宇野邦夫氏

 石川県議を8期務め、非自民会派の新進石川を率いた宇野邦夫(うの・くにお)氏は6日午後1時15分、誤嚥性肺炎のため、金沢市の国立病院機構金沢医療センターで死去した。81歳。自宅は金沢市小立野3の23の34。通夜は8日午後7時、葬儀は9日午前11時から、いずれも同市元町1の8の20、セレモニー会館兼六城北で。喪主は妻・孝子(たかこ)氏。

 宇野氏は1942年穴水町生まれ。輪島高卒後、会社員、奥田敬和元運輸相の秘書を経て75年の金沢市議選で初当選。2期務めた後、83年の県議選で初当選し、自民党金沢支部長を務めた。奥田氏に連なって93年に自民党を離党し、新生党に参画した。

 94年の知事選では副知事だった谷本正憲氏を担いで初当選に導いた立役者の1人で、2020年に亡くなった金原博氏とともに谷本県政の「生みの親」として県政で存在感を示した。1998年には金原氏と県議会会派「新進石川」を発足させ、幹事長、会長を務めた。2009年に民主党県連に合流し、相談役、代表代行補佐となった。

 2001年の参院選では、自民現職沓掛哲男氏らの対抗馬として小沢一郎自由党党首から出馬要請を受けたが、辞退。15年4月の県議選で運動員らによる選挙違反事件の責任を取って辞職するまで数々の選挙に携わった。県議会副議長や県監査委員などを歴任した。

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