御幸荘の食堂で食事するカープナイン。食卓の皿の数の少なさが砂田家の家計の苦しさを物語る(1952年)

 ▽宿代すずめの涙、家財を売って選手の腹満たす

 比治山の陰だったため原爆の被害を逃れた広島市南区段原の一帯。古いたたずまいと下町の情緒が残っていた街も再開発で区画整理され、今は新しい街に生まれ変わった。そんな一角のマンションの最上階。「あそこにあったんですよ」。カープの宿舎だった向陽荘の位置を、13年前に他界した経営者砂田時枝さんの長男英男さん(68)=広島市南区段原南1丁目=が説明してくれた。そこは比治山のすぐ東を走る道路と宅地になっていた。