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【心に残るホークス遺産】藤田学氏、戦前から半世紀…若タカ鍛えた大阪・堺市の「中モズ球場」

もっぱら若タカの鍛錬の場だった中モズ球場。公式戦が行われることは少なかった
電信柱にある「ホークス」、「南海(ナンカイ)」のプレート=大阪府堺市(撮影・薩摩嘉克)
(1)中モズ球場の跡地に立つマンションの前でホークスのタオルを広げる藤田さん
(2)「中百舌鳥総合運動場跡」のプレートを見つけて感慨にふける
(3)完成した当時は野球場と運動場があった
(4)中モズ球場から出てきた井上、畠山、山川(左から)
(5)藤田さんは球場裏手の団地がまだ建っていたことにビックリ
ドカベン香川(右から2人目)、池之上(中央)らも中モズで走って鍛えた
野村克也監督(左)と藤田学氏
山本功児氏の実家の前で思い出を語る藤田学氏=大阪府堺市(撮影・薩摩嘉克)

 今も大阪のオールド野球ファンが懐かしむ南海ホークスは、どんな場所で歴史と伝統を築き上げたのか。「心に残るホークス遺産」と題して、ゆかりの地を紹介する第3回は「中百舌鳥(中モズ)球場」。戦前から半世紀に渡って若鷹を育てた、主に2軍の本拠地跡を、1976年に11勝を挙げて新人王に輝いた藤田学さん(65)と訪ねた。 (取材構成・宮本圭一郎)

 変わらないものは南海電車が走る線路。振り返ると球場があった場所は跡形もなく、15階建て3棟の巨大マンションと化していた。「懐かしいけど変わっていてびっくりしました」。32年ぶりに中モズを訪れた藤田さんは感慨に浸っていた。

 入り口脇に「中百舌鳥総合運動場跡」とのプレートを見つけた(注1)。在りし日の写真を添えた幅1メートル弱の銘板。「ここはレフト後方の広場だったんですよ」とはマンション管理事務所の渡辺和弘さん(68)。ホームベースがあった北西へ歩くと、そこは駐車場に。その奥の中百舌鳥公園団地だけがあの頃のままだ。当時コーチだった南海が身売りしてプロ野球施設としての役目を終えた1988年以来のブラマナブ。藤田さんの頭の中にはあの頃の光景が蘇った。

 「内野グラウンドを穴吹さん(義雄2軍監督)が一番に来てトラックに乗って整備していた。外野は雑草もあったが、内野はよかったですね」


 ドラフト1位で入団した74年から2年間2軍暮らしで汗を流した。「とにかく走った。団地が壁になって風が通らず、暑かった思い出しかない。夏はスラパン(スライディングパンツ)一丁でした」。39年にできた中モズでは試合はほぼなし。大阪中心部から遠かったとされ、戦前戦後の1軍本拠地時代は計33試合で他は甲子園など間借り。それは50年の大阪球場完成後、2軍本拠地になっても変わらずウエスタンは大阪、西宮などで開催され「わたしの時は1試合もなかった」。もっぱら鍛える練習場だった。

 1年目は春先に右肩を痛めた。当時の1軍は前後期制。その合間に中モズに現れた野村克也兼任監督と、初めて交わした会話がこれだ。

 「どうや」

 「肩おかしいです」

 「契約金返してもらわないかんな」

 2年目は投げ続け、2軍でなんと16勝。これは今もウエスタン最多勝記録だ。「なぜ1軍から声がかからないのかと思ってましたよ」。サイン、クイック、けん制など英才教育の方針だったことは後で知った。

 3年目の76年は「(阪神からトレード加入した)江夏(豊)さんが(キャンプ初日に)来て、すごいお客さんで、阪神の選手は凄いと思った」。この年、藤田さんも満を持して1軍に昇格し、11勝3敗、防御率1・98で新人王。「監督は『お前はアウトコース低めに投げとれ』だけ。そうそう、マウンドに来る時、マスクを頭の上に被ってたら続投、ミットの上においていたら交代でした。そこばかりみてましたね」とクセを思い出す。

 線路沿いをさらに北西へ進むと合宿所「秀鷹(しゅうよう)寮」があった場所は、1階が美容院の3階建てマンションに。「周りは田んぼでカエルが鳴いてたなあ」。電鉄の厚生施設で研修など行われた「南海なかもずクラブ」は閉鎖されていた。そして中百舌鳥駅の手前の踏切の角には「山本商店」の看板が。巨人からロッテ監督も務めた山本功児さん(2016年没、享年64)の実家だった駄菓子屋の建物が残っており「お菓子とかパンとか買いました」と振り返る。


 2001年に完全に閉鎖された中モズ。周辺の電柱の「南海」「ホークス」「ナンカイ」などの表示も数少ない名残だ(注2)。「当時は結構遠く感じたのに、今歩くと近かったですね」。往復1キロ強、約1時間の散策。若かりし頃にタイムスリップしていた。

 (注1)球場跡地に建設されたマンション「グランシスフォート中百舌鳥」の南東側入り口にある。2003年11月に南海電鉄が資料を提供。球場、競技場があった当時の空撮写真、歴史の記述とともに「この団地は往時の野球場そのものであり、輝かしい歴史を偲ぶことができる場所といえます」と綴られている。

 (注2)関西電力とNTT西日本によると、電柱は1983年に建てられ、現場設置者が想起しやすいよう、その場所にある建造物などで名称を決めていたという。両社の共用が多く、関電は東西南北を示すEWSN、NTTは左右のLRで個別表記し、上にある方が所有社。

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★中百舌鳥(中モズ)球場

 1935(昭和10)年、南海高野線中百舌鳥駅南東の大阪府堺市(北区)中百舌鳥町にあった約18万平方メートルの南海電鉄所有地に総合運動場を建設。野球場は39年8月11日完成。公称両翼90メートル、中堅120メートル。内野クレー、外野天然芝、照明なし。38年創設の南海軍の本拠地となったが、公式戦は戦前31、戦後2の計33試合。50年の大阪球場完成後は2軍本拠地に。長居陸上競技場ができた60年に球場を除いて廃止されることに。88年オフの球団身売り後は少年野球などで利用され、2001年11月20日閉鎖。

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