えるだろうか。
この問題に関しては、まったくの素人ではあるが、本書を読んで自分なりに理解した日本の右翼運動の変遷とは以下のとおりである。
日本の右翼運動は、戦前の反欧米・反財閥から、戦後は反共・親米へと主流を変えるが、一貫して暴力をも辞さない言動を特徴としていた。だが、ベルリンの壁崩壊(1989年)とソ連邦解体(1991年)にともなう世界的な左翼運動の退潮により、日本の右翼運動もその性格を変えて、過激な言動はなりをひそめ「改憲」を軸とする大衆運動へと変容しつつある(その運動の結実が現在の「日本会議」となる)。他方、右翼運動の主流がより穏健な大衆運動へと軸を移したことに対し、それに満足できない過激な排外主義的分子が「ネット右翼」として台頭してきた。
右翼運動は伝統的価値への回帰や復古主義を特徴のひとつとするが、これはある意味で時代や社会の変化に対する反作用といえるだろう。社会の変化は、たとえそれが豊かさや便利さをもたらすものであっても、伝統的な生活スタイルや価値観にとっては危機をもたらすものであるから、それに対する反作用が生じる場合が多い。グローバル化の波がイスラム世界にも押し寄せる中で、イスラム原理主義運動が盛り上がりをみせているのも、そうした反作用のひとつと考えられる。そう考えると「日本会議」を中心とする右翼大衆運動やネット右翼も日本のグローバリゼーションの産物と言えるだろうか。